自転車で帰省した話(10日目)

10月26日。

昼飯を中津あたりのラーメン屋で食うなどして13時半に梅田を発つ。今日の目標は姫路なのだけれど、出発した時間が遅いのが心配だなあと思いながら進む。前日ちょうど国道1号を走り切っており*1、次は国道2号を頼りに進むことになる。中心部はやはり信号が多く走りにくかったけれど、淀川を渡り兵庫県に入るとそうでもない。それでもさすがに車は多いんだなあと思いながら尼崎を通り西宮を抜けて行く。というか既に1ヶ月と10日くらい経ってるからかなり忘れちゃってるな。ともかく三宮あたりに着いたのが16時前だった。梅田から姫路までの90kmのまだ3分の1なのにもう日が傾いてくる時間だよ!と焦っていたことくらいは覚えている。というか、そうだそうだ、思い出したわ、この日はとにかく時間を気にしてばかりだったんだ。つまり、「ここまで2時間半もかかってるってことは……ここから5時間はかかるってことか……いやでも60kmだし……市街地を抜ければもうちょっとスピード出せ……でも膝が心配だしどうかな……」みたいな。

でもって神戸駅付近でそれまで阪神高速の高架と並行して走っていた国道43号と合流し、この「高架の下を走る広い道路」の役割が我らが国道2号にバトンタッチされるわけだけれども、その合流地点ではやっぱり歩道橋を自転車担いで上って渡るハメになるわな。そんなこんなでどんどん夕暮れの迫るなかを、広いのはいいんだけどやっぱ高架が右上のあたり走ってると陰気な感じしちゃうなあと感じながら進む。須磨のあたりでそんな息詰まる高架から解放されてからはすこし気持ちも楽になった。工事のおかげで路肩ゼロの上にガードレールまであってたいへん窮屈な交通量の多い片側一車線道路を無理矢理走らされる羽目になった場所以外はそれほど苦もなく走ることができたはず。


そうこうしているうちについに夕焼け。明石海峡大橋。17時半、ここまで50km。なんでこんなところに孫文記念館なんてあるんだろう……と思いながら、とにかく明石海峡大橋に誓って無理矢理テンションを上げモチベーションを回復させる。そうでもしなければ半分来た!という達成感よりもまだ半分ほどなのにこれからは暗くなってく道を走らなきゃいけないのかという暗い気持ちが勝ってしまったに違いない。大蔵海岸からの夕焼けもお美しゅうございました。


そのくらいになってくると、寒いしさすがに腹が減ってきて、最初は「加古川渡るまで頑張ろう」だったのが「加古川市入ったらにしよう……」になり、最終的には西明石をちょっと過ぎたあたりで「もうこのへんでいいや!!!!」とマクドナルドで晩飯をとる。18時半。もう外はすっかり暗い(明石あたりでほぼ完全に暮れていた)。ここから先はもうあまり喋ることもない。暗い道なので2日目晩のことが思い出されて恐かったからとにかく歩道は走るまいとしていたこと、そして加古川バイパスとの並行区間に国道の癖に妙な東行きの一方通行があって知らんうちに入りこんでしまい吃驚しつつ国道250号を迂回しなければならなくなったことくらいか。とにかく21時には着くんだ!21時には着くんだ!この調子ならいけるはず!とサイコンのバックライトを点けたり消したりしていた。危いものである。

そうして加古川を過ぎて国道2号(の、バイパスじゃないほう、つまり北側)を走り川を越えもう姫路駅まで2km切ってるはずなのにぜんぜん街っぽくならないぞならないぞと不安に駆られながらも気がついたらライトアップされた姫路城……の絵が見えた。改修中だったのかよ。この適当な城の絵ライトアップする必要あんのかよというわけで、21時に姫路着。ちょうど90kmの道程でした。

明かにペース落ちてる感じで落胆しつつも、次回ついに岡山です。

*1:8日目に書いたとおりかなり抜けがあるのだけども

自転車で帰省した話(9日目)

10月24日夜。

とりあえず京都に着いたはいいが、今日はけっこう走ったしまずは思いきり風呂に入りてえもんだと銭湯を探す。知ってる銭湯となると百万遍のほうまで行かなきゃいけなくて、それはそれでめんどうだなと思いインターネットに頼ってみるとどうやらすぐ近くにあるらしい。入る。っていうか年々銭湯の入浴料が上がっているような気がする。牛乳を飲む。次はコインランドリーである。やっぱりインターネットで探す。最寄りのって聖護院のほうまで行かなきゃならないのか案外ないものだなと思いながら湯上がりで少々寒いなかを走り、洗濯をはじめる。30分ほど暇だということで、御池通りを走り抜け(株)はてなへ急ぎ、セブンイレブンの前で一瞬手を合わせ「いつもお世話になっております」と念じたあとまた急いでコインランドリーへ戻る。なにごともなかったかのように乾燥。

ようやく一息ついて21時頃。京都にいたころ深夜営業してるってんでよく一人で本を読むのに利用していたおしゃれカフェへ行ってみることに。内装もそれほど変わりなく(ただ、27時まで営業だったのが今は24時までになっていた)いつも陣どっていた席に座り川端通りを眺めながらあああの頃はここでユリシーズを読んでおったと京都に捨ててきたセンチメンタルをしっかり拾いながらやっぱり本を読んだ。ちなみに店員さんとはとくに話したことがなく、こちらとしては何度も見たことのある店員さんだったけれどあちらはたぶん認識してないだろうなあと自業自得の侘しさも感じた。いや、ガンガン話しかけられても困るからいいんだけどさ!!

でもって宿泊のために心当たりのあるネカフェに向かう。途中で三条木屋町のラーメン屋(臭い)で替え玉二つも頼んだりしつつ宿泊。

***

10月25日。

某氏と昼飯を食う約束をしていたが、それまでの時間は暇だということで出町柳〜一乗寺あたりのエリアを自転車で回って暇を潰した。もう感傷はたくさんだと思った。というか、もはやそういう目でしか街を見られない自分が悲しかった。まあいい。昼飯を食い、ひたすらインターネットの話をしまくって13時。インターネットの話をしているとついつい時間を忘れてしまう。他のことでは時間を忘れることなんて僕にはできないんだ!!

そんなこんなでこの日の目的地たる梅田へ向けて出発。短かいとお思いかもしれません。いいんです、この日は昼下がりの陽気のなか川沿いをのんびりと下る計画だったんです。梅田ぶらぶらしたかったしさ!でまあ鴨川を下り、七条から上鳥羽のあたりまでは河原に道があったりなかったりでふつうに地道を走ったのだけれど、桂川との合流地点から先はしばらくサイクリングロードが整備されているので(風が強いことを除けば)かなり走りやすかった。まだ出発してそれほど走っていないこともあり、膝の痛みを騙すこともできた。へえこのあたりってこういう感じのところなのかと周りを見渡す余裕もあった。そう、ここまではよかった。

でもって大山崎というか八幡というか、つまり桂川木津川宇治川が合流しさあここからが狭義の淀川だって地点からが問題である。サイクリングロード自体はそれこそ木津川沿いに木津のほうまで行くのだけれど、目的地は梅田であるからして当然そちらには行かない。楠葉のあたりからはまた河原沿いに気楽な道がありそうなのでそこを行きたいのだが、現在地とその河原の道とを繋ぐ府道13号が狭いわりに交通量が多くなんとなく気後れしてしまいちょっとだけ苦労する。府道沿いの脇道みたいなところをちょぼちょぼ進み、再度の合流地点でどうしようと思ったら、そこから河原の道に下りることができて一安心であった。でっかい遮断機みたいのが立ちはだかっていたため最初は入れないんかいと思っていたのだけれど、どうやらそれは自動車の侵入を止めるためのものであって自転車なら開いて入ってよいようだった(工事のおっさんが教えてくれた。ありがとうございます)。

そこからしばらくはゴルフ場と淀川のあいだのジョギングコースみたいなところを走る。先ほどのサイクリングロードと同じくわりと快適……なはずだったのだけれど。恐しいことである、膝の痛みが尋常でなくなってきた。伊勢-京都の長距離をそこそこ我慢しつつ走り切ることができたのだから今日の平坦な50kmごときなんでもないだろうと思っていたのにその結果がこれ。またしても楽観がやり場のない怒りに変わる。せっかく気持ちのいい道だというのに脂汗を流しながら、休み休み走る。16時前くらいにようやく枚方という、あまりといえばあまりなペース。相変わらず毒突きながら長めの休憩をとる。

ここらあたりからいわゆる淀川河川公園。部活動に勤しむ中高生や犬と遊ぶおっさんたちを横目にもはや死んだ目をしながら走った。たいへん長い距離に感じた(実際かなり広い公園ではあるけど)。ああきっと普段走るのには気持ちのいい道なんだろうな僕だって家族をつくったら休みの日にはきっとこんなところで家族でわいわい遊んでやるんだでもそんなものは無理無理と悔しくなった。もはやルサンチマンなのか膝の痛みへの呪いなのかも分からなかった。それ以外に何も考えられなかった。てな感じで日が暮れそうなころになってようやく大阪市北区に入る。17時くらい。阪急梅田の裏あたりに駐輪所を見つけて停めて17時半。爽快な道に似つかわしくない拷問のような4時間でありました。

梅田駅の電波の通じないマクドで時間を潰し、酒を飲み(お忙しいなかありがとうございました)、ネカフェでアニメを見て就寝。次回は姫路まで。

自転車で帰省した話(8日目)

10月24日。

八時半にホテルを出発。今日は京都まで一気に行く。相変わらず膝が痛く、前日にいろいろルートを考えてみたものの、正攻法である国道1号での鈴鹿峠越えの他だと、163号で伊賀を経由するか大回りに回って関ヶ原経由で行くかくらいしか選択肢はない。前者は鈴鹿峠を行くよりもよっぽど厳しい上りがありそうだし、後者はさすがに距離がありすぎるということで結局国道1号で京都へ向かうということに決めた。まずはここ伊勢から国道1号へ復帰しなければならない。

というわけで旧国道23号にあたる三重県道37号から松坂を経由し国道23号で津まで走る。つまりこれ、おおまかに言って東海道から分岐し伊勢へ参る道を逆に進む形になる*1。とりあえずのところ膝の痛みはまだ大丈夫、それなりに快調に進む。ちなみに、快調に進んでたら進んでたで「これ、こんな自転車走らせてて何になるんだ……家で本でも読んでたほうがよっぽど実になったんじゃないか……」という邪念が渦巻くくらいの余裕が生まれてしまいもするので善し悪しだったりする。

というわけで津。そのまま進んで四日市に行きそこから1号に乗るのは距離の無駄なので、23号を離れ直接関へ向かう。三重県道42号。今落ち着いて確認してみると素直に県道10号のほう行っておいたほうが迷ったりせず行けたんじゃないかという気がするんだけど、まあそのときには何か思うところがあったのだろう。じっさい、数度迷った以外はそれほど悪い道でもなく、途中で並行する車のほとんど走っていない田んぼの間の道に入ってボケーとしてみたり、安濃川沿いをゆるゆる上ったりと呑気なものであった。そんなこんなで12時前には関に到着。何日ぶりの国道1号復帰だっけと思ったら浜松以来、5日ぶりだったりして驚いた*2。シャープ液晶の聖地亀山工場(生産縮小うんたら)を横目に見つつ昼飯。カレーライスである。

そして懸案である鈴鹿峠、国道1号では箱根に次ぐと言われる難所、鈴鹿峠へ。箱根に次ぐと脅されものすごく悲観的になっており暗くならないうちに上れるのかしらとさえ心配していたのだけど、結果的にはそこまでひどいものでもなかった。踏掛のあたりに「→旧東海道」みたいな標識があって、ほほう、自動車があまり通らない道があるのかな、とそちらへ行ってみるとなるほど生活道路、峠のてっぺんまで1-2kmというところまではそれを通ってわりかし気楽に上ることができたのもよかった。とは言っても最後の最後、鈴鹿トンネルの手前はやっぱり、押して登らなければどうにもならない感じだったけれども。そんなわけで、13時半くらいには早くも峠を越す。膝は……うむ……ちょっと痛くなってきた……


しかし、箱根とのちがいはそれだけに留まらない。鈴鹿峠の京都側には、ほとんど下りらしい下りがないのである。箱根のときにはあんなに爽快な坂があったというのに、こちらは普通に漕がなきゃ進めない上に、路肩も狭い、つまりご褒美がないもんだからモチベーションが上がらない。そんな感じでしばらく進んだあと、だんだんバイパスめいてくる国道1号に見切りをつけて、水口のあたりで地道に切り替えダラダラと走る。いかにも宿場街といったいい感じの街並みだったおかげだかなんだか分からんけれど、すこしだけ気力が回復した。で、国道1号に戻り湖南市も通り過ぎ草津に着いたのは16時ごろ。いつの間にか走行距離が100kmを超えていた。

草津駅前のロッテリア(だったと思う)でしばらく休憩したあと、近江大橋を渡る。琵琶湖広い、っていうか、わりと普通に自転車のオバさんが通ってたりしてなんとなく意外だった。もっと大袈裟な感じの橋だと思っていた。そんなこんなで大津を過ぎて、これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関ってんでちょっとだけ上り坂に耐え、ついに京都府に入る。そのまま国道1号を進むと五条通りに繋がるのだけれど、三条のほうへ出たいと思った。思ったんだけど、広い道だから東海道(国道1号)と三条通(京都府道143号)との分岐点で三条通りのほうへ行けなかった。行けなかったもんだから、どうにかしようと妙なところで路地に入ってしまった。妙なところで入ったもんだから、道に迷ってしばらく時間を無駄にしてしまった。

そんな感じだったけれどもどうにか三条通を発見し、そこから御陵のあたりをしばらく上って蹴上。見覚えのある場所までやって来た、ついに京都にやってきたんだ!という喜びにうち震えながら三条京阪土下座像まで一気呵成。「グフフ!ついに京都まで自転車で来ちゃったよ!」ともはや帰省をほとんど終えたかのような気分に浸りつつの18時半着。136kmでした。


次回は京都での思い出探し(センチメンタル)そして大阪へ向かいます。

*1:実際には、いわゆる「伊勢街道」の松坂-伊勢間は三重県道428号にあたるのだけども

*2:この他、次回書くことになる京都-大阪間(50km)でも国道1号を通らなかったため、浜松-関間の170km弱等々合わせ、国道1号の総距離543kmの40%以上をスルーしていたことになる

自転車で帰省した話(7日目)

10月23日。

引き続き伊勢。今日は神宮参拝ということで、起きて早速外宮。参拝。遷宮のためのスペースが白いシートで覆われていた。とりあえず何を願うって豊穣の神さまであるからなんとなく日本の農業についてお願いしてはみた。なんとなくで願い事とかすべきじゃないと思う。続いて昼飯を食おうとまんぷく食堂*1へ。例の「半月」でも出てきたし、地元の高校生やサラリーマンのあいだでも知られているお店だといいます。11時から開店ということをちゃんと調べておらずちょっと前に着いて入ってしまったけれど普通に案内していただきました。からあげ丼おいしゅうございました。

でもって半月の聖地巡礼はつづく。劇中では「砲台山」として出てくる虎雄山に上ってみることにする。前日オバちゃんに聞いたところでは、開発やなんやがあったけれども、ちょうど石碑のあるところだけ近鉄の土地であったため買われずに済んでおり(これはほんまかどうか分からん)、また地元の理解もあり*2、有志の手で上る道が整備されているという話だった。ありがたい話です。でもって実際に行ってみると、柵で囲まれた公園の隅に扉があり、そこから上ることができるようになっている。山道つくるって大変だろうなあと思いながら上る。膝は痛い。頂上に通じる階段の手前にちょっとしたスペース(と、宅地分譲の看板)があって、そこをぐりりと囲む手すりに絵馬が吊るしてあったり、階段を上った先、頂上の石碑の元にはプラスチックの箱に入った登山ノートがあったり。巡礼者たちの愛が感じられる絵馬やノートの書き込みに目頭を熱くしながらそこに書かれたtwitter idは見なかったことにした。それも愛。

すっかり砲台山を堪能し、次は内宮方面へ向かう。まずはその途中にある倭姫宮へ。伊勢に神宮をつくろうと言い出したのはこの人(人じゃない、いや人だが)という言い伝えがあるようで、それを祭っている。広い境内には式年遷宮美術館とかなんとか農業館もあるおうだったがとりあえずスルー。参道には人もそれほどおらず長閑できれいだった。そして続いては月讀宮へ。昨日行った外宮(豊受大神宮)の別宮である月夜見宮とおなじツクヨミさんを祭っているが、こちらは内宮(皇大神宮)の別宮。日本の神様の祭り方がようわからんで、荒御魂を別に祭っていたり*3するのなんでだろうなとか思ってWikipediaで調べてみたりした。まだまだお参りは続き、次は猿田彦神社。こちらは伊勢神宮とはまたちょっと違うんだけれども、ちょうど交通安全についてもアレしてくれるというので、道中の無事を祈った。七五三の時期だったためたくさんの親子連れが盛装して参っておられた。そんでもってようやく内宮に着く。昼過ぎという時間のせいもあり人が多い。参拝。今日は相当数の神と対峙したものだ!境内を歩いている途中で「ここではお祈りするんじゃなくて、いつもありがとうございますとお礼を言うんだよ」という話を小耳に挟んだけれどすっかり忘れていた。すいません、いつもありがとうございます >id:amaterasuoomikami 後半になるにつれて願うことも尽きだんだん無心でおじぎをして手を叩く感じになってた気がする。

でもっておはらい町・おかげ横丁へ。食った、食った、とりあえず食った。もちろん赤福(日曜日だったからなのか人が溢れておりまるでブロイラーになったかのような状況だった)も食った。おにぎりを食ったし、ここぞとばかりに甘いものも食った。たいへんな賑いであった。

そんなこんなでホテルへ帰る。っていうか前回の日記でバーみたいなところ行ったとか書いてたけど、よくよく思い出してみたらこの日だった。そんなわけで僕じしんけっこう記憶が薄れてきたようだしいいかげん皆さん飽きてきたとは思いますが、次回はいっきに京都へ向かいます。

*1:http://r.tabelog.com/mie/A2403/A240301/24000115/

*2:後述する山道の入口に「所有者の厚意により立ち入りを許可していただいています」という貼り紙があった。このあたり参照 http://jiririta.blog52.fc2.com/blog-entry-369.html

*3:じっさい外宮の境内にある多賀宮は豊受大神宮の荒御魂が祭神だったりするし、やはり内宮にも皇大神宮の荒御魂が別に祭ってあった

自転車で帰省した話(6日目)

※今回もほとんど自転車に乗りません。


***


10月21日夜。

伊勢市駅でずぶ濡れになりなにもかもが萎えてしまい、もうなんでもいいからちゃんとしたところに泊まってすっかり休もうと考えた。しかし当然のことながら宿泊の手配などしているわけもなく、とりあえず適当にインターネットで検索し適当に電話をかけることにする。どうやら23日いっぱい雨が降りそうだという予報だったのもあり、まあいいや、明日明後日は伊勢にいようと決める。金がかかるけどもう知らん……もうなんでもええ……疲れた……一番安そうなところ……一番安そうなところでしかも駅から近いところ……どっかあんだろ……。……とかなんとか言いつつも、特に苦もなく見つかった。一件目に電話したところがいきなり大丈夫そうだったのでそこに決めた。正直もうなんでもええねん。さっさと行こうってんで着いてフロントへ。フロントっていうかこれなんだろ、病院の窓口みたいやね。

「あ、どうも、さっき電話した者です」「ああどうもどうも」って出てきたのがそこらへんの駄菓子屋に居そうなオバちゃんで微妙に驚いたがそれはいいとして、そこからいきなりオバちゃん怒涛の展開がはじまる。「伊勢ははじめてですか」「あー、そうなんですよ」「じゃあお参りの仕方とかがあってですね……」外宮→内宮の順番で参らなきゃいけないこととか、恥ずかしながら知りませんでしたし、別宮や摂者末社まで含めて縁起やら祭られてる神様がどんな人(人じゃねえな)なのかってことやらを懇切丁寧に教えてくれた。正直濡れてて寒いからはやく部屋に行って風呂に入りたいなという気持ちがあったことは否定しない、否定しないが!否定しませんがそれはそれ、実際知らないことばかりですしなるほどなるほどとありがたくお話を聞いていたのです。そこでいきなり「半分の月がのぼる空って知ってます?それでこられる人ようけおるんですよ」とか言いだすオバさん。……えっ!ってなったわ。なった。びっくりした。前回言い忘れたんですけれども、正直言ってそのつもりでも来てたんですよ。知らない方のために説明すると、そういう伊勢を主な舞台としたラノベがあるのですよ。アニメはもちろん、なんか実写ドラマや映画にもなったらしい。つまり僕は「聖地巡礼」するつもりでも来ていたのですが、まさかホテルのオバさんからそんな話を聞くとは思わなかった。「ああ、はい、それもあって……」と正直に答えると、これまたイキイキとしだして「橋本先生(※作者の方)もここ(そのときオバさんと僕のいた、フロント横の喫茶店みたいなとこ)何度か来たことあって、あ、あそこに写真も」「うわっ、ホンマですね……」「それで来られたんなら資料とかたくさんありますよ」とか言いながら文庫本を一通り持って来たりアニメの原画のコピーが入ったよなファイル持ってきたりしてくれた。そして聖地巡礼に来た人との交流について語ってくれるオバちゃん。砲台山(第一巻の大事なシーンで出てくる)の塔みたいなんの下に寝泊まりして周りの草を刈った人の話とか、埼玉からママチャリでやってきた高校生が置いてってくれた自転車の話とか、聖地巡礼のために調べ上げた資料をそのまま忘れてった人のそのファイルとか盛り沢山であった。「ファンの人ようけ来られるんですけどみんな若い男の人でね。女の人は二人だけしか見たことないです、九州のほうからアニメ勉強するんやってお母さんと二人で来た子と、男の人と一緒に来た彼女さんと。橋本先生は若い男の人に訴えかけるのすごく上手なんでしょうね」等々仰ってらした。ここだけなのかそれとも伊勢ぜんたいでそうなのかは分からんかったけれども、たいそう愛されているようでした。伊勢神宮の話よりたくさん話してくれたような気がする。

そんなこんなでとてもありがたい気分に浸りつつ部屋へ行き風呂に入り寝る。


***

10月22日。

10時くらいに起床。とりあえず3日目以来洗濯していなかった服を洗わなければならない。前の日に濡れたまんまだった靴のまま行くわけにもいかんしなと思っていたところ、スリッパを貸してもらえた上になんか靴乾燥機みたいなのまで出していただいた。ありがたいことです。靴を乾かしつつ近所のコインラーンドリーへ。……いつも思うんですけどコインランドリーの乾燥機ってどれくらい時間かけたらいいのか分からんから困りませんか。そうでもないですか。ずっと本など読みながら時間を潰して、帰ってくるが、まだ靴が乾いていないようだったのでしばらく部屋でぼーっとしたりしてた。

昼も過ぎたのでそろそろ、と出かけてみることに。雨と聞いていたが実際は曇りで、拍子抜けながらもありがたい限りであった。この日は二見浦方面へ行くことにする。自転車に乗るのはもうずっと前から飽きていたので電車で向かうことにする。というか、昨日来た道を戻る形になるのがなんとなく嫌だったっていう、そういうのもあったのかもしれない。JR参宮線に乗り二駅。二見浦に着く。

二見浦になにがあるかといえば夫婦岩である。駅から夫婦岩までの道の途中に赤福があったので、おおさすが伊勢!こんなところにも赤福が!とテンションが上がりつつも赤福ではなくぜんざいを食った。赤福は明日にとっておくんだ、というより、自分……ぜんざいが好きだから……。でもって、しばらく歩くと海岸に出て、おお海だ!とテンションが上がる。赤福のときもそうだったけれど小学生みたいなテンションの上がりかただと思う。まあいいや。そうやって夫婦岩に参る。そしてすぐそばの売店でサザエの壺焼きを食う。さて、食ったはいいけれど、それだけで帰るのもなんであるから、二見シーパラダイスに入ってみることにした。イルカとキャッチボールをする子供たりやセイウチのお散歩ショーを眺めたりした。一人でも若干楽しいのが逆に癪に触りつつ1時間くらいはいたと思う。まだまだこれで帰るのもなんだな、としつこく食い下がる。とりあえず二見浦駅のほうへ歩いていくと、貝を焼いて食える店があったので貝を焼いて食った。ビールを飲んだ。満足した。

やっぱり食であるな、食は大事でありますな、と考えながら電車で伊勢市駅に戻る。まだ日も暮れていないのでどうしよっかなーってんで、ホテルへ自転車を取りに帰り、外宮は明日にとっておくとして、とりあえず月夜見宮に参り、商店街をボケーッと見てまわる。そうしてすっかり夜になったので、ホテルの近くのバーみたいなところでさらにビールを3杯くらい飲んでその日は終了いたしました。バーのマスターおよびお客さんが自転車に詳しかったりして自転車の話やらなんやらができたのが楽しかった。そんな感じの一日でした。


長くなってきたので今日はこのへんで。次回は伊勢神宮参拝。

自転車で帰省した話(5日目)

10月21日。

名古屋駅ちかくの素泊り2500円(トイレ・浴室共同)を出てマクドかなにかで飯を食う。出発時刻を記録していないので分からないのだけどたしか朝飯食って9時半くらいだったはず。まずは知多半島の先っちょまで行く、そしてフェリーを乗り継ぎ鳥羽へという計画。膝の痛みは大丈夫そう?しかし名古屋駅からまっすぐ南下しようととったルートがいきなりマズかった。素直に19号を下ればもうすこしマシだったんだろうけれど、その一本西の通り(名前が分からん)、高速高架の下の道を走った。ずっと左車線が工事中であった。そして港が近く工業地帯が近くなってくると(築地口駅あたりの交差点で左折したその先あたり)先ほどまでの信号機地獄から一転、大型のトラックが俄かに増え、また交差点には横断歩道がないため直進するにも苦労する*1、橋を渡るにも路肩が狭くて苦労する。

さらに悪いことに知多半島の根本あたりでそのまま産業道路に入ってしまい、しばらく走るもいいかげん恐しくなってきたので247号のほうへ退避。……と書いてみればたいへん単純ではあるけれど、ルートを変えようとしてもいつの間にやらそもそも交差点というものがほとんどなくなっていて、あってもたいへんに立体交差した歩道橋を担いで上って下りたりしなければならんという状況、交通量の多いバイパスを通ることは迷うことへの不安とある程度トレードオフであるということもあったのだろう、持ち前の優柔不断も手伝って判断が遅れ、そのぶん無駄に疲れてしまったのだった。距離にすれば20kmほどだったのだが、けっきょくここに2時間くらいかかっていた。ここまでのルートとその時に考えていた自分への言い訳を思い出しながらGoogleMapsの地図と照らし合わせてみると、なぜこんな面倒そうな道を選んだのか疑問に思う。判断力が低下していたようだ。


でもって247号線に入ってからはわりかし長閑な道であった。交通量は少なく、アップダウンもほとんどない。であれば何も問題なかったと言いたいところなのだけど、ここで次なる問題というか昨日から引き続きの問題であるところの右膝の痛みがいっきに顕在化する。平地を走るだけで痛む。尾張横須賀のあたりで、「へー、こんなところにも『横須賀』っていう地名があるのかー」などと(まだなんとかなるレベルの膝の痛みに耐えながら)呑気に思っていたところで、いきなり膝関節にゴリッというかピキッというかそんな不吉な感触が走り、最寄りのコンビニでしばらく休憩しなければならなくなったときのあの絶望感。結局サポーターの上を手拭いで縛りつけどうにか漕げるところまで痛みを和らげることに成功したのだけど、それでも痛いことは痛い。スピードがぜんぜん上がらない。師崎(知多半島の先っちょ)発のフェリー最終便が16時20分ということで当初は楽観視していたのだけど、今や「このままで本当に間に合うのか」と残り距離と現在の速度を照らし合わせることを繰り返すばかり。右手遠くに見える工場の煙突にさえ理不尽にイラつく始末。

そうやってなんとかかんとか常滑を過ぎたあたりで昼食を兼ねてファミレスで休憩。この先取り得るルートは二つ。おそらくアップダウンがほとんどないであろう海沿いの道をぐるっと回るか、知多半島の真ん中を越えて東側の海岸から師崎に向かうか。真ん中を越えたほうが15km以上(あんまり覚えていない)短縮できるのだが、膝の状態が状態でほんの少しの上りにも弱気になっていたため迷いに迷った。っていうか悠長に飯食ってる暇あるんかという気もしはじめて、結局ままよと東川の海岸まで上り突っ切る道を拙速に選ぶ。

もう片方の道がどんなだったのか分からないためこれが正解だったのかそうでなかったのかは結局分からずじまいだったのだけど、結論から言えば、思ったほど厳しい上りでもなかった。集落の合間を縫う生活道路を抜け南知多道路んを横切る陸橋を越えしばらくアップダウンはあったものの厳しい上りは無理せず押しつつ進んでいたらいつの間にか平坦な道に出ることができた。この時点で2時前くらいだったと思う。師崎まで15kmほど。最終のフェリーに遅れるなんてとんでもない。なんだけっこう余裕があるじゃねえかと気持ちが楽になったせいなのかそうでないのかよく分からないけれど膝の痛みもだいぶマシになってきて、西側の海岸からぐるりと延びてきた247号をさっきとは逆向きに進んでいることになるのだな、とか思いながら、コメリに寄って休憩する余裕まで生じる。現金なものである。


そんなふうに余裕ぶっこいていたせいで16時20分の一つ前、14時50分の便を15分差くらいで逃しつつ師崎着。この1時間半の差がこのあと響いてくるのだけれど、その時は知るよしもないというか、生まれてはじめてフェリーに乗る*2んだぜ、やっと膝の痛みから解放されたぜ、鳥羽から伊勢までは20kmほどだしこりゃなんとかなりそうだぜ、といった安堵が大きかった。師崎→伊良湖→鳥羽という乗り継ぎ割引きが適用されるのかと思いきや自転車にはその割引は適用されませんよ、輪行袋に入れればふつうに旅客運賃で乗れるんだけど輪行袋なんて持ってませんよ*3という事実にも鷹揚に構えるほどの楽観。しらす丼とか食いやがって。馬鹿なんだろうか。

そんなこんなで1時間ほど待ってフェリーに乗り込むわけだが、その時になってようやく、これはもしかしてまずいのではと感付きはじめる。暗くなってきた上に、小雨がパラついてきたのだ。そりゃそうだよな、17時くらいにはもうずいぶん暗くなる時期だし、天気予報は午後から雨ってことで伊勢に寄ろうと決めたわけだし、どちらも事前に知ってたことだよな。馬鹿なんだろうか。馬鹿だったんだと思う。15時くらいの時点ではまだ雨が降っていなかったのでこのままなんとか持ち堪えるんじゃねえかとか構えていた俺は、馬鹿だったんだと思う。そんな不安を抱きつつもまずは師崎→伊良湖のフェリーに乗る。30分ほど、自分以外に2組くらいしか乗客のいない船内、たいへん手持ち無沙汰であった。いやね、こんな短距離のフェリーに乗るんだから「おもいでエマノン」みたいなこと期待しても仕方がないことくらい分かっていたのだよ……いやでもね……うん……ごめんなさい……。三河湾の島々を眺めることができたのはせめてもの幸いであった。

とかなんとかで伊良湖に到着。雨。暗い。ここから鳥羽へ行く便はさらに1時間ほど後の17時40分発なので、乗り場の横にある道の駅に入り、マッサージチェアでボケーッとしたり自転車を点検してみたりしてさらに暇を潰す。雨。暗い。そしてフェリーに乗り込む。こちらのフェリーは1時間弱ほど。テレビに映るニュースが紀伊半島はかなりの大雨とかそんなことを言ってるけれど、そんなものは見なかったことにして、ガラガラの客席で横になって寝る。おれはもうフェリーには何も期待していない。だって日が暮れちゃって外見ても何も見えないんだもん!!!自分のやっていることがいかに無意味なことであるかっちゅう意識に支配されたりしつつ鳥羽に到着する。18時半。


……雨。……暗い。つうか雨強すぎるんじゃないのこれ。ものすごい不安に駆られながらウィンドブレーカーのジッパーを上げて真っ暗な道を走りはじめる。目的地の伊勢は20km先。これが30kmならさっさと諦めていたんだけど20kmなら気合いでなんとかなるだろうと出発する。……が……駄目だ……これ……ウィンドブレーカーだけじゃ駄目だ。というわけで幸運にも近くに見つけたコンビニで雨合羽上下一式を買うことに。

そうなんですよ。雨具さえ持ってきていなかったんですよ。ここまで一度も説明していなかったけれど、持ってきたものはといえばリュックひとつ。あんま入んないし、雨具はまあいいやと。小雨ならウィンドブレーカーで十分だろと思っていたし、強い雨が降りそうならさっさと中断して降りはじめないうちに宿見つけようと思っていた。どうしても走らなきゃいけないようならコンビニ見つけて雨合羽買えばいいやと思っていたのです。

そんなわけで、予定通りといえば予定通り、雨合羽とズボンを着こむと、自分がなんだかものすごい不審者になったんじゃないか、というか俺は何やってるんだろう感。暗くて路肩もロクにない道を走る。恐い。惨め。眼鏡が濡れてまともに前を見ることさえままならない。恐い。惨め。霧とか出てきてるしいきなり一車線になるし。こちらのライトの点滅、見えてんのかな。大丈夫かな。惨めだ。そんなこんなで夫婦岩のあるあたりをそれと知らず通り過ぎ、二見浦の駅あたりに着くまでの10kmに1時間以上かかって、泣きそうだった。ああでも合羽買ってよかった。とかなんとか。

二見浦から伊勢市駅までは、街灯がある程度あったおかげなのか、もう半分を越したという自信からなのか、それなりに気持ちを強く持つことができた……ような気がする。ような気がする。そして伊勢市駅に着いたときの卑屈な卑屈な達成感といったら!濡れ鼠の惨めったらしさとはもうおさらばや!ハッハー!!やったったで!!!

(結局この区間がこの帰省を通していちばん辛かった)

……というわけで伊勢市駅着は20時半。フェリーをまたいで、走行距離は85kmでした。次回は伊勢観光編です。

*1:こちらを参照のこと http://tanigu.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-02c0.html

*2:たぶん。記憶のある範囲では、高速艇みたいなのには乗ったことあってもフェリーははじめてだと認識している

*3:輪行袋なんて持ってったらぜったい途中で使ってしまうからと持って来なかったんだよ!!!!!

自転車で帰省した話(4日目)

10月19日夜。

例の会合に行くということでまずは無免許さんとこの事務所(カフェができそうなくらい綺麗だったというかここでカフェみたいなことするらしいという話を前日聞いていたがほんとにその通り快適だった)に集合し、すこしだけ紹介などされ、飲み会のお店に参ります。最近開店したらしい飲み屋さん、もちろん小さな街(失礼かしら)ですから参加者皆さんと知り合いどうしというか、そういうお店でした。「こうこうこういうことがあって飯田にやってきたんですよ」という説明をするわけですが、こと「インターネットで知り合った」という事実は若輩者の僕にはどうにも恥ずかしいことのように思えてしまうわけです。しかし無免許さんはまったく頓着なさらぬ(かっこいい)。そんなこんなで参加者のおじさまがた(僕を除いた平均年齢はたぶん僕の年齢よりも10以上上なんじゃないかっちゅう)も続々いらっしゃいまして、じゃあはじめましょうってな具合、アイツ誰だって思われてんじゃねえか俺という自意識過剰もそこそこに、じっさい飲んでみると案外ふつうに喋れるもので、というか蕎麦の使い方についての会合って聞いたけど話ほとんどしてなかったぞ!下ネタばかりだったからだ!だから馴染めたんだ!!(いや、嘘です、してました。蕎麦の話ももちろんしてました。僕が考えつくようなことはどうもまだまだ甘っちょろいなあと感じられた、つまり、実際にやってる人の話が聞けることはなんだかとても嬉しく面白かった)そんなこんなで一次会が終わり、二次会行くべえってことで二次会どこ行くのでしょう。「ムラシット君ももちろん行くよね」「は!はい!行かせてもらいます!!」→馴染みのスナックへ。

スナックでお姉さん(たいして年齢変わんないのになんでお姉さんて呼んじゃうんだ!俺様カマトトぶって、秋)たちに話すこともそんな変わんねえというか、「どこから来たんか聞いてみ?」「えー、どこから来たんですかー」「いや、それがね……」つまり自転車で東京から里帰りしようと思い立ちましてねそこでなんかついでに飯田来ねえって言われたからハイ行きます行きたいですつったら車出してもらって昨日来てそんでもって今日なんかこの飲み会に呼ばれちゃってタハハ飯田いいとこですねえ!「えー、ちょっと意味分かんない」「意味分かんないっすよね!俺も分かんないですし!たぶん誰も分かんない」とかなんとか。その他の話題:(1)飯田いいところですね第二の故郷です東京で挫折したらこっち来て住みます。(2)自転車しんどいっすよ正直もうかなり義務感っていうかアレですよしんどいだけですよ帰りたい、ああでもどちらに帰ればいいんだろう。(3)あー、同世代なんですね、同世代なんだ(敬語を使うべきかどうか迷う)、あーお笑い好きなんですか、そういえば僕も中学生のころ芸人になりたいと思ってましてね、思っててね。等々。そのうち店閉まるってんで近くにあるタイ料理屋さんに舞台を移し辛くて美味いが腹いっぱいで食えなかったトムヤムクンをそれでも食い、帰ったのは深夜1時過ぎ。


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10月20日。

さて、この日は名古屋まで行かねばならならず、前日にいろいろ調べた結果19号はクソ恐しいトラックがクソ恐しい普通車でさえ恐いのにあれを自転車で行くなぞ死にに行くようなものという話も聞きながら153号を進むのがいちばんマシということには(無免許さんや会合に来ていたおじさまがたとの話し合いの結果)決まっていたのだけれど、問題は飯田市市街を出ておおよそ30km地点にある治部坂峠。この帰省期間中たいへんお世話になった国道標高図のサイト*1で153号を見ればお分かりいただけます通り箱根峠と変わらない、いやむしろこちらのほうが厳しんでねえのってくらいの標高差。前日、無免許さんに峠のてっぺんまでは送ってくださいとこの期に及んであつかまし過ぎるお願いをして、さて当日の朝10時。駅前で待ち合わせ、大阪からやってきた姉ちゃんのやってる五平餅屋さんで五平餅を買っていただくなどしつつ一昨日の晩にお世話になったのと同じバンで峠を上る。「なんか牧場やってる人に知り合いがいてさ、結婚式でね、そこで馬を借りて乗ったんだよ」「マジすか」「テンガロンハットかぶってさ」「かっこよすぎる」とか「ここ(治部坂峠スキー場)の食堂のラーメンが飯田市でいちばん美味いラーメンで」「遠い!」とかそういう話をしながら峠の向こうまで送っていただく。ここでお別れ。無免許さんほんとうにいろいろお世話になりました。飯田たいへん楽しゅうございました。「いやー楽しかったぜったいまた飯田来ますよ」「蕎麦の種蒔きのときには来なよ、人数に入れとくから」「えっ」。ともかく、ほんとうにありがとうございました。労働力を提供しますから19日の晩にどんな話をしていたかについては黙っていてください!!


というわけで11時半くらいだったか治部坂峠(道中の最高地点)を越えちゃったんならもうずっと下りだから楽勝だぜ今日は名古屋までとかチョロいもんだぜと思っていたのだけれど、いや、いやいや、そうそううまい話はないもので。すぐ先にある赤坂峠をスタートダッシュで越えてからしばらく、急峻な坂道を下っているあいだは良かったのだけど、そこから下りも落ち着いてもういくつか小さな峠がある、そこが鬼門だった。峠じたいはそこまでひどいってものでもない、200m強を上るだけのもののはずなのになにが厳しかったかといえば、愛知県に入ったくらいから右膝の関節が痛みはじめたこと。実は前日から違和感があったのだけどたいしたことないだろうと放っていた右膝の痛みがこの有様。けっきょくこの右膝の痛みには最後まで悩まされることになるのだけれど、ともかく、山道、側道もなんもない、草が横から伸びほうだいの道を「膝痛い」「なにこれ、膝痛いんだけどこれなんなの、俺なにか悪いことした?」「膝が完璧ならこんな峠……」などとぼやきながらけっきょく最後の峠を越したのは14時もとうに過ぎたころだったはず。


そこからはわりかし快調、香嵐渓を過ぎたあたりの下りも楽しめるくらいに快調。で、その先どう進むかってえと、猿投グリーンロードという自動車専用道路の脇に歩行者/自転車道が整備されているという話を聞いたのでそれまでずっと通っていた153号を離れてそちらを通ってみることに。この時点でもはや名古屋まで40kmを切っており、膝は痛かったけれどどうにかなりそうだ自転車道とかありがたいなあと楽観していた。そしてこういう楽観はたやすくブチ壊される。実質3日目で既に何度もそういう落胆に襲われてるのにいい加減反省しろよという話はごもっともですが、それでも楽観しないとやってられないんだよ!!

で、今回の落胆は何かって猿投グリーンロード。12kmほどあるけど、自転車道だし快調に行っちゃってもしかして30分くらいで行けちゃうんじゃねえのという楽観が落胆に。なんでってな、ごっつい上るねんこれ。12kmのうち10kmくらいは上りだった。聞いてないよ……サイクリングロードってさ……ポケモンでさ……軽快な音楽がかかってさ……セキチクシティまで一直線のあれだよね……。実際にはその逆、タマムシシティへ向かう、あの自転車でも歩くスピードしか出ないアレであって、従って膝の痛みが再びダイレクトに響く。期待が大きかっただけに呪いの言葉が口をついて出る。

そうやってどうにかこうにかグリーンロードから出るとそこは万博記念公園。日本初のリニアモーターカーの実用路線だけどいまいち経営がうまくいってないことで有名なリニモを横目にしながら走る。すでに17時前。すこしずつ、すこしずつ暗くなってきた。コメダ珈琲があった。入る。これからしばらくは何度も目にするコメダ珈琲だがこのときはなんだか珍しくてつい休憩にと入ってしまった。シロノワールは頼まなかった。携帯でtwitterを見ているとハックルさんの話題がちらほら見られたのでどうしたんだろうと思って見てみると大変なことになってると興奮しながらも、外が本格的に暗くなってきたのに気づいて焦って店を出る。17時半。

このあたりからは夜道ではあったけれど、さすがに名古屋も近づいてきたとみえて街灯が明るい、調子づいてきたのか膝の痛みもずいぶんマシになってきたように感じられて、ちゃきちゃき進むことができたと思う。名古屋駅のあたりに着いたのは19時くらい。膝の痛みにほとほと懲りたがこれはおそらく次の日からも付き合っていかねばならないのだろうなと近くにあったドラッグストアでサポーターを購入したり、定食屋でビールを飲んだり、名古屋在住の方と茶をしばいたりして(お忙しいところありがとうございました!)その日はおしまい。94km。


さて次の日はどうしようかと思っているとどうやら午後から雨との予報。当初の予定通り京都に向かうとすればちょうど鈴鹿峠越えの頃に雨に遭ってしまう、これは困った、どうしたものかと考えた末に辿りついた結論が「伊勢に寄ろう!!!」。よく考えてみれば伊勢に寄るからって雨を避けられるわけでもないんだけれども、それほど遠くないし雨のなか峠を越えるよりはマシだろう、明後日も明々後日も降るとかいうんだったらどうせ進めないわけだし*2、そういや一生に一度の伊勢参りも果たしたことがないし、ついでだし、ということで「伊勢に寄ろう!!!」。

次回、知多半島を下りフェリーに乗り雨に降られて伊勢へ参る。

*1:http://www.hyokozu.jp/

*2:どうせ暇なんだしもしどこかで雨が降るようなら無理せず休もうという計画はあった