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日本に帰ってきましたが、あまりの温度変化のため風邪を引いてしまいました。

田んぼのあいだをギイギイと呻きながら走る電車のなか、11月のまっすぐな日の光を背に浴びて、僕のはす向かいには君との思い出が座っている。逆光のなか外を眺める君との思い出は、なんだかぼんやりとしているようでよく見えない。君との思い出。あれは一昨年君のお母さんの葬式で十年ぶりに出会ったあの日の思い出だろうか。急なことだったものだから君と言葉を交わす暇もなく、目を合わせる暇さえなく、ただ一目、台所を慌ただしく行き来する君の、くちびるの端にのこる小さなほくろを見て、心臓に染みこむような安堵をおぼえたこと。君は僕を見つけてくれただろうか。それとももっとむかし、僕たちはふたりとも高校2年生だった、あの秋の夜の思い出かもしれない。コンビニの前で鉢合わせた僕たち。「寒いね」と君は言い、「寒いな」と僕は答えて、ふたり同時に夜空を見上げたあの日のこと。オリオン座を見上げていた僕たち。「僕たち」という言葉を使うことを君は許してくれるだろうか。あるいはもっとずっとむかし、幼稚園の遠足で手をつないだあの日の思い出かもしれない。女の子をエスコートするんだと子供心に誇らしく思えたことをよく覚えているし、君が転んで泣いているすぐ側に立ち途方に暮れている自分があまりに情けなく思えてついに泣き出してしまったことはもっとよく覚えている。それを見た君は泣きやんで僕の頭を撫でてくれなんてするものだから、よけいに悔しくて、よけいにひどく泣いてしまったあのときのこと。
逆光のなか外を眺める君との思い出は、なんだかぼんやりとしているようでよく見えない。だからといって立ち上がって近づき確認する勇気なぞあるわけがない。ただ、僕がこうして君との思い出を見つめていることに――そして同時に、いまこの瞬間にどこかほかの場所にいる君自身が――気づいてるということくらいは、僕にだってわかっている。


トンネルにさしかかったところで車掌がこちらの車両にやってくる。僕はそちらに目を向ける。彼にはそれを見ることができない。彼はこちらに歩いてくる、近づいてくる。僕はポケットをまさぐる。彼は立ち止まる。彼は僕に声をかける。僕は切符をなくしたことに気づく。
「切符を拝見します」
その瞬間、黒々とした窓を通して、君との思い出がこちらを見たような気がして、ふと顔を上げるが早いか、電車はトンネルを抜け出し、目を細めたあとには、君との思い出はもういない。
「切符を拝見します」
僕は切符をなくしたことに気づく。