サマー/タイム/トラベラー - 新城カズマ

はい王道!ってことで、もちろんそれ以上のものがあったから僕は書くわけですけれども。
サマー/タイム/トラベラー (1) (ハヤカワ文庫JA)
サマー/タイム/トラベラー (2) (ハヤカワ文庫JA)

夏が舞台の青春SFで外れなわけないじゃないですか。……と言いたいところなんだけど、正直言うと1巻を読み終えた時点では「こりゃまたタルい話だなー」って感想でした。「才能のある」高校生が登場人物でペダンチックなやりとりばかりが強調され、話はぜんぜん進まない。そういうものに憧れるお年頃ならまだしも、「自分はそうではなかった」「そんなに才気溢れているわけでもなかった」「行動力があるわけでもなかった」という気分ばかりが強調される今現在のお年頃において、これほどイライラさせられるものもない。ないんだけど、しかし、最終的に分かったのは、この展開は正しく機能していたということです。


つまりどういうことだ。あなたがそれを知るためには(僕が大事だと思ってしまった)このお話の基本的な状況を知っておかなきゃいけませんね。つまり、地方中小規模の都市の、高校生のお話だということです。といっても人口は15万人強ということだから、僕の田舎(3万人くらい)よりよっぽどデカいんですけども、まあ地方中核未満だからな。そうなると『凹村戦争』みたいな?って思うあなたはきっとすこし正しい。*1

というわけで

発動した。ああこれ俺のこと書いちゃってんじゃん回路が今まさに発動しました。地方都市が出てきたわけで当然僕の自分語り欲が刺激されないわけがない。というわけでここでいきなり話は飛びますが、自分語りです(人間は自分語りをしたい生き物です)(いやちがう、それはおれが自分語りをしたいがためにブログを書いているからであって君は好きにしろ)(どうでもいい)。僕にだって悠有のような繋ぎ止める存在が欲しかった、っていう話でありまして、それはつまり、なんだろ、今現在過去に縛りつけられつつある自分のような人間としては未来というものを否定しつつしかし繋ぎ止められているその杭そのものが未来へ跳ぼうとするその構造などなかったがために、うらやましくて仕方がないという話。

けっきょく、披露されまくるタイムトラベル理論たちは空想(と、すこしの読書体験)しかできなかった僕らを、大胆なだけの計画は遊ぶこと(僕のばあいはインターネットだったかもしれない)しかできなかった僕らを、退屈でしかたのない僕らの生活を、拡大して描いているということになるわけです。じゃあそこで「未来で待ってる」感はどのようになるかってえと、東京へ行って何もなかったら?信じてる者だけが先へ往く。なわけですよ。けっきょく未来しかない。それはSFでなくて理屈なんて要らないんだよという強引なアレ。さてそれは正しいのか。僕の場合は正しかったのか?

いやじつは、そんなことはどうでもいい。そのドラマが、僕にとってとても羨しいものなんだよっていう、それだけの話なのかもしれません。

*1:それに加えるなら、時をかける少女と、SFマニアならきっと涎の出るような引用の嵐、荒唐無稽な宇宙論、ちょっとしたサスペンス