私は早熟な少年であった。彼らがその言葉*1を発しては面白がってはしゃいでいる姿を横目に一人読書に没頭していたのだった。
糞*2の臭うところには
存在が臭う。
人間は糞*3をしないことだってできたかもしれぬ、
肛門の袋を開かぬ事もできた、
しかし彼は糞*4をすることを選んだ
死んだまま生きることには同意せず
生きることを選んだからであろう
彼らの腹をそんなにも捩れさせているものの正体が一体どんなものなのか、想像もつかなかった。私にとってその言葉*5はいかなる特別な意味も持ち合わせてはいなかったからだ。
*6ゲラゲラ!ゲラゲラゲラ!!
不思議だった。不思議でならなかった。
つまり糞*7をしないためには、
存在しないことに
同意しなければならなかっただろう、
けれど彼は存在を
失ってもいいとは思わなかった、
つまり生きたまま死んでもいいとは思わなかったのだ。
それ*8は単なる排泄物の呼称でしかないだろう?彼らがそれ以上の何かをその言葉*9の内に含意させようとしているとは思えなかった。その言葉*10を発すること自体が楽しそうな彼らを見ながら私は育った。
*11うっわ!きったねぇ!!
朧気ながらその理由を理解できたのはもうずっと後のことだ。彼らはもう成人し、その言葉*12だけで可笑しがるなんてことは無くなっていた。
その理由にまで至ったことに満足した私。今では始終その言葉*13を口にしては笑っている。
彼らはだから、あんなに楽しそうだったんだ。