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紙の民 - サルバドール・プラセンシア

ドンキホーテの昔から、それは。


紙の民


筋書としては、小説の登場人物が、これ以上俺のことを監視し運命をいいように扱うのはやめろよ!と、著者に対して反乱をしかける、というもの。分かりやすいといえばその通り、たいへん分かりやすい話にみえます。マジックリアリズムとはちょっと違うような気もするんだけど、そういった小説でちょこちょこ出てくるような不思議がガシガシ出てきて、まずそういう面白さがあるのだけれど――

――普通だったら、わりと笑えるんですよね、そういったものって。もちろん時には感傷を高めてくれる役割を果たすこともあるんだけれども、やっぱり「馬鹿馬鹿しい!ゲラゲラ!!」みたいなところが主だと思っています。すくなくとも僕はそういう読みかたをする。なんだけれども、この本のなかではそうはいきません。なんたって、主人公(と言っていいと思う)であるところのフェデリコ・デ・ラ・フェ(寝小便の人)と、著者=土星であるところのサルバドール(背が低くて包茎)の両人が(ついでに言えばフロッギーとか他にも何人か)、妻/恋人に逃げられてる。お話ぜんたいがこの失恋の悲しみってものに貫かれているため、どこを見てもなんだかもの悲しく切ないし、すごく情けない。そういったイメージが、こと細かで現実にありそうな描写ではなく、奇天烈なイメージの具現化、および、ちょっと変わった版の組み方を通して描かれています。


で、フェデリコ・デ・ラ・フェにとってそんな不条理なこと(妻が逃げた!)が起こった原因はと言えば、そういった悲しみを商品化しようとする著者であるところの、空から見守る土星の野郎なわけです。じゃあ戦争だ!という話になる。そこでまた悲しいんですが、この本が書き上げられている時点で、それが負け戦に終わってることは間違いないわけです。最後まで読まなくてもそれは分かっている。負け戦を、それでも無理して戦ってるんですよ。悲惨じゃないですか。それも、(第一部では)著者=土星に見つからないように鉛で自分たちの家を囲い、外に出るときには「小説にならないような単純なこと」を考えるという方法によって。

そして、中盤ではそれがある程度うまくいったように見えるのです。実際はそれだけじゃなくて、著者=土星の側が失恋の痛みに耐えかねてこの小説を書くのを半ば放棄してしまうからなのですが。そこからが第二部で、著者=土星の側のお話が主として描かれる。ただ、こちら側の世界も、じつは小説のなかの世界とびみょうに交じりあっていて、空の上なのかと思いきや、そうでもなかったりして、やっぱり不思議な世界ではあるのですけれども。でもってこの著者=土星がまた情けねえんだよなあ!ウダウダ言ってんじゃねえよもう!!みたいな感じではあるんですが、個人的にはすごい、なんか、責められない感じがしてしまったことをここにこっそり認めておきます。最初にも書いたような、その情けなさが良かったっていうのは間違いなくある。これ、こないだアレクサンドリア四重奏(ジュスティーヌ)を読んだときもそうだったんですが、もしかしたら僕が好きなだけなのかもしれない。しかもこいつ(こいつ呼ばわり……)、もっぺん失恋したりするので、踏んだり蹴ったりです。そりゃそうでしょうよ、著者はそれでも小説を書くんだから、その相手とどんなセックスをしたのかまで世界中の人に知れわたっちゃうし、嘘はつくし、勝手に死んだことにしちゃったりするし、ひどいもんな。

とはいえそれを怒りに変えて、著者=土星は戻ってきます。そして最後の戦いだ。思考を黒塗りにして読めなくしたり(このくだり、フェデリコ・デ・ラ・フェの娘の場面なんですが、わりと泣きそうになってしまったくらいよかった)、あるいは、とにかくいろんなことをしていろんなことを考えることで(としか言いようがない)著者=土星による語りのスペースを小さく押しやってしまったり。まあいろいろあって、結局は先にも言ったとおり、当然著者=土星の勝利で終わりはするんですが――けっきょく失恋の痛みなんてものは癒えるわけもない。それは登場人物たちにとってもそうです。書かれたものはもう取り返せない。あるいは登場人物たちの側が勝利していたとしたならば、最初からご破算、なかったことになるのかもしれませんが、実際そうはなっていなくて、だからこそ僕たちはこうしてこの本を読んで、したがって僕たちのなかに彼ら登場人物が生きづいたわけですし。


こうして長々とあらすじを説明してきたのですが、いくら小説を書いたって、著者に戦いを挑んだって、変えられないものは変えられない、そういった悲しみがあることが、痛いほど感じられる。ループなんてできない。物語は線形に進み、読者だってそれを忘れることはできない。組版メタフィクションと寝小便とライムとノストラダムスと紙の民とレタス収穫労働者と鉛の甲羅と火傷とカーネーションと聖人と白人の男と灰と蜜蜂と戦争と基金と奇跡と光輪と数学と農学と空とマスクと凧と熱と修道士とジプシー女と土星と手紙とナポレオンと包茎と……のすべてが説明してくれるのは、失恋の悲しみ、失恋の悲しみ、悲しみ、悲しみ、悲しみ。

ただ、誰にもほんとうの未来のことなど書けないし、物語の終焉を迎えたいま、土星の監視下から去った登場人物たちの未来も描かれない。最終段落に至って、それは恐しいことでもあるのですが、あえて希望と呼ぶべきことなのかもしれません。