キュビズムでござるの巻

お元気ですか?

あれから10年も経ったのですね。あなたと過ごした日々のこと、今でも昨日のことのように思い出します。たのしかった、あのひのこと、くるしかった、あのひのこと、せんぱいたちとすごしたひびは、おとなになっても、忘れません。そんな僕も二十を過ぎてずいぶん月日が経ち、分別もついて年をとり、それでも、忘れないどころか、今だからこそ、起きぬけに、あるいは電車のなかで、あるいは小便をしながら、食器を片付けながら、不意に目に浮かんでは消えるある夏の日の、君の笑顔。それは殉教者の輝き。そんなものに魅せられてあたしたち今日も海へ行ってきたんです。行きの電車のなかでリツコはおおはしゃぎでした。帰りの電車のなかでミサトは僕の肩にその小さな頭蓋を預け、僕は窓の外、いつわりの郷愁をいっしんに受けるビルの群れを、見ているようで、でも僕はなにも見えてなんかいなかった。後方から接近する未確認飛行物体に気付くはずもなく、ドカーンってな具合に墜落してはじめて気づく。ハロー。第三種接近遭遇。もし彼らが私のことを欲しがっていたなら、すぐにでも私、連れ去られたはずですわ。彼らには彼らのやり方があった。彼らには彼らの思い出があった。同類たちは皮をはぎ取られ、その毛皮は世界中のデパートで売っているようなガラクタたちとおなじく、僕たちにとっては無視を決めこむ対象でしかなかったんだ。彼もまた浮浪者であり、しかしそれに気づかないだけの賢明さと、ほんのすこしずつの愛と勇気を持ちあわせてはいたようだった。

ところで、イチノセ先生が亡くなられたことは御存じかしら。ついこのあいだのことです(このあいだと言ったって、この手紙がいつあなたに届くのだかわかりませんから、このあいだと言ったって、この手紙がほんとうに届くのだかわかりませんから)。ほんとうに突然の出来事で、動けなかったんだ、彼女はその不思議なかたちをした乗り物から一歩一歩僕のほうへ近づいてきて。ハロー。それは異端審問官の微笑み。すべてを了解して。ごみ箱を漁る彼の背中は、この世界が築いてきた科学の進歩と調和を一身に背負っているように見えた。ガサゴソという音は、これまで世界に生を受けた芸術すべてをうちこわそうとしているかのように、聞こえた。聴覚は視覚よりも先行し、そして視覚よりもゆっくりと去る。廃ビルに閉じこめられている様を想像し、見ぶるいしたんですの。彼はゆっくりと立ち去る。独特な方法だった。ミサトは口からよだれを垂らし、僕はそれを指ですくいとった。第三種接近遭遇、口に含まずにはいられなかった。

第三種接近遭遇。第三種接近遭遇。もう一度あの頃に戻れたら、そう思ったことなど数知れません。あなたと、あなたと、あなたと、そしてわたし。忘れません。わーすーれーまーせん。おおはしゃぎでした。ねえシノちゃんんん!わたし今日のことずーっと覚えてるよ!わたしたち、ずっと、ずうっと友達だよね!私は微笑むことしかできませんでした。それは殉教者の輝き。それは異端審問官の微笑み。毛皮を纏って。だって私、こんななりでしょう?ぜったいに目をつけられると思いましたの。ええ、たしかに私のほうを見たんですから!でもそうじゃなかった。夏の日はあっという間に過ぎ、君の笑顔も思い出だけのものになってしまったんだ。あのとき近付いてきた君のにおいは、石鹸の匂いともちがう、生塵のにおいともちがう。漁る彼の姿、それは殉教者の輝き。カムパネルラ!それは汽車だった。いつわりの郷愁をひきうけていたのは、星だった。不思議な乗り物だった。彼女の髪はさらさらと風に揺れ、細やかに揺れ、その細やかさは微笑みもおなじ、触れたらこわれてしまいそうで、ただすこしだけ気を張って。ゆっくりと近づいてくる。

ハロー。