日記でした

雨が降っていたので信号の青い(緑色の)光がチカチカしていました。コンビニで温めてもらった弁当が、家に着いたら冷めていました(そのせいで、認められないものを相手に抗っている人は敗残者と区別がつかなくてちょっと悲しいなと思いました)。

とくに何事もなくこうして半年どころか八ヶ月が過ぎとくに何事もなくこうして常識的な時間に帰ってきて日記など書いており、たいそうありがたい話だ(当たり前のことと思うべきであろう)と思うのですが、どうにも書きたいこと(書きたいことそのものではなくて、書きたいということのこと)が書けなくて、帰り道に考えたことといえば、全身に浴びたチョコレートが垂れて、寒いから指先の先で固まって大変、ということくらいしかありません。

 

日記の書き方をすっかり忘れてしまいました。最近買ったものの話でもすればよいのでしょうか。

そうです、Kindle Paperwhiteを購入したのです。が、問題は今日の雨ではなく(都会では自殺する若者が増えているわけでもなく)、問題はこのキンドルタブラ・ラサ、なにか電子書籍を購入しないことには文字通りラサなタブラであり、赤子もかくやというほど無限の可能性に満ちてはいるものの、そこにかける金はなく、けっきょく満員電車に連れ出されることもなく、パソコンの前に放っておかれているということです。いや、金がまったくないというわけではない、しかしそこにないもののなかに買うべき本がたくさんあり、かつそれらがすでに買われて玄関のAmazonの段ボールのなかに入って積み重なっている、その状態でさらにこの赤子を育てるほどの余裕はない。貧乏子沢山と申します。果たしてそうでしょうか。私は避妊という、つまり、節約であって、この赤子という比喩を続けていくことに無理があったなと今こうして考えているのですが、そう、なんでしたっけ、つまり節約というものができていない結果こうして放っておかれる赤子がいる。ですから、まずはみなさま、購入する電子書籍をいくつか見繕ってから購入されることをアドバイスさせていただきまして(避妊はしましょう)、今日は筆を措くことにいたしましょう。

 

これでよいのでしょうか。日記でした。