百閒先生の墓に参ったこと

早朝に岡山駅で高速バスを降りたら、随分と様子が変わっていて驚いた。だからといってなにか予定が変わるわけでもなく、百閒先生の墓へ行くつもりで路線バスに乗る。高速バスの中でまんじりとも出来なかったせいか、身体がふわふわしているのかそれとも乗っているバスがふわふわしているのか、ずいぶん妙な心地がした。事前に調べておいた通りのバス停で降りると、朝の陽光がもう暑く、道路を渡り寺のほうへ向かう間にも汗が吹き出す。ふわふわした心地は相変わらずで、はあこれはやはりバスが揺れていたせいではないのだなと得心した。周りはありふれた住宅街で、朝だから道端にはごみが出してあった。そうこうしてるうちに立派な寺に着いた。

寺までやって来たはいいが、そもそも墓地の場所が分からない。寺の玄関を掃いている奥さんに尋ねればよいのだろうが、こんな朝っぱらから百閒先生の墓を訪ねるこんな風体の男なぞ、奥さんだって不審に思うだろう。そう考えたから、知らんふりをして横の道を上り、最近できたばかりのぴかぴかの墓地を抜けてみると、その先に、いかにも古そうな墓地へとさらに上る道が見つかった。おそらくここだろうだと見当をつけて歩いていくと、そこらへんで風が吹いて、これでようやく涼しくなったと安心した。ふわふわはいつのまにか収まっていた。

坂を上り切ると辺りが開けた、なかなか眺めの良い場所であった。眺めが良いのはいいが、いくら探しても目当ての墓が見つからない。前日に調べたところでは、内田百閒と彫られた立派な墓石の写真が載っていたのだけれど、どうもそれらしい場所が見つからない。あんまり人の家の墓にずかずかと入りこむものでもないと思ったから、あっちの墓へ行くにも遠まわりをし、こっちの墓に行くにも遠まわりをしてとしているうちに、サンダルを履いた足の親指が蚊に刺されてしまった。それでふと気がついたのだけれど、先程から蝉の鳴き声ひとつ聞こえない。ざりざりと自分が地面を踏む音しか聞こえてこない。後ろめたい気持ちがようやく湧き上がってきたが、せっかくここまで来たのだから見つけられぬまま帰るのも癪だというのが勝り、もういちど墓地の端から順に調べていくことにした。

さっきから音もなく吹いている風がだんだんと冷たくなってくるような気がしてくる。ようやく見つけたのは、墓地のずいぶんと端、そこだけ墓石の正面がそっぽを向いており、その上狭く、まさかここではないだろうと決めてかかっていた場所であった。失礼しますと入ってみると、百閒先生ひとりの入った墓石はそこになく、夫婦と息子でいっしょの墓に入っておられた。正面には二人ぶんの戒名が彫られており、横面に栄造、その脇に小さく百閒、昭和何年なんやかんやと彫ってあったおかげでそのことが解った。ようやく実感が湧いてきて、手を合わせ目を瞑って「いつもお世話になっております」と呟いてみる。墓前で世話になっているもなかろうが、他によい言葉も見つからない。目を開けた途端にひときわ強く冷い風が吹いて、それから突然耳のなかが通ったように虫の声が聞こえはじめる。墓地の坂を下り切ると、さっきのふわふわした心地がまた戻ってきて、急にまた蒸し暑くなったように感じられた。ふわふわしたままバスに乗る、バスのせいではないと知っているから安心である。そうして岡山駅まで戻った。