なんにしても嫉妬というのは僕にとっては何かを作るためのいちばんの原動力となるのであった。

というのが、いまいち自分には、いわゆる純粋とみなされるようなモチベーションが起こらないのだな。
こういうところが僕のどうしようもないところだと思うし、つまり努力ということができない理由であるのだな。
なんかこう、言い訳がしやすいのだな!


論文作法―調査・研究・執筆の技術と手順 (教養諸学シリーズ)


といったことはわりとどうでもよくて、こんかいの話の目的はもっと違うところにある。それは、僕がいつもぶろぐで文章を書くとき気にしてしまう、いま冒頭にでてきたような「なんにしても」みたいな、無意味なつなぎの言葉のこと。どうしてかよく分からないのだけれど、これらを使わないとものすごく気持ち悪くなってしまうのだ。ふつうはこういう無意味な言葉遣いというのは戒められる対象であるわけで、周りの、自分が好きな文章を読んでみても、こういう言葉が過剰に使われているのはまず見られない。それは分かっているんだけど、いざ自分が書くとなるとどうしても挿入せずにはいられない。
それに加えて、読点をどうしても打ちがち。つい、こんなふうに、なんつーかな、息継ぎごとにね、打ってしまうんだよね。そりゃあね、うん、見た感じどうしたっておかしいよね。
何も考えずにのんべんだらりと書いていると、こんなふうに「ともあれ」やら「でもって」やらが増えて、読点が増えて増えて増えていってしまう。
自分のアタマだけで読むぶんにはたいした違和感もないのだけれど、実際にこうやってアップするに際しておかしな理性が働く。あ、ここいらないな、とか、ここって読点でつなげまくらずに二つの文に分けちゃえばいいじゃん、とか思う。たぶんそのほうが読みやすいのだと思って。

こういうことってみんなやってるものなのか?推敲というか、そういうこと。なんだか自分だけがこういう作業を間に挟まなきゃまともな文章が書けないような劣等生なんじゃないかと思ってしまう。単純に、慣れだったりするのかな。

まあ、そんなたいして面白くない話なのでした。今回の下ネタポイントは「どうしても挿入せずにはいられない」でした。