中二階の神さま

私の生まれ育った町には奇妙な風習があった。家を新しく建てるとき、必ず中二階を造らなくてはならない、というものだ。町に団地なんてものはなかったから、従って殆どの家に中二階があったということになる。そしてこの中二階(の小さな部屋)が何に使われるのかといえば、「おっさんを泊めるため」としか言いようがない。そう、あの町には奇妙な風習とともに、奇妙なおっさんが住んでいたのである。

さて、いま私は「おっさん」と言ったけれど、町の人々はみな彼のことを「神さま」と呼んでいた。もちろん私も、かの地に住んでいるころは、やはり彼のことを「神さま」と呼んでいたのだ。したがって、ここからは彼のことを「神さま」と呼ぶことにしたい。

記憶のかぎりでは、私がはじめて神さまを見たとき、彼はだいたい五十歳くらいで禿頭、夏だったからステテコにランニング、そんないかにもおっさん然とした姿だったと思う。それは神さまが我が家の中二階に六年ぶりにやってきた日らしく、つまり、私が生まれて以降はじめてのことだった、ということになる。ずいぶんと後になって兄から、あの日お前は玄関から入ってきた神さまにひどく怯えていたよ、なんて言われたれど、たしかに怖かったのだ。家にいきなり知らないおじさんが入ってくるわけだから、当たり前じゃないか。そう言い返すと「まあ、最初は誰でもそうだろうけどね」と笑うのだった。たしかその時に、父に「あのおじさんだれ?」と聞いたはずなのだが、ああ、あれは神さまだよ、今日からしばらくうちにいるから、失礼のないようにしなきゃいけないよ、とかなんとか、そんなことしか教わらなかったはずだ。

ふだんの神さまは、人の目には見えない、らしい。町の誰もが神さまのことを知っていたようだけど、彼の姿を見ることができるのは、とつぜん玄関が開き、神さまが中に入ってきたときだけ。神さまが一度その家に入ると、だいたい一ヶ月ほどその家に滞在することになる。タダ飯を食い、寝て、それからある朝、家から出たと思うと、そのまま帰ってこない。そういうことが、ごくたまにだけれど、誰の家にもある。

その時々で神さまがどの家にいるかという話は、大人の口からは出たことがなかったし、友人たちとの会話のなかでもあまり聞いたことがなかったように思う。昨日見たテレビについてだとか、話さなければならないことは、他にもたくさんあった。どこの家にもやってきているらしいというのは、たしかに友達から聞いた話ではあるし、親もそう言っていたが、「そういうものだ」としか思われていなかったようで、さほど興味の対象でもなかった。かく言う私も二度目の来訪より後はそれほど気に留めることはなかったし、友人にわざわざ話したりもしなかった。不思議な話ではあるけれど、今にしてみれば、そんなものは取るに足らない日常であると無言のうちに強いられていたようでもある。数年に一度のこととはいえ、両親とも(私の家は――他の多くの家と同じく――両親ともこの町の生まれだった)とくに何の感慨もなく、当たり前のように神さまに朝夕のご飯を供していた。神さまが家からいなくなると、「あら、いなくなっちゃった」と母が言うくらいで、せいせいしたようにも見えないし、かといって残念がるわけでもない。そんな感じだった。

神さまは無口だった。そもそも、朝食を食べるとすぐに外へ出て、見えなくなり、夜になると帰って夕食を摂り、寝るだけの生活をしているから、喋る機会もそれほどない。つまり、機会があるとしてもそれはご飯を持って中二階へ上がったときくらいで、それにしたって「元気でやっていますか」(なぜか彼はいつも丁寧語で喋っていた)「ええ、まあ」というくらい。いろいろ聞きたいことはあったけれど、やっぱりどうも、聞きづらいというか、聞いてはいけないことのような気がしていた。一度「いつも何をしてるんですか」と私が聞いたとき、微笑んで私の後ろのほうを見つめたあと、ご飯の乗った盆を持ってくるりとむこうを向いてしまったことがあったのを覚えている。もし立ち入ったことを聞いてみても、同じような反応をされたに違いない。

そんなふうだったから、大学生になり町を出てそのまま帰ることもなくなった私にとって、神さまの印象というのは、すごく薄い。たった一つの、あの思い出を除けば、だけれども。

***

その頃私は高校生で、はじめての恋人ができたばかりだった。町にはたったひとつしか高校がなくて、私はそこへ行っていない珍しい子供だった。だから、その彼も町の外の人だった。

そしてその日。両親と妹は旅行で不在(いちおう付け加えておくと、兄はその頃県外の大学へ行っており、盆と正月以外に帰ってくることはなかった)。そうなると、恋人を自分の家に呼びたくなるのが人情というものだろう。いや、さも一般的であるかのような言い方をするのはおかしいのかもしれない。少なくとも私は、焦っていたのだ。そういう年頃だった、ということで勘弁してもらいたい。ともかくも、友人にこれ以上馬鹿にされるのも飽き飽きしていたから、呼んじまおう、やっちまおう、とか、そんなことを考えていた――考えていたのだけれど。ただ一つ気掛かりなことがあった。

一週間ほど前から、神さまがうちにいる。どうしよう。

神さまのことなど一度も彼に話したことはなかった。そもそも、今回の来訪までここ何年も見たことがなかったし、その頃にはもう、そんな話をして気味悪がられちゃたまらないと考えるくらいの「常識」は持ち合わせていた。それは、町の人だけの秘密にしなければならない。

けっきょく、以下のような計画を立てた。まず、神さまが家に帰ってくるまでに私も一度家に帰り、その間恋人には適当な理由をつけて近所のファミレスで待ってもらう。神様が帰ってきたら(だいたい夕方の五時半ごろ)ご飯をあげる。そうすればこっちのもので、神さまは夕食を食べるといつもすぐに寝てしまうから、あとは愛しい彼を迎えに行くだけ。中二階の部屋は物置だとでも言えばいい。完璧な計画だ。そうして金曜日、明日うちに来こないかと誘ったら、二つ返事で行く行くと言ってきた。ああ、完璧な週末が待っているに違いない。そして、実際のところ、計画通り、なにもかも上手くいったように思えた。そうして、近所のレンタルビデオ屋で借りてきたビデオを二人で観て、それが終わったときには、もう10時だった。そうやって、「いい雰囲気」になってきた、ちょうどそのとき――

神さまが中二階から降りてきた。

先に気づいたのは彼のほうだった。目線を逸らし、私の体から離れたかと思うと、「あ、そろそろ電車なくなるから帰らなきゃ」と慌てている。どうしたのかと振り返ってみると、リビングとキッチンを繋ぐ敷居のあたりに、神さまが立っていた。何も言わず、ただ立って、こちらを見つめていたのだ。禿頭で、ステテコにランニング。五十くらいのおっさんが、そこに。

その日はそれでおしまいだった。彼はすぐにうちを出てしまった。メールであれは父だと言い訳をした。

そうして、彼とはその後ほどなくして別れた。この件がどれほど関係していたのかは分からない。高校生の恋愛なんてそんなものだとも言える。ただ、彼が家に来た日の翌朝、(問いつめてやろうと思いながら)神さまに朝食を持っていったとき、「彼はやめておいたほうがいいよ」と呟いた、あの一言がずっと気になっている。何も言い返せなかった。神さまが中二階の部屋から出てきたのを見たのも、あれが最初で最後だった。

***

今でもときどき中学の同窓会なんてものがあって、アイツとアイツが結婚しただの、そんな話ばかりしているなか、私は「神さま」はどうしているかと聞いてみる。二児の父と母として仲睦まじく暮らすSちゃんとKくんは、顔を見合わせ、「そういえば最近はうちに来てないなあ」「そういえばそうだね」なんて言って、話をはぐらかすかのように――と感じてしまうのは意地が悪いのだろうか――彼女は続ける。

「あなたもこっち帰って結婚すればいいのに、大丈夫だよ、そしたら相手なんてすぐ見つかるから」