ねたみ・そねみ・ひがみ

この前の続き*1を選ぼうかなーとか思いなが今年後半のブクマをだらだらと眺めていたわけですが、なんかもうあれだね、みんなすごいんだよね、なんでもうさ、ぽんぽんぽんぽんあんなにおもしろいこと書けるんだろうね。アレだよ、僕みたいなてにをはのひとつひとつさえ自然に流れ出てこないようなクズ人間には思いもよらない流暢さでいいこと書きまくりさね。ムラシット先生嫉妬しちゃいます*2。S!H!I!T!*3

とはいえなんかこう、こういうどうしようもないもやもや感を出すのはかっこわるいなあと思ってがんばっていたりはするんですよ僕だって、それくらいの慎みはあります。あります、ありました、あったんだけど、新年だしどうしようもないからもうこれはもうね、この際だから思い切ってぜんぶ言っちゃう。

これはたぶんむかしわりとがんばって音楽やってたときと同じきもちで、ある程度まで自分でがんばってみると分かってくる、とりあえず現時点で持っている自分の力量と、その伸び率というものをなんとなく人と比べてみてしまうせいだったりする。人と比べるななんて、そんなこと言ったって無理さあね!無理!うんこらうなって上手になってゆくのはもちろんみんな同じなんだけど、そこで「そのことをどれだけ楽しめるか」っていうのが何より才能であって、僕にはそれがなかった。僕には自己承認以外の何かでモチベーションを保っていくことなどできない!そんな!創造というものからは!遠く!離れた!人間である!のだ!結局うまい奴はいろんなバンドから引っ張りだこヅラ!俺・・・俺・・・


んでね、さらに続けるとだね、これは当然みなさんに共感してもらえる、さらに言えばそんなことあたりめーだろうがよ!中2病みてーなこと今更言ってんじゃねーよハゲ!*4と叱責していただけるだろうという甘えからここからも書いてくわけですが、それはすなわち僕が太宰治という作家の小説を異様に毛嫌いしているのは紛れもなく中学生のときに読んだみなさんご存じ「人間失格」のせいだということ。なぜかといえば、(すくなくとも)当時の僕にとってあまりにも心地よすぎる世界、というか、自分がある意味でとくべつな人間であるという認識をあまりにも簡単に受け入れてしまっているからでなのでした。なにが!道化!だ!謝れ、飛び込み前転を3回連続でやって首根っこを痛めながら謝れ。当時の僕は、というかこれは今の僕も同様なのだけど、こんなふうに自分をとくべつな人間*5だと認識することをイコール死ぬことだと思っていて。だからこそ僕は中2病的なもの言いをあまりに心地よい危険なものとして遠ざけるがあまりそこから卒業することが今でもできなくなっているのではないかと考えるのです。

もうちょっとだけ詳しく説明してあげよう。なにかっつーと、僕にはこれはすごくいい考え方だなーと思ってずっと心の片隅にとどめていることのひとつに「何かを批判するためには、それを最大限に評価したうえで、その内側から破壊し、乗り越えなければならない(大意)」みたいなものがあって、それだのに僕じしん何よりこの「自分がとくべつである」という感情にたいして全くその実践ができていませんでした。だからこそ、そんなふうなことを恥ずかしげもなく喋ったり書いたりしている人に対してプゲラプゲラと笑って、その後で相手に対しても自分に対してもとてつもない嫌悪感を覚えるのだけど、それはつまり、その僕の人生の失敗のせいなんだろうな、とか思ったり考えたりオナニーしたりする。ともかく、僕はそういう人が苦手です。私はほかの人とはちがうのとあっけらかんと言ってしまえる人に対して妬みがひどいんです。

なんの話でしたっけ?おもしろいこと書くひとにたいするねたみそねみひがみの話のはずが違う人にたいするねたみそねみひがみの話になってしまいましたね。こういうのがいけないと言ってるんですよ!

*1:はてなダイアリーの戦後50年

*2:シャレです

*3:シャレです

*4:いちおう言っておきますが僕は家系的にハゲるほうの人間ではありません!

*5:ヴェルタースオリジナル的な意味ではなく!