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ティファニーで朝食を - トルーマン・カポーティ

実はオードリー・ヘプバーン主演の映画は見たことがないのです。ごめんなさい!


ティファニーで朝食を (新潮文庫)
「ティファニーみたいなところ」へのあこがれがなんだか眩しくて、ああ、これが乙女なのね、だなんて。*1

そう、この物語の主人公であるホリーはね、ふしぎちゃんなの。やることなすことがすべて、ふしぎちゃん。彼女のもつ魅力は、彼女がまぎれもなくイノセントであるということ。それこそがすなわち、ふしぎちゃん。
ふしぎちゃんはたんなるおバカな子じゃありません。自分のだいじな部分というのをしっかりと持っているし、それをはっきりと口にすることだってあるの。私たちはそれにびっくりさせられちゃったりもするけれど。きっと彼女たちふしぎちゃんは、自分ってものの芯を直観的に嗅ぎとって、それにせいじつに行動しているからなの。
このふしぎに、惹きつけられちゃうの。



でも考えてみれば、どうしてそれがふしぎだなんてことになるのか、それこそ不思議な話である。*2このふしぎが失われるべきものとしてきらきらと輝いて見えてしまう理由はなんだ。思春期のもつ、思い出しては奇声をあげてしまうようなあの恥ずかしい思い出だって、きっとそのふしぎの要素を少なからず持っていたはずだ。あの時あの場の僕は、間違いなくせいじつであったはずだ。

どうして僕たちはそれを失ってしまったのか。いやむしろ、ついには失われてしまわなければならないだなんて僕はあなたは、どうして言ってしまうのか。言わなければならないのか。


きっと理由は簡単なのだ。このふしぎは失ってからはじめてふしぎであったと気づくもので、この失われる過程が、熱力学の第2法則と同じくらい確固とした不可逆な過程だとみんなが知っているからなんじゃないだろうか。そして実は、そのふしぎの真っただ中にいる彼らだって*3、自分がふしぎの中にいることを知らないだけで、このイノセンスの第2法則については本能的に気づいているのだ。

だからこそ、それは危うい。ふしぎというものに、少しの反発と、それ以上に抑えがたい魅力を感じずにはいられなくなってしまう理由は、この危ういバランスの中にひそんでいる。僕らは必死でサンタクロースを信じ込ませなければならないのだ。未来の無限の可能性を訴え続けなければならないのだ。掛け値なしの自由を追い求めなければならないのだ。
僕らはそういうものに魅力をかんじてしまう生き物らしい。



でもそういえば、僕たちじしんも、未だ気づかぬ新たなふしぎのただ中にいるのかもしれないのだけれど。

*1:読んだのは、村上春樹による新訳ではなく新潮文庫のほう。どうやらあちらのほうが評判もいいみたいで、ちょっと気になっちゃう。

*2:乙女であることにもう疲れた

*3:すなわちかつての僕らだって