祖父について

実家に帰りそのまましばらく滞在しているため、ここ2ヶ月ほど祖父母とともに居る時間がとてもとても長うございます。今日はそのこと、というか、なかでも祖父のことについていくらか喋ろうと思っております。


前提は以下の三つ。

  • 私の家では父母が共働きでしたから、学校から帰ってきたときに家にいるのはいつも祖父母でした。僕が物心ついたころには祖父はもう退職していましたから。ですから、僕は祖父と一緒にテレビを観たり、風呂を焚くのを手伝ったりしていたような、爺ちゃん子、婆ちゃん子だったのです。きっと、今でもそうです。
  • ここ数年で祖父はすっかり耳を悪くしてしまい、そのくせ補聴器をつけることを嫌がるせいもあり、あまりうまくコミュニケーションをとることができません。また、最近ではすっかり体力も落ちてしまい、トイレに行って帰るだけでゼイゼイと肩で息をしています。元気がなにより自慢であった(僕がまだ幼いころには裏山に登り杉の木の枝打ちなどしていたことが思い出されます)祖父にはきっと辛いことでしょう。
  • 祖父と父はあまり仲がよくないようです。最近まで知らなかったのですが、父(末っ子長男)はどうやら、若いころは県外で働いていたものの祖父に(どのくらいのものなのかはもちろん分からないのですが)強いられて実家に帰ってきたようで、そのことについてなにか思うところがある。端的に言えば、確執がある。そんなことを仄めかすことがあります。


そんな状況で実家に帰ってきた僕ではあるのですが、祖父母といっしょに炬燵に入っているとどうしても祖父の小言などを聞かざるを得ないわけです。もちろんそれを聞いて祖父とはどんな人なのかを知るというのを目当てのひとつに帰ってきたのですから、僕としてはそれを聞くことにやぶさかではありません。

さて、祖父の話すこと。

  • 祖父は(歳をとったら誰だってそうなんでしょう)いつも、昔の自慢話をします。いかに自分が働きお金を貯めたか。いかに自分が元気であったか。それによっていかに友人たちから賞賛されたか。たしかによく頑張っていたのだとおもいます。昼間に働いていた祖父を曾祖父はさらに朝など畑仕事に行かせたことなど、いろいろ苦労したのだと。きっとその通りなのでしょう。
  • 父を故郷に帰らせたこと、そのおかげで今の職を得て安定し嫁さんも貰えたんだと、祖父は言います。父がどう思っているのか、普段の彼の言動を聞くかぎりではその通りに感謝しているとはとても思えませんが、それは父だって、きちんとそのことで話し合ったことなどないのでしょうし、僕が想像しても詮無いことでしょう。そういうものなのでしょう。
  • ちょっとだけ悲しいのは、祖父がそうやって昔の話しかできないこと。いまはもうほとんど動けないくらいに衰えてしまい今の自分について何も語れない代償なのだろうか、と考えてしまう理路そのものが怪しくもあり、それだから下らないと言い捨てようとも思わないのですが、悲しくはあるのです。
  • 先日、僕が東京に行ってしまうことに対して「そのうち爺さんがゆうとったとおりになったのう」と後悔するときがくる、との言葉をいただきました。「わしのゆうことはひとっつも聞きゃあせんけえのお」との言葉をいただきました。故郷に住み働くべきだと小言を言われてしまいました。もちろん僕にだって言い分はあります。しかし、これだって、そういうものなのでしょう。祖父と僕が見てきた世界はおそらくおおきく違っていて、いまさらどれだけコミュニケーションがとれたことでその溝を埋めることはできないのだろうなと、手前勝手に諦め聞き流す。それは祖父をたいへん馬鹿にした態度なのでしょうね。

今回こうして事実を整理もせずに並べたててみて、いったい何が言いたかったのだろうと思ってみるに、僕にとって「老いること」は、まったく不透明で不条理に忍び寄る、とても恐しいなにものかなのだということです。祖父を貶めるようなことばかり言ってしまったかもしれませんが、それでも僕が祖父のことがやはり好きなのです。だけれども、「こんなふうになってしまうのだろうか」という恐れがある。


老いることとは、忘れ、衰え、鈍く頑なになることだけではなくて、尊敬すべき部分も増える(最低でも時間に対して線形に。それらがどんな経験でさえ。)ことでもあるはずです。僕だって成長くらい、したい。それなのに父や祖父を見て肯定的に「こんなふうになれるのだろうか」と思わない。それは、肯定的なものならば「こうなりたいからこうする」が分かってきた、選択できると考えるようになってきたからなのかもしれません。出来そうもないならそれでよいと思えるようになってきたからなのでしょう。かたや否定的な面については、これはべつに祖父や父に限らず、誰だってなりたいと思ってなるわけじゃないから、つまり、どうしてそうなってしまうのかが分からないから恐しい。

死ぬことはそれで消えてしまうことです、それ以上自分というものが変化することはありません。でも老いること、ないしは「大人になること」というのは、いつだって恐ろしいことなのです。明日にはもう、いつか感動したあのお話は遠く離れてしまっているかもしれない。僕の言うことは、僕の共感する彼に通じなくなってしまって、それを当然と思うように、彼を見下すように思って、また彼に見下されてしまうのかもしれない。それが老いることだと僕は思っています。間違っているのかもしれない。きっと間違っているのでしょう。でもすくなくとも今の僕はそう思っていますし、それは経験によってしか変化し得ない。再帰的にそれは老いることへのイメージと重なってしまう。僕はきっと父のように祖父のようになって"しまう"。愛すべき、そして軽蔑すべき父と祖父のようになってしまうのでしょう。そのときにはきっと、祝福してください。