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蜜柑食いすぎて手足が黄色かったあの頃

インターネットにいてインターネットに言及するというのは、たぶん大昔から繰り返されてきたであろうアレ、そう、たとえばサイト論をぶつテキストサイトのような、つまり末期症状ではあるわけだし、たぶん、きっとみんな興味ないはずだと僕は信じていて、興味のあるインターネットの話ってのは、きっとそう、アレなんだと思う、ちょっと前だったらキュレーションとか言ってたああいった感じのものだろうし、そうでなければ、エンジニャーのみなさんが言っている、ああいったものたちであって、それでしかない、そういったものでしかなくて、そりゃいくらなんでも素朴なインターネット信仰を振り回すのは無邪気に過ぎるとはいえ、だからといってまったく諦めてしまったような、冷淡な、ニヒリズムに陥ってしまうのは、それもまた違う、そんなふうに思っているのはなぜかといえば、あなたの見ているインターネットは、あなたと共には成長してくれないという、まずその一点がすごくすごくおもたいものとしてのしかかっているのだろうと、そう考えているんだけど、それはつまり、昔よりコミュニケーション指向になったよねっていうのは、きっと間違っていて、あなた(そして私)がコミュニケーション指向になってしまっただけであって、それをインターネットとかそういったものに押し付けるのはまちがっているわけで、それはある種の成長であるわけだろうし、いつだってどこにだって、なにか面白いことをしようとしている人はいるはずで、ただ、そりゃ母数が増えれば埋もれたように見えてしまうのは仕方のないことであって、見ているものは結局変えられないんだよと、そういうわけであって、僕はだから、インターネットが詰まらなくなったと言ってしまうあなたのことが、そりゃわかる、僕だって言ってしまうときだってあるのだけど、そうではない、阻害されてなんかいない、それを面白くしようとするのは、面白いものを見つけようとするのは個々人の、私の、あなたの問題であって、それはインターネットに関係ない、ただインターネットはおそらくいまいちばん母数の多いもので、そのうえおそらく、当分はこれ以上に母数の大きな世界なんてやってこないと思っているから、だから、だから、そうやって、幻想の、過去のインターネットに囚われて諦めるのはいけない、囚われた上でやっていくのならよい、それは徒労に思えるかもしれないけれど、すくなくともその状態のあなたは面白いはずだと、そう僕は思っていて、そう信じていて、そうだよ、たしかに面白かったのは「インターネット」そのものではなかった、それは昔から変わらないわけで、面白かったのはきっと、あなたであり、そして私だって面白かった(と思いたい)、今だって面白くあろうとしている(と思いたい)、そうだよ、そうだよってずっと言ってるけれど、だってそうなんだもん、変わるものばかり見すぎているんじゃないですかと思っちゃうわけですよ、そこにはたしかにいるんですよ、その対象は変わっていこうとも、えっ、何が変わらずにいるかって、それはそこにいるということそのものであるわけで、あなたはそうだよ、いつだって歓迎されている、すくなくとも私は歓迎している、それじゃだめなんでしょうか、ねえ、だめなんですか、ねえ、ねえ、僕じゃ不満だと、そうおっしゃりたいわけですか、そうでしょうね、あなたに手紙でも書けばいいんでしょうか、書きますよ、書いてやろうじゃないか。