あれは小3の夏休みだったと思う。毎年恒例の読書感想文の題材に「エルマーとりゅう」を選ぶことにしたのは。
読書感想文!僕にはそんなものをすらすら書けるような天賦の才はなかったため、毎年これで苦労していたのだ。70パーセントくらいは筆圧の高さのせいだった気もするけれど、ともかく原稿用紙を所定の枚数埋めることが苦痛で仕方なかった。もちろんその年も例に漏れず、あっつい部屋で汗をダラダラ流しながら(原稿用紙をふやけさせながら、消しゴムのかすを腕にくっつけながら)うんうんうなりながら書いた。
好きな本、だったはずなのに最早ストーリーのかけらも思い出せないのだから薄情なものだが、まあそういうものなのかもしれない。うなったわりには無難に「エルマーになりたいとおもいました」みたいなこと書いたんじゃなかったかと思う。りゅうがにげだすときに云々、とか。そもそもりゅうがどこかから逃げ出したかどうかさえ定かではないんだけれども。
というわけで、この感想文を書いた日の思い出が今の今まで僕の頭のなかにどっかり座り込んでやがるのはべつに「エルマーとりゅう」のお話のおかげじゃない。いや、たぶんいい話だったとは思う。僕も自分の子供ができたら買ってあげたいなと思うくらいのいい本だったと思うんだけれども(何度も言うが、記憶が定かではないのだ)ともかく本のおかげじゃない。
「エルマー、がんばれ」で感想文を始めろって母に言われたせいだ。
母は中学校の国語教師だった(というか今でもそうだ)こともあり、作文と弁論大会にはちょっとばかりうるさかった。基本的にはあまり勉強のことに干渉してこない(今思えばそれが教師であると同時に母親である彼女の子育てのポリシーだったのかもしれない)人だったのだが、国語のことになるとどうしても我慢できなくなってしまうらしかった。
で、そんな母が僕の感想文を読んだときに出てきたのが「『エルマー、がんばれ』/ぼくはこころのなかでさけびました。・・・で始めたらええとおもうんじゃけどなあ。」という言葉。
いやいやいやいやいやいや、お母さん、なにゆうとん。カギ括弧で始めるだなんてそんなかっこつけた書き出しを、本でしか読んだことのないような書き出しを自分がするだなんて、畏れ多いやら恥ずかしいやらなんやらかんやら。てゆうか別にそんなこと心の中で叫んでないじゃん。絶対そんな奴いねえだろ。百歩譲ってこの世界のどこかにそんな気持ち悪い奴がいたとしても、自分は違うってば。
・・・とにかく、僕は嫌だと言い張ったのだ。
どうしてそんなことしなきゃならんのだ。
ところが母も強情なもので、いやいや絶対その方がいいから、などとおっしゃる。
どうしてそんなことしなきゃならんのだ。
いやいや先生も絶対ほめてくれるから。
いやだ!そうしなさいって!いやだってば!そのほうがいいってば!
ついに僕は泣きながらいやだいやだと言う始末。そしてここで、この話はおしまい。どうして二人ともそんなに強情だったのか今となってはよく分からないし、結局そのあとどういう決着をみたのかさえ覚えていない。そんだけ嫌がったというのに、だ。
今こうやって思い出してみると、それくらいの脚色どうってことないように思えたりもするし、今自分が感想文書くとしてもそういう始め方はしないかな、とも思う。
そして、ことばを連ねて文章を書くということを、それを他人に読ませるということをはじめて自覚したのはこのときだったな、とも考える。それだけのことで、なんとなく母に感謝しようかという気持ちになる。
そうだ、こんど帰ったときに尋ねてみよう。
「そういやお母さん、『エルマーとりゅう』の感想文のこと、覚えとる?」