ゼロ年代の想像力

さて今日は久々にうんこの話をしようと思います。そういえばずっとうんこの話をしていなかったのでした。原点回帰です。

現在の日本で最もよく目にするうんこの状況というのは、自分の糞が、水洗便器の水のなかに浮かんでいる姿ではないかと思います。二番手としては、和式便器に積もっている姿、となるのでしょうか。下水道の普及によっていわゆるポットン便所というものが少なくなってきてはいるものの、我が実家では未だ現役ですし、それを三番手として挙げてみてもよいかもしれません。とりあえず日本で現役の便器の種類を鑑みるに、その三つに限られ、また、これらが最もなじみのあるうんこの状況と言って差し支えないと思われます。

もちろん野グソ(現代社会においては野に見つけるよりも路上に見つけるほうが容易であるようにも思えますが便宜上こう呼びます)という状態があるにはあるのですが、ありがたいことにと言うべきか、それほど頻繁ではないと思います。スカトロ的状況というのも未だマイノリティに甘んじている状況であります。ムラシットはうんこが大好きだからこれらの状況に置かれたうんこを見て大喜びするのではと考えている方もおられるかもしれませんが、それほどでもありませんよ。野グソを見た瞬間は面白さと嫌悪感が半々といったところですし、スカトロについては、そのようなAVを2度ほど目にしたことがある程度で、まああまり面白く見ることはできませんでした。その程度の人間です。


そんなわけで今回は洋式水洗便器におけるうんこ、とくに、いわゆる「健康」な状態でのうんこに注目して考えていきたいとおもいます。考えていきたいといってもこのセンテンスを書いている時点で何の計画もありません、まあ書いているうちに何か思いつくでしょう。

さて読者の皆様におかれましては、その「健康な状態で洋式水洗便器に座ってうんこしたときのうんこの姿」を想像していただきたい。どのような絵があなたの脳内に浮かばれましたでしょうか。それを踏まえて以下の文章を読んでいただきたい。

このような状態のうんこにおいて最も重要なのは、実はうんこそのものではなく、排便時に同時に小便をするか否か、という点です。つまり、それが浮いている水の色がどのくらいの濃度であるか、というわけです。これは僕の想像でしかないのですが、たいていの場合、多少は小便をする、という方が多数派ではないかと思われます。多少でも小便をするならば、いくら色の薄い小便であろうとも、元から便器に溜まっていた水に何らかの色がつく、と、そうなってしまうわけです。

そうです、先ほど想像していただいたうんこの状況、これにおいて、水が全くの無色であったというあなたは、そこで失格です。あなたにはうんこに対するリアリティが足りない。とりあえず今からうんこしてきてください。合格者の方もせっかくだから行ってきてきださい。

僕もこれから行ってきます。

あ、あと、はてなパーカー欲しい!

いきなりですが泉和良という人の話をします。

いきなりですが泉和良という人の話をします。ええと、ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、アンディー・メンテのジスカルドさん*1の筆名です。基本的にはフリーウェア・ゲームをつくっている人で、それについてはこのへんが詳しいでしょうか。

で、なんだろう、書きだしにくいな。いつもここで感想書いてる本とはだいぶ毛色がちがって、どちらかというとラノベに近いです。でもラノベじゃないよなあ。3冊出てるのですが、いずれも基本的には無職で、まだおっさんには早いかな?でも呼ばれてもおかしくないかな?というくらいの年齢の男性が主人公です。そんな本。基本的にはどうしようもない人が描いてあるような、そんな本です。

これらの本の感想を書こうと思ったきっかけは、女子高生たちがケータイ小説にたいして「リアル」って言ってるってのはこんな気持ちなのかな、と思ったからです。つまり、インターネットでうじうじしたり非モテたりしているような、屈託のある*2独身男性が感じる括弧つきの「リアル」みたいなものを感じた、ってことなのです。
エレGY (講談社BOX)spica (講談社BOX)ヘドロ宇宙モデル (講談社BOX)

話のスジはどれもそれほど変わりません。何をするでもなく一日中部屋に座っているような男性の主人公と、流行り言葉で言うところの、すこしプリントアウトな、しかも「可愛い」、ということは、男性にとっての身勝手な幻想だということなのですが、そんな女の子との共依存のような甘やかさが書かれ、傷付き傷付かれて、それを通して主人公は変わったり変わらなかったりします。いや、ほんとうは変わらないのですが、それについては後述します。そういう話ばかりです。

これだけ聞くと「えー!」とか思われるかもしれませんが、ええと、なんだろう、たぶんその通りです。いや、大事なのはむしろその通りすぎることなのです。かなり私小説的なのですが*3、とにかく恥ずかしげもなく自意識が吐露される。読んでるとイライラするかもしれません。だけどそれがいいのです。いい歳した男がこんなことを考え書いてるってのは、たぶん、ちょっとじゃなく、おかしい。てゆうか、インターネットでなにか書こうとしている人はだいたいおかしいですから(そうですよね!)、僕の日記を読んでる人もだいたい同じようなもんだと思います。だけどそれがいいのです。

僕が言っていいことでもないんですが、表現は凡庸だし、先も書いたとおり、お話じたいもそうです。そうなんだけど、いつもの逃げ口上を使うならば、せいじつさみたいなものがある。ほら、インターネットをふらふらしているときに出会う、なんだか文章も支離滅裂だし、言ってる内容も「これはひどい」なんだけど、やけに心打たれてしまう瞬間ってあるじゃないですか(あるじゃないですか論法)。あれに近い。僕はそういうものが読めるインターネットを最大限に肯定するし、だから、それを昇華させたこれらの本だって肯定するんです!するんですよ!そうやってぶちまけられた理想と脂汗と怠惰と自己弁護と、それでも理想と…にまみれた世界が、もうひとつの世界で生きていた*4はずの自分を投影したものこそが僕たちにとっての括弧付きの「リアル」なんじゃないか。

そんなんだからこそ、最後にはなにかしら希望が見えたような気がするし、ハッピーエンドに見えたりもするけれど、主人公は根本のところでなにも変わらない。だけど僕はそれを読みたいのだししがみついていたい。インターネットで表現しようとする人がいるこの、いまの、もう子供じゃない子供の、アンチ・ビルドゥングスロマンとしての青春小説だと声を大にして言うんです僕は大声で僕はぼくは

*1:http://f4.aaa.livedoor.jp/~jiscald/

*2:自分で言ってりゃ世話ないね!!!

*3:じっさいエレGYの主人公の名前は泉和良というフリーウェアゲーム作家です

*4:ここは過去形にしてみたくなりました