「6時の方角から敵襲!距離4000!これは訓練ではない!繰り返す、これは訓練ではない!」

氷のような微笑が目の前をかすめる。特に目的のない旅行だった。妹を元気づけようという大義名分があるにはあったが、気分的にはただの旅行だ。旅に目的など必要ないのだと彼女は言った。「今までずっと坐って、笑い声をたてて、楽しそうにしてるかと思や、突然いきり立ちやがって!」連中が屍体を運んで来てテントの横、つまり俺が北極印寝袋に眠る場所から30センチも離れていないところに置いたのは、真夜中のことだった。おれは目をひらき、部屋の思いがけない明るさにまばたきすると、寝袋の端にできた日だまりにのろのろと片手をのばした。

「状況を報告せよ!」

日だまりなんかじゃない。真夜中だろう?

「我が軍は既に3機を撃墜!2機が被爆消失です!」


「意識は全く新しいものを造ったりするじゃないですか。芸術と同じですよ。画家の絵筆が全て思い通りのストロークで動くわけじゃない。作家の小説が思い通りの筋道ばかりを辿るわけじゃない。でもそこには思ってもみない一筆や、自分の意表をつく展開ってあるじゃないですか。」桃色がかったブロンドの髪と透き通るような白い肌を舞台に、くりくりと鳶色の目が踊っている。ガイジンみたいだ。というかガイジンである。人形のように可愛いガイジンの娘さんである。いや、ハーフだろうか?

「全艦隊、進路を維持しつつ、全速でで回避回避運動をとれ。繰り返す、全艦隊、進路を維持しつつ、全速で回避運動をとれ。」


薄暗い部屋でヘッドホンを装着して、ぽっぺらぺらぺぽっぺっぽ、ぽっぺらぺらぺぽっぺっぽ、ぽっぺらぺらぺぽっぺっぽ、ぺらぺらぽっぺ、ぽーぽーぽー、って音楽で始まる料理番組を見ている。画面では、チキンの香草焼きを拵えていやがるが、ちっとも面白くない。面白くはないけれども、ここまで見たのだから最後まで見ようじゃねぇか、しかし、へっ、私は暇つぶしとしてテレビを見ているというのに、その暇つぶしが暇。

「だめです少佐!防ぎきれません!」

戦争中は一度も空襲を受けなかったが、徴用されて来た朝鮮人や人夫らが、落盤に遭って死ぬのをたくさん見た。屍体から流れ出る血だまりの先に深淵が待ち構えているように見える。象徴派の大きな弱点は、美学しかもたらさなかったことだ。大きな流派はいずれも、新しい文体、新しい倫理、新しい契約締結条項、新しい一覧表とともに、ものの見方、愛の理解の仕方、処世の仕方などをもたらしたものだ。老人の自己紹介の如く彼女を「天使」と言い切ってしまうことに、おれにはためらいがあった。


(かいつまんで言うと)


そろそろ頃合だと思ってバイトをやめる

年度末で予想以上に金がない

四六時中金がないとぼやく

3年来付き合った彼女にフられる

オナニーをしてバイトを見つけようと考える

ちんこがたたない(←いまここ)


雪が降り出す。ある朝おれは、そのくぐもった音で目を覚ます。雪はテントの上に、柔らかく、ひそやかに降る。

ちんこがたたない