自転車で帰省した話(5日目)

10月21日。

名古屋駅ちかくの素泊り2500円(トイレ・浴室共同)を出てマクドかなにかで飯を食う。出発時刻を記録していないので分からないのだけどたしか朝飯食って9時半くらいだったはず。まずは知多半島の先っちょまで行く、そしてフェリーを乗り継ぎ鳥羽へという計画。膝の痛みは大丈夫そう?しかし名古屋駅からまっすぐ南下しようととったルートがいきなりマズかった。素直に19号を下ればもうすこしマシだったんだろうけれど、その一本西の通り(名前が分からん)、高速高架の下の道を走った。ずっと左車線が工事中であった。そして港が近く工業地帯が近くなってくると(築地口駅あたりの交差点で左折したその先あたり)先ほどまでの信号機地獄から一転、大型のトラックが俄かに増え、また交差点には横断歩道がないため直進するにも苦労する*1、橋を渡るにも路肩が狭くて苦労する。

さらに悪いことに知多半島の根本あたりでそのまま産業道路に入ってしまい、しばらく走るもいいかげん恐しくなってきたので247号のほうへ退避。……と書いてみればたいへん単純ではあるけれど、ルートを変えようとしてもいつの間にやらそもそも交差点というものがほとんどなくなっていて、あってもたいへんに立体交差した歩道橋を担いで上って下りたりしなければならんという状況、交通量の多いバイパスを通ることは迷うことへの不安とある程度トレードオフであるということもあったのだろう、持ち前の優柔不断も手伝って判断が遅れ、そのぶん無駄に疲れてしまったのだった。距離にすれば20kmほどだったのだが、けっきょくここに2時間くらいかかっていた。ここまでのルートとその時に考えていた自分への言い訳を思い出しながらGoogleMapsの地図と照らし合わせてみると、なぜこんな面倒そうな道を選んだのか疑問に思う。判断力が低下していたようだ。


でもって247号線に入ってからはわりかし長閑な道であった。交通量は少なく、アップダウンもほとんどない。であれば何も問題なかったと言いたいところなのだけど、ここで次なる問題というか昨日から引き続きの問題であるところの右膝の痛みがいっきに顕在化する。平地を走るだけで痛む。尾張横須賀のあたりで、「へー、こんなところにも『横須賀』っていう地名があるのかー」などと(まだなんとかなるレベルの膝の痛みに耐えながら)呑気に思っていたところで、いきなり膝関節にゴリッというかピキッというかそんな不吉な感触が走り、最寄りのコンビニでしばらく休憩しなければならなくなったときのあの絶望感。結局サポーターの上を手拭いで縛りつけどうにか漕げるところまで痛みを和らげることに成功したのだけど、それでも痛いことは痛い。スピードがぜんぜん上がらない。師崎(知多半島の先っちょ)発のフェリー最終便が16時20分ということで当初は楽観視していたのだけど、今や「このままで本当に間に合うのか」と残り距離と現在の速度を照らし合わせることを繰り返すばかり。右手遠くに見える工場の煙突にさえ理不尽にイラつく始末。

そうやってなんとかかんとか常滑を過ぎたあたりで昼食を兼ねてファミレスで休憩。この先取り得るルートは二つ。おそらくアップダウンがほとんどないであろう海沿いの道をぐるっと回るか、知多半島の真ん中を越えて東側の海岸から師崎に向かうか。真ん中を越えたほうが15km以上(あんまり覚えていない)短縮できるのだが、膝の状態が状態でほんの少しの上りにも弱気になっていたため迷いに迷った。っていうか悠長に飯食ってる暇あるんかという気もしはじめて、結局ままよと東川の海岸まで上り突っ切る道を拙速に選ぶ。

もう片方の道がどんなだったのか分からないためこれが正解だったのかそうでなかったのかは結局分からずじまいだったのだけど、結論から言えば、思ったほど厳しい上りでもなかった。集落の合間を縫う生活道路を抜け南知多道路んを横切る陸橋を越えしばらくアップダウンはあったものの厳しい上りは無理せず押しつつ進んでいたらいつの間にか平坦な道に出ることができた。この時点で2時前くらいだったと思う。師崎まで15kmほど。最終のフェリーに遅れるなんてとんでもない。なんだけっこう余裕があるじゃねえかと気持ちが楽になったせいなのかそうでないのかよく分からないけれど膝の痛みもだいぶマシになってきて、西側の海岸からぐるりと延びてきた247号をさっきとは逆向きに進んでいることになるのだな、とか思いながら、コメリに寄って休憩する余裕まで生じる。現金なものである。


そんなふうに余裕ぶっこいていたせいで16時20分の一つ前、14時50分の便を15分差くらいで逃しつつ師崎着。この1時間半の差がこのあと響いてくるのだけれど、その時は知るよしもないというか、生まれてはじめてフェリーに乗る*2んだぜ、やっと膝の痛みから解放されたぜ、鳥羽から伊勢までは20kmほどだしこりゃなんとかなりそうだぜ、といった安堵が大きかった。師崎→伊良湖→鳥羽という乗り継ぎ割引きが適用されるのかと思いきや自転車にはその割引は適用されませんよ、輪行袋に入れればふつうに旅客運賃で乗れるんだけど輪行袋なんて持ってませんよ*3という事実にも鷹揚に構えるほどの楽観。しらす丼とか食いやがって。馬鹿なんだろうか。

そんなこんなで1時間ほど待ってフェリーに乗り込むわけだが、その時になってようやく、これはもしかしてまずいのではと感付きはじめる。暗くなってきた上に、小雨がパラついてきたのだ。そりゃそうだよな、17時くらいにはもうずいぶん暗くなる時期だし、天気予報は午後から雨ってことで伊勢に寄ろうと決めたわけだし、どちらも事前に知ってたことだよな。馬鹿なんだろうか。馬鹿だったんだと思う。15時くらいの時点ではまだ雨が降っていなかったのでこのままなんとか持ち堪えるんじゃねえかとか構えていた俺は、馬鹿だったんだと思う。そんな不安を抱きつつもまずは師崎→伊良湖のフェリーに乗る。30分ほど、自分以外に2組くらいしか乗客のいない船内、たいへん手持ち無沙汰であった。いやね、こんな短距離のフェリーに乗るんだから「おもいでエマノン」みたいなこと期待しても仕方がないことくらい分かっていたのだよ……いやでもね……うん……ごめんなさい……。三河湾の島々を眺めることができたのはせめてもの幸いであった。

とかなんとかで伊良湖に到着。雨。暗い。ここから鳥羽へ行く便はさらに1時間ほど後の17時40分発なので、乗り場の横にある道の駅に入り、マッサージチェアでボケーッとしたり自転車を点検してみたりしてさらに暇を潰す。雨。暗い。そしてフェリーに乗り込む。こちらのフェリーは1時間弱ほど。テレビに映るニュースが紀伊半島はかなりの大雨とかそんなことを言ってるけれど、そんなものは見なかったことにして、ガラガラの客席で横になって寝る。おれはもうフェリーには何も期待していない。だって日が暮れちゃって外見ても何も見えないんだもん!!!自分のやっていることがいかに無意味なことであるかっちゅう意識に支配されたりしつつ鳥羽に到着する。18時半。


……雨。……暗い。つうか雨強すぎるんじゃないのこれ。ものすごい不安に駆られながらウィンドブレーカーのジッパーを上げて真っ暗な道を走りはじめる。目的地の伊勢は20km先。これが30kmならさっさと諦めていたんだけど20kmなら気合いでなんとかなるだろうと出発する。……が……駄目だ……これ……ウィンドブレーカーだけじゃ駄目だ。というわけで幸運にも近くに見つけたコンビニで雨合羽上下一式を買うことに。

そうなんですよ。雨具さえ持ってきていなかったんですよ。ここまで一度も説明していなかったけれど、持ってきたものはといえばリュックひとつ。あんま入んないし、雨具はまあいいやと。小雨ならウィンドブレーカーで十分だろと思っていたし、強い雨が降りそうならさっさと中断して降りはじめないうちに宿見つけようと思っていた。どうしても走らなきゃいけないようならコンビニ見つけて雨合羽買えばいいやと思っていたのです。

そんなわけで、予定通りといえば予定通り、雨合羽とズボンを着こむと、自分がなんだかものすごい不審者になったんじゃないか、というか俺は何やってるんだろう感。暗くて路肩もロクにない道を走る。恐い。惨め。眼鏡が濡れてまともに前を見ることさえままならない。恐い。惨め。霧とか出てきてるしいきなり一車線になるし。こちらのライトの点滅、見えてんのかな。大丈夫かな。惨めだ。そんなこんなで夫婦岩のあるあたりをそれと知らず通り過ぎ、二見浦の駅あたりに着くまでの10kmに1時間以上かかって、泣きそうだった。ああでも合羽買ってよかった。とかなんとか。

二見浦から伊勢市駅までは、街灯がある程度あったおかげなのか、もう半分を越したという自信からなのか、それなりに気持ちを強く持つことができた……ような気がする。ような気がする。そして伊勢市駅に着いたときの卑屈な卑屈な達成感といったら!濡れ鼠の惨めったらしさとはもうおさらばや!ハッハー!!やったったで!!!

(結局この区間がこの帰省を通していちばん辛かった)

……というわけで伊勢市駅着は20時半。フェリーをまたいで、走行距離は85kmでした。次回は伊勢観光編です。

*1:こちらを参照のこと http://tanigu.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-02c0.html

*2:たぶん。記憶のある範囲では、高速艇みたいなのには乗ったことあってもフェリーははじめてだと認識している

*3:輪行袋なんて持ってったらぜったい途中で使ってしまうからと持って来なかったんだよ!!!!!