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南回帰線 - ヘンリー・ミラー

南回帰線 (講談社文芸文庫)
あまり沢山は書けそうにありません。僕が性や郷愁や言葉についてばかり喋っている理由とかその結果として出てくるであろうものたちが、あんまりにもそのまんまの形で、あんまりにもタイミングよく示されてしまったものだから、ちょっともう。馬鹿みたいな話だけれども「先を越されてた」って気にさえなってします、どんぴしゃりに過ぎるもんだから。

以下箇条書きで。

生について

この饒舌さは異常じゃないか。生についてしか語っていない。みんな死を踏まえた上での生ばかり語りたがるものだから忘れてしまっていたけれど、そんなものなくても生を語ることはできるんである。メメント・モリなんて糞食らえだ。

言葉について

ようわからん言葉の羅列を投げつけてくる。意味が分かりますか?と聞かれたらいいえと答えるしかなさそうな文章ではある。だってのにだってのに、ほんとうに伝わってくる文章が現実に存在するなんて知らなかった。そんなの空想でしかないって思ってた。(僕はこんなことばかり何度も何度も言っているんだが)そんな文章によってしか伝わらなかったろうものが、ここにはあまりにも多い。クラスターとして襲ってくる。

自我について

自分を特別だと考えることを年若き少年の妄想であると考えてはならない。ほんとうの話すべての人は特別であるはずなのだ。SMAP的にオンリーワンであるかどうかなんて問題ではなく、お前にとっての世界が湧き出る場所はお前以外に無いという意味において特別なはずだ。

交合や糞便について

アメリカで発禁になったからどんだけのもんだろうと思ったら、たしかに猥雑だけれど淫靡ではなく、エネルギーばかりが溢れかえるような描写ばかりだった。ほんとうに、当前のものとしての扱い方だった。プラスにもマイナスにも過剰でないことを実現している。

都市と世界について

いまから70年前に書かれたとは思えない。現代アメリカが一体どんなもんかなんて知らないけれど、日本は確実にこの時分のアメリカと同じ泥道の同じ轍の上を走っているようにしか思えない。

密度について

僕はたしかに血と地の物語*1というものが大好きではあるんだが、それらと比べてこいつは物理的なスケールでいえば全くもって小さすぎる。小さすぎるんだけれども、じゃあ中身を詰めることができないってのか?ストーリーのようなものがあるのかといえばそんなものもない。ないんだけれども、じゃあ何も言うことができんと言うのか?

誠実さについて

全部言ってる。かったるいことを全部脇に置いて、全部そのまんま伝えようとしている。
図らずして目標になってしまいやがった。

*1:フォークナーとか中上健次とか