下等遊民になりたい。
そう思ったのはいつのことだったろうか。君にガルシアマルケスといえば何を連想しますかという問いかけをしてから1年経った。そういえばあの日の夕方も残暑の夜の涼しさに肌を侵食されマクドナルドのテラス席で煙草を吸っていたのだった。煙は2度と同じ形をとらないのだろうが、僕は1年経った今日この日にもおなじ思考を抱え、所持金はあと128円だ。俵万智メソッドのおかげで僕は毎日がにちようびだ。
家に帰ってきた。藤子・F・不二雄大全集のドラえもん第1巻を買ってきたはいいけれどロボ子ちゃんの出てくるエピソードを5回読んで以来手にとっていない。面影ラッキーホールが100万人のポルノスターについて歌っている。部屋の冷房をつければ刻々と電気代が加算されていくのは分かっているけれど、請求されるのは来月のことだし、まあなんとかなるだろう。下等遊民になりたい。
そもそも金がないのはF全集を買ったせいもあるが、帰りにコンドームを一箱買ってしまったからなのだった。そんな感じでTwitterに投稿して、「使う相手ですか?もちろんいません!」と付け加える。没個性だ!まったく!僕は部屋にひとりだから、それがビッグブラザーであったとしても、誰かに監視してくれないかなー、などと思う。それもTwitterに投稿する。没個性だ!まったく!
ピンチョンのV.を取り出して眺めてみるけれど、ニコチンの作用か頭が空回りして内容が頭に入ってこない。さっきから同じページを3回くらい読んでいる。プロフェインはレイチェルに彼女の知らない道のことを書いてほしいだなんて言われているものだから僕は彼らの知らないこの世界について書くことに決めて、PCの電源を落とす。煙草を唇から引き剥す拍子に灰がジーンズの上に落ちる。そのためにはまず外へ出なきゃ。下等遊民になりたい。
自転車を漕ぐ気力もないのでO駅へ向かうと、近所の公園で少女が蝉とりをしている。網に引っかかった蝉をもぎとろうとしている。脚がちぎれそうだ。谷村美月の声が頭のなかを反響する、右耳のあたりで反射したときは男の子だし、左耳のときは女の子だし、どのみち彼(彼女)は日焼けしてる、2クラスの識別問題だ。脚がもげそうだ。毛穴から汗が滲み、僕の毛穴の黒ずみのことで頭がいっぱいになる。
信号待ちなんてしてる暇はないので僕はさっさと道を横切る。とりあえず京浜東北線に乗る。いいときの日本にはSUICAなんてなかったろうと勝ち誇った気分になったので僕の勝ちだ。かの邪知暴虐の王を小6の文化祭で演じてから10年が経ったのだなあ。
青と緑は京浜東北線と山手線の色で、田端-品川間を毎日毎日競争しているのだね、君たちも楽じゃないね、ごめんね、僕はのうのうと本を読んでいるよ。ごめんね。ごめんね。プロフェインは相変わらずヨーヨー運動をつづけているが、緑の野郎は毎日をぐるぐるぐるぐる回って一生を終えるのだろうし、僕もたいして変わりゃしない。山手線の円周が世界のすべてだったらいいのになあ、って、今乗ってるのは京浜東北線でした。アキハバラー、アキハバラデスー。さようなら山手線外回り、さようなら京浜東北線南行。どんなことあっても夢を諦めちゃだめだよ!
ねーねー○○○○、ゲマズ寄ってこ!という声が聞こえてきたのでエスカレーターを上る。上る上る上る。子供たち上る上る上る。るーるーるー。4階のコミックフロアではゲーム館とアニメ館がつながっていて、百合ものの漫画を買おうと思ったらゲーム館側まで歩いていかなきゃならない。僕は最短経路探索を行う。ここでダイクストラ法とか書くとぜったい誰かに突っ込まれるんだろうなあ。
私は漫畫の棚の前へ行つて見た。漫畫のエロいのを取り出すのさへ常に増して精神力が要るな!と思つた。然し私は一册づつ拔き出しては見る、そして開けては見るのだが、克明にはぐつてゆく氣持は更に湧いて來ない。然も呪はれたことにはまた次の一册を引き出して來る。それも同じことだ。それでゐて一度バラバラとやつて見なくては氣が濟まないのだ。それ以上は堪らなくなつて其處へ置いてしまふ。以前の位置へ戻すことさへ出來ない。私は幾度もそれを繰返した。たうとうおしまひには日頃から大好きだつた○○○○の橙色の重い本まで尚一層の堪え難さのために置いてしまつた。――何といふ呪はれたことだ。こゝろに疲勞が殘つてゐる。私は憂鬱になつてしまつて、自分が拔いたまま積み重ねた本の群を眺めてゐた。
以前にはあんなに私をひきつけた漫畫がどうしたことだらう。一枚一枚に眼を晒し終つて後、さてあまりに尋常な周圍を見廻すときのあの變にそぐはない氣持を、私は以前には好んで味つてゐたものであつた。……
「あ、さうださうだ」その時私はリユツクの中のコンドオムを憶ひ出した。本の色彩をゴチヤゴチヤに積みあげて、一度このコンドオムで試して見たら。「さうだ」
私は手當り次第に積みあげ、また慌しく潰し、また慌しく築きあげた。新しく引き拔いてつけ加へたり、取り去つたりした。奇怪な幻想的な城が、その度に赤くなつたり青くなつたりした。
やつとそれは出來上つた。そして輕く跳りあがる心を制しながらコンドオムを膨らませ、その城壁の頂きに恐る恐る据ゑつけた。そしてそれは上出來だつた。
見わたすと、そのコンドオムの色彩はガチヤガチヤした色の階調をひつそりと紡錘形の身體の中へ吸收してしまつて、カーンと冴えかへつてゐた。私には埃つぽいゲマズの中の空氣が、そのコンドオムの周圍だけ變に緊張してゐるやうな氣がした。私はしばらくそれを眺めてゐた。
不意に第二のアイデイアが起つた。その奇妙なたくらみは寧ろ私をぎよつとさせた。
――それをそのままにしておいて私は、何喰はぬ顏をして外へ出る。――
私は變にくすぐつたい氣持がした。「出て行かうかなあ。さうだ出て行かう」そして私はすたすた出て行つた。
變にくすぐつたい氣持が街の上の私を微笑ませた。ゲマズの棚へ紡錘形に膨らんだ恐ろしい爆彈を仕掛て來た奇怪な惡漢が私で、もう十分後にはあのゲマズがコミツクの棚を中心として大爆發をするのだつたらどんなに面白いだらう。
私はこの想像を熱心に追求した。「さうしたらあの氣詰りな秋葉原も粉葉みじんだらう」
コンドームの重さは自分の心の重さなのだと僕は思った。