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星条旗の聞こえない部屋 - リービ英雄

もう2週間いじょうもまえに読み終えた本だからなんだかもうその時の気持ちのざわざわしたひだの裏側などとうに忘れてしまってはいるのですが、それでも僕はこの本についてはなにか書きとめておきたい、と、そう思わされる*1一冊でした。

星条旗の聞こえない部屋 (講談社文芸文庫)

僕はべつに、日本以外の土地で育ったわけでもないし、故郷の街に帰れと言われたりとか、帰れないような何かしこりのようなものがあったりする人間なんかじゃまったくありません*2。しかし、おそらくたいていの「地方から出てきて、ごく普通に東京に住みはじめた人間」にとって、ここで描かれている横浜の、早稲田の、新宿の風景は、異郷で生活しはじめたときの感覚が呼びおこされてしまうような、そうして胸を打たれずにはいられないような、そんな風景なのだと思うのです。すくなくとも僕にとってはあまりにもあまりにもそうであって、むしろ興奮しさえした!しちゃった!のですよ!

主人公の境遇は僕(僕ら!)と似てはいるけれど、当然僕(僕ら!)以上に異邦的であり、そして実際のところそのように描かれてもいます。しかしだからこそ、ほんとうに僕(僕ら!)の境遇はその通りなのではないか、まさに自分のことなのではないか、と感じてしまうのかもしれません。いいかえれば、(文体*3もふくめ)普遍的なもの、つまり共感できること、と、彼に特殊*4なもの、つまり共感しようにもできないもの、との混交が、なんというか、すごく気持ちのよいものだったのでした。

ああ、文体もふくめ、というのは案外重要なのかもしれません。やっぱり、東京のことばは、なんだか違うのです。違うのでした。


ともかく。

共感にドライブされて小説を読むことからはずいぶん昔に逃げだそう逃げだしたいと苦悶していたはずなのですが、それでも僕には、東京というものになにかとくべつな意識*5を持ってしまっている僕にとっては、そのとくべつな「共感」を感じながら読んでしまった、つまり、しっかり負けてしまった、本だったのでした。


うん、やっぱり、「カジュアルな意味での亡命者」という感覚は、かなり広く共有される感覚なのではないか。どうなんでしょう。どうなんだろう。どうかな。なんか自信なくなってきたけどたぶんそうだよね。違うかな。ごめんなさい。あっ、謝っちゃった。

なんだっけ。異郷というあたらしい世界とのズレ。もしかしたら、それはほかでもない故郷にさえ感じていたものなのかもしれませんが、そこはあまり、いま、踏みこみたくはありません。

*1:そういえば僕はこの表現をよく使ってる気がする。「思わされる」。なんだか日本語としてすごく微妙だ

*2:逆にいえば、ほぼ著者の投影である主人公はそのような人物として描かれるわけですが

*3:ちなみに、よく知られているとおり著者にとって日本語は母国語ではありません。新宿の飲み屋で中上健次に「お前はもう日本語で書け」と言われたエピソードを知ってぼくはなんだか勝手に、おもはゆいような、こそばゆいような気持ちになってしまいました

*4:すくなくとも地方出身である、ということよりも特殊といって差し支えないのだと思います

*5:苦手意識なのだろうかそれとも未だ憧れなのだろうか、もしかするとそのふたつはつねに一緒にいやがるものなのかもしれませんが