あなたのための物語 - 長谷敏司

小説を書くワナビについてのお話でした。


あなたのための物語 (ハヤカワ文庫JA)


でしたよ。人工知能SFなんだけども、その人工知能に付けられた名前が《wanna be》で、何のために生み出されたかといえば、それは物語を書くためであって。したがってさきほどの紹介はなにも間違っていないんだ……!!


それはそうと。

このお話は「死に直面した、人工知能研究者である人間」「ITPという神経科学技術によって生み出された、身体を持たない人工的な知性」を二人の主人公として置いています。したがって、人間のもつ"自然な"人間性をそれぞれ微妙に回避し*1マージナルな部分から身体性および人間性とかいううさんくさいものを描きだそうとしているわけです。さきに言ってしまうと、そうして至る結論は、イーガンや、そしておそらく伊藤計劃よりも人間に同情的と言ってよいものだと僕には感じられました。

それはもちろん、開発段階にある技術を描いており、しかもその理想的な形を既に構想しているにもかかわらず実現できるはずの時間が残されていない状況に不条理にも陥ってしまった研究者が主人公である、そういうもどかしさから来ているところが大きいのも事実です。さらには、倫理の箍のはめ方がSFと聞いて想像するそれよりもやや不自由にも感じられるため、イーガンのような一般化された説得力にはやや欠けるといった理由にもよるのでしょう。

ただやはり、いくら技術が革新していっても、死、欲求、都市、物語(あるいは信仰という、いずれも「逃げ場」)たちが旧時代という速度のもつ慣性のままにいつまでも取り残されているさまが示されてしまうと、物語の/愛の駆動に組み込まれた《彼》は道具でも人間でもない、宙に浮いたなにものかになってしまうと考えざるをえない。物語はシーケンシャルな出来事に意味を見出すもので、それは目的のために生み出された道具にはないよ、それは死で終わるんだよということになれば、なるほど"知性"の定義はそこから発することになる、それは異種の知性として尊厳を備えてしまう……と、やや過剰に読み取ることも十分に可能な説明がなされているわけです。やっぱ人間賛歌やん。


……ちょっと言いたいことが分からなくなってきましたので別の話をします。

いきなり難癖をつけるようですが、このお話、なんだかアイデアが過剰に詰め込まれている、悪く言えば散漫な印象を受けたんですよね。最初にも書いたとおり動機としては単純なんですが、そこから思考の枝がほうぼうへ伸びまくっててストーリーというよりそれら展開された枝々の結実をひたすら見せつけられ続ける感じ。

いちいちアイデアを挙げていけばキリがないんですが、文化の慣性力であったり、プロテストとしての科学(という、皮肉にもそれは「物語」)であったり、ITPの問題にたいする主人公の出した解であったり、逃避としての物語であったり、ITPを用いた、既に記録あるいはプログラムされた情動を脳内で再現するという人工人格(ってちょっと分かりにくいですけど、仮にこう言っておきます)であったり、灰色の死であったり……エトセトラエトセトラ。それぞれが一つの大きなテーマとして扱うことのできるくらいの強度を内包しているのだけど、それらはあまり深められず、またそれほど統合されることもなく、直接的である種卑近な表現に留まっている。

このような欠点というのはじつは《wanna be》のもつ本質的な欠点(=「平板化」)としてお話の中核に据えられているものとよく似ていて、なるほどそういう構造を持っているのかという納得感はありました。


うーん、まとまらないんですが、ちょっとこのへんで、すみません、投げさせてください。再読しないと把握しきれそうにない。

とにかく相当に考える種の詰まっている、たいへん面白い小説でありました。おすすめです。

*1:肉体の死に直面することで理性的な思考から逃れるさまは、たしかに広義に「人間的」ではあるが、人格的ではない。逆に、人工知能ってのは、人格が模されているものの、人間的な肉体を持たないし、本質的に有用性を備えた道具である