もっさりさん

そのことが気になりだしたのはいつの頃だっただろうか。


大便を排出し、時に爽快な気分を、時に少々の残余感を感じながら尻をトイレットペーパーで拭くときのことだ。ペーパー(もちろんダブルだ)越しになにやらじゃりじゃりとした感触が伝わってくるということにはじめて気づいたのは、いつの頃だったのだろう。

むろん犯人は分かっていた。ケツ毛だ。陰毛も脇毛もギャランDoももっさもさに生えている僕だから、とうぜんケツ毛が生えていることになんの不思議もないのだけれど、それでもやはりこれは、ちょっとした衝撃といって差し支えないだろう。ケツ毛なんて別に生えなくてもいいじゃん、なんて話ではない。それだったら他の毛だってそうだ。僕が許せないのは、どうでもいいどころか、尻の間についた大便を拭く大きな障害にさえなるということだった。
当時僕はウォシュレットを恐れていた。あんなものがアナルに直撃なんてすることになれば忽ち僕の処女は失われ、僕は声を上げながらその場から尻を上げることさえできなくなってしまうに違いないと考えていたのだ。
そんな僕にとってケツ毛とは恐怖以外のナニモノでもなかった。たとえ気づかれないとしても、尻にうんこをつけたまま大好きなあの子と言葉を交わすだなんて、そんなの死んだ方がましだと思った。
僕は拭いた。拭いて拭いて拭きまくった。そこにケツ毛がある限りほんとうの終わりなんてやってはこないと分かっていても、止められなかった。僕は来る日も来る日も狂ったように拭き続けた。


そして福音がやってきた。


それはいつもの風呂上がりであった。自分の身体をこうして鏡で見ることにはとっくの昔にうんざりさせられていた。そんなものに目をくれることなんてついぞ無くなっていた。そうして、身体を拭き、尻を拭いた。ふとした違和感が僕の脳裏を過ぎった。

鏡。僕の祖父の裸を映し祖母の裸を映し父の裸を映し母の裸を映し僕の裸を映し弟の裸を映し妹の裸を映し続けてきた、これからもそれらを映し続ける以外に何もできないその鏡は、その時僕に向かって、信じられないものを映し出していた。


ケツ毛だ。


このときの気持ちについて、雫の滴る恥毛に美しさを感じるような、水滴をはじく足指の産毛にたおやかさを感じるような、そんなものをあなたが想像しているとしたら、はっきり言おう、それは間違っている。

ただ愛らしかった。カンブリア爆発で星の数ほど発生した生物のひとつだと言われたら信じてしまったかもしれない。僕の感覚器官を内側から撫でさするような、そんな奇妙な愛らしさがあった。

それ以来僕は


僕は