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権力の構造

日常

なんかこう、毎日のようにうんこのこととかオナニーのこととか書いてると、なんかもうアレですね。ふとした瞬間に虐げられてる汚物を探そうとしてる。次は痰かなあとか漠然と思った瞬間に俺は気づいたね。これが噂のブログ脳だ。

虐げられてる汚物と言ったって、そりゃあ汚い物であるからこそ虐げられてるんだよな。汚物が汚い物じゃなかったらそれは汚物とは呼べないのでそこに問題はない。いやたしかにオナニーは汚いことじゃないという考え方もあろう。聖水はあくまで聖水であるという人間だっておろう。うんこは大事な肥料ではありましょう。しかしだな、それでは、それでは中学生の頃の俺らが報われないんじゃね?周りのみんなの本心がどうあれ、そしてたとえ僕が自身を巧妙に騙していたのだとしても、そこに現れたのは、紛れもなく汚物であるというコンセンサス。鳥肌が立つほどの悲しい事実だねまいったね。だから僕たちは汚物を汚い物であると定義する。*1


オーケー。だから僕らにとってほんとうに大切なのは「虐げられるか否か」ということなんだ。そこで僕が夢想するのは、汚物が虐げられない素敵な世界。汚い物と認識されながらもそれが虐げられないナイスな世界。教育実習でやってきたおっぱいの大きな先生(21)が昨日の下痢の様子についてはち切れんばかりの笑顔で語りかけてくる世界。彼女は音喩を自在に駆使しながら。

とか考えはじめたのはいいけれど、僕は僕らが一体どんな顔をしてそれを聞いているのかが全く想像できない。みんな屈託のない笑顔でそれを受け入れるのが「虐げない」ことだっていうのか?それとも僕らは先生の目の前でそれをオカズにオナニーを始めればいいの?彼女はどんな格好をしていればいいの?淫売!淫売め!

そこに広がるのはきっと、動物にもなれない人間にもなれない何者かが蠢く純白の世界だったりするよね。矛盾を含む公理系だよね。


つまり何が言いたいかというと、僕らにはそれを虐げないという方法なんて残されていないんじゃないかということ。そういえば僕は汚いものが大好きというよりは汚いものが大好きな自分が大好きな自分が大嫌いな自分が大好きなわけで、汚物が虐げられない世界には興味ありません。この中にうんこ、ちんこ、まんこ、おっぱいが好きな者がいたら、あたしのところに来なさい。以上!

*1:覚えておくがいい、これはトートロジーではないのだ。