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夷狄を待ちながら

先日から気になって仕方がないのだけれど、いつも彼はどうしてあんなに平然としていられるのだろう。冷徹である、と言ったほうがより正確かもしれないが、それは私の感情に寄り添い過ぎた感想で、せめてもう少し客観的な言葉を、と考えれば「平然」ということになるのだろう。
はじめて彼と出会ったのが一週間前、その冷徹さ(結局こちらを使ってしまわなければ記述が進まない)に触れたのが三日前。ここでその詳細に立ち入るのはよそう。理路が想像できない者に相対すると人は畏怖を感じるものなのだと私は信じているから、まさにその実例に出会ったということかもしれない。相手が狂人でなければ、私にとってそれが初めての対象であった。
私にとっての数学者とはたしかにそういうものに近かったとはいえ、それでも私はその適用範囲をひどく狭いものとして考えてしまっていたのかもしれない。理性しかない人間だからといって畏れる・恐れるべきものではないはずなのだけれど、それは私がしんからそのようである人間を知らなかったからだ。人間とは混乱していてしかるべきで、つまり感情とはそういうものだと言ってよく、それを「混乱」と称するのは一種の自虐であろうと思っていた。混乱というものがすくなくとも私に感じ取れる範囲で存在する人にしか触れたことがなかったのは誠に私の不徳の致すところ。
ともかく、私はその演繹の根さえも関知することのできない理性があり、私には論証の朧気な全体像さえ掴めないとなれば、私にとることのできる状況はあまり多くはない。そして私はその中でも最悪の方法をとろうと決めた。まさに今決めた。身体をい訴えかけるのである。それは広義の拷問だ。

あれからさらに一週間が経った。つまり彼と出会ってから二週間ということになる。人間理性とはたやすく敗北するものではない。少なくとも私にはそれが分かる。彼が口先だけで私を納得させ、結局のところ彼の論理に服従させようとしているのだと、私は知っている。だから私は彼に責め苦を負わせる。しかして冷徹に見えるのはむしろ私のほうなのかもしれない。表層の権力関係を崩すことは私の目的ではない。容易いことだと言うつもりはない。ただ感情だけでそれを遂行してしまっては精神的には彼の下僕となってしまう。古来から権力関係たるものはすべて理性から生まれてきた。これは理性と理性とのたたかいで、演繹の根を感情に求めることだけで私の目的が達成されるわけではない。彼のいちばんの弱点とはなんだろう。彼に肉体があることだろうか、おそらくそうではない。それはこの拷問の初日に知ったことだ。私としたことがあまりに思慮の足りない人間であったと認めざるをえない。彼はそれくらいのことはしっかり超越しているのである。べつにたいしたことではなくて、自殺者が年に何万といるこの国でそんなことは珍しくもなんともない。