鍵のかかった部屋 - ポール・オースター

昔メモしていた短い感想をちょっとずつ膨らませてて残していこうと思う。今日はオースターの「鍵のかかった部屋」。

鍵のかかった部屋 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

はじめは「よくある『なんだかわからないけど、すごい人』のお話*1か!」なんて思ってた。無論それだけの話であるはずもないけれど、かといってそこまで複雑なストーリーでもない。むしろほとんどの読者がある程度結末を予想しながら読めるような小説じゃないだろうか。そういった点からして、これを青春小説と呼べないこともない。
いや・・・本当のところ、柴田元幸の翻訳のせいなんだろうが、村上春樹の顔がちらついて仕方がなかったからだろうな。小説家や漫画家の顔を実際に写真などで見るとがっかりすることが多いが、村上春樹というのはその中でも屈指のがっかり度でを味わわせてくれる。その顔が時折思い浮かぶということはつまり、時折本筋とは関係ないところでがっかり感に襲われるということである。やれやれだ。

ま、がっかりはともかく、そういうのが嫌いな人には全く薦められないが、好きな人にはきっと堪らない小説のはず。*2


でもってここから内容とあまり関係のない話に移ってゆくのだけれど、実は何より痛切に感じたのは、僕という人間が、ことばがことばとして記録されることなく葬り去られてしまうということに対してほとんど恐怖に近い感情を持っているということだった。
これはべつに今回がはじめてというわけでもなく、ボルヘスの「バベルの図書館」を読んだときにもたしかそんなことがあった。「たかだか何万冊という本が消えようと同じ内容の本が数え切れないほどあるんだよ」みたいな記述を読んだ後でさえ、バベルの図書館から本が次々と消えていくというのを想像しては寒々しい気分に襲われていた。・・・今でもたまに思い出してはぞっとしているし、いくらでも同じ内容の本が残ってるんだよ、と自分に言い聞かせている。そもそもこんなものただの物語にすぎないというのに、だ。

だいたい、この人間の歴史の中ですべての人がものを考えたその総量ってのはこれ、すごいな、と思う。*3

だって、例えば京都市に住むMさんが西暦2007年の10月29日に、朝起きてから夜寝るまでに考えたことってのをどうにかこうにか言葉ですべて表して本にしたとして、それってどう少なく見積もっても文庫本1冊はくだらないだろう。東京都葛飾区に住むプロボクサーKさんだって同じく千代田区に住む総理大臣Fさんだって同じだ。というかじっさい、日本じゅうの街という街に溢れかえる「あの子かわいいな」とか「あの野郎末代まで祟られやがれ」とかを集めてくるだけでもそれくらいにはなるはずだ。

そしてそのうち記録もされずに消えていくものの割合ってのは、100パーセントに限りなく近い。よくよく考えてみれば空恐ろしくなってくる事実じゃないだろうか。そんなもんアカシックレコードでさえ収集しきれんだろうに。

あああ、考えてたら怖くなってきた。やーめぴ。

*1:私的英雄譚というか、洋邦問わず、夏目漱石の「こころ」の先生に対する目線のようなものを感じる小説のこと、のつもりで言ってる

*2:・・・いや、そういうのって、村上春樹の顔じゃなくて、文体ですよ、文体。

*3:量ってどうやって計るの、とか、いつからが人類の歴史なの、とかいうのは置いといて。