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今日は友人からの手紙を紹介します

こんにちはムラシット君、会わなくなってずいぶん経つけれど、元気でやっているだろうか。

ぼくはあまり元気じゃない。こんなものをきみに送りつけてしまったのもそのせいで、きみにとってはまったく迷惑な話だろう。この手紙は読んでもあまり心地良いものではないから、このまま読まずに破り捨ててくれてもいい。まさか返事をくれなどと言うつもりはない。この文章がぼくの手から離れ、こうして君に届くということだけでぼくの望みは十分に果たされる。

ぼくにとっては、これを「書く」ということこそが重要だった。そう思って書きはじめたのはずなのだけれど、人間というのは面倒な生きものらしく、結局のところ、それを誰かと共有したいという望みさえ出てきてしまう。だからぼくは、以下の文章にこの前置きを加えて、君に送ることにした。非常識な話と嗤ってくれ。済まないと思っているんだ。


それでも読んでくれるというのなら (拙い文章で済まないけれど)、少々付き合ってくれるとありがたい。それほど長くはない。


(改頁)


ぼくは幼いころから研究者というものに憧れていた。幼稚園の本棚の横で図鑑を読みながら、漠然と自分はそうなれるんじゃないかとさえ思っていた。

将来というものを意識しはじめるのは高校生になってからで、そのときも(あまり表には出さなかったけれど)研究者になりたい、なれるんじゃないか、そんな気持ちを持ちつづけていた。もちろん研究者というのは「(『勉強』でなく)『研究』をする」「スペシャリスト」であって、それはつまり、たくさんのものに手を出すことはできないし、ただ知りたいことを吸収するだけでなく、自ら進んで探求しなければならないということだ。それくらいのことは当時のぼくでも知っていた。

そんなわけで、ぼくの高校(田舎の公立高校だった)では2年生に進むときに文理選択をしなければならなかったのだけど、まずそこで迷った。「研究」するからには、ただ「好き」なだけではいけないと考えたからだ。ぼくは小説や思想について学ぶことが好きだったし、いっぽうで数学とか物理といったものにも憧れを持っていた。でも、その両方を選ぶことはできない。

結局選んだのは理系だったのだけれど、それはどうしてかといえば、自分は定性的なことを「知る」ことは好きでも、それを曖昧な言葉にまとめることは苦手だと、小説にしても、微に入り細を穿つような読み方をすることは苦手だと、考えたからだ(このあたりのイメージは間違っていたと、今なら思う)。自分には数理の言葉でそういうものを裏付けていくほうが性に合っていると考えたし、かっこいい気がした。

……そうして理系を選び高3になり、それでも相変わらずその両方を諦め切れなかったぼくは、(もともと大きな建物や人の生活する姿を眺めることが好きだったこともあるけれど) 理系のなかでいちばん人文/社会科学に近そうなイメージのあった建築学科に進んでみることにした。


それからの4年間のことは、まあ、いいや。ぼくは相変わらずどっちつかずだった。数学なんて!と言う人には顔を赤くして反論したし、文学に馴染もうとしない人とは話が合わなかった。けれど、みんなぼくより頭がよくて、バランス感覚にすぐれていたように思う。とくにはじめのうちは、こんな世界があるのかと毎日のように感動したものだ (この街のことは大好きだし、楽しい思い出がたくさんある。今でも帰属意識はそっちの大学にある。と思う)。

そんなこんなで、いろんな理由があって、大学院ではちょっと遠くまでやってきた。卒論ではひどく定性的なことばかりやっていたので、こんどはもっと数理に近づこうと思ったのも理由のひとつだった。もはや研究者などというのは高望みだとは分かっていたけれど、それでもやはり、入口だけでも覗いてみたいと考えたのだ。


そうしてぼくは挫折した。


修士といえど、大学院は当然、研究をするところだ。今のいままで二つの間にうまい居場所を見つけられなかった僕が、中途半端な気持ちでやってきて、そのどちらもをやるってことは、自分を満足させるっていうのは、(すくなくともぼく程度の人間には) とても難しいことだった。無理矢理にでも興味関心を一点集中させていかなければならないというのに、それができなかった。一つのことに根気をもって取り組み、そして方法論なり基礎となる視点なりを身につけてはじめて、そこから幅を広げていくことができるんだろうけれど、その根気がなかった。ぼくは自分のできる範囲のことしかやろうとしなかった。

もちろん、いろいろなものに興味を持ちそれを取り入れながら、一つの対象について掘り下げていくことができる人もいるのだろうけれど(そういう人はたくさん見てきた。ぼくはそういう人にはほんとうに敵わないなと思ってしまう)、ぼくにはそんなこと、とてもできなかった。

はじめに書いたように、これは自分の怠惰に対する言い訳でしかない。ぼくは簡単に考えられることしか考えようとしなかった。うだうだ言ってないで、やらなければならないことをするしかないはずなんだ。必死で考えることから逃げちゃいけない。

いまのぼくは、どうすればいいのか、自分がどうしたいのかが、まったく分からない。あまりに疲れてしまった。


(改頁)


これがぼくの現状だ。まさかこれしきのことで死んだり (そう、「こゝろ」の先生のように!) はしない。だけれど、どうすればいいのか分からないというのも、やはりほんとうだ。まあせいぜい生きてやるさ。もしかしたら来年の今ごろには何もなかったかのように過ごしているかもしれない、そうでないかもしれない。とにかくこれで一区切りということにしようと思う。いいかげん親に頼ってばかりもいられない。もうすこしだけ待ってもらうことにはなるかもしれないけれど……

ともかくだ。もしここまで読んでくれたのなら、きみにはほんとうに感謝しなくてはならない。短いわりに、ずいぶん読みにくい文章になっていたと思う。ほんとうに申し訳ないやら、ありがたいやら。遠からず会える機会があれば、その時には「そんなこともあった」と笑い飛ばせればいい。ぼくは誰かとそうしてコミュニケーションを取ることに飢えているのかもしれない。いままで嘘ばかりついてきたけれど、ようやくぼくにもそういう時期がやってきたということなのだろうか。

では、きみも身体と、そして心には、気をつけて。ぼくのようにならないことを祈っているが、きみのことだから心配するまでもないだろうか。


ありがとう。願わくば、またいつか。



……まったく馬鹿なことを言ってるもんだな!あいつは昔から馬鹿だったんだ!!