序 - 矢澤にこ先輩について
今日は「ラブライブ!」というアニメーション*1の登場人物である矢澤にこさん(図1)というキャラクターについての話をします。
(図1)
正直、ちょっと悩みました。この話をすることが政治的に正しいかといえばそうではないかもしれない。現代日本において自らの暴力性に無自覚なオタクは罪だ。こんなことを言ってもいいものなのだろうか……そう考えた末に、それでも、ひとつのまとめとして、醜い自己を理解するための一助として、私はここに書き残しておきたいのです。
矢澤にこさん(図2)というキャラクターがいます。
(図2)
矢澤にこさん(図3)というキャラクターがいます。
(図3)
そうなんです、矢澤にこさんというキャラクターが非常に良いのです。ここではひとまず、「良い」という表現を使っておきます。かわいい、というのはもちろんそうなんですが、それ以上のものがある。うまく説明できない。たとえば、その要素のひとつとして「あこがれ」のようなものがあるかもしれません。たとえば「気高さ」みたいな言葉で表現できるのかもしれません。……彼女がどんなキャラクターなのかを説明しはじめるとたいへん長くなってしまいますのでここでは割愛しますが、そういった複雑な感情、すくなくとも、自分で言葉を発明しなければ表現できない程度の感情があるんです。
たとえばと挙げた「気高さ」というものがなにか、私にはわからないのですが、ひとつベタな形態として「顔で笑って心で泣いて」というものであるのかもしれません。いつもはおちゃらけたキャラクターだ、いつもは人一倍強い子なんだ、でも、だからこそ彼女は感情を他人に見せようとしないんです、彼女はきっと、他人のことを信じていない。いや、信じていると自分では信じているのだけれど、信じていないからメインヒロインになれない。かもしれない。いやきっとそうなんだ。なあ、にこ先輩、そうだったんじゃないの?
破 - 一般化不憫混合モデル(GPMM)
「きっと、お話のなかでは信じていたんでしょうね、きっとね」なんて、彼女のことを(そしてこれから説明する「不憫」なキャラクターたちのことを)人を信じられない人間(キャラクターを信じられないキャラクター)だと主張するなんて、ひどいことだと、すくなくとも僕は思うのです。まんがいちそれが「ほんとうの」人間だったらば、そういった行為がどうしようもないクズみてえな行為だということを誰もが知っている。……では、想像上の少女の内心を忖度することはどうなんでしょうか?架空少女の心の裡なんて誰にもわかりやしないのだから、正しいものなどひとつもなくとも、ただ尤もらしい解釈というものはおそらく存在し、その妥当性を問うことはできるが倫理的な問題ではない。そういう考えかたなのでしょうか。これは信念の問題なのかもしれません。が、そのうえで愛しているのだからという自分勝手な醜さをもって、僕は彼女たちの内面を忖度して、最大限に悪意をもった貧困な想像力をもって「不憫」だって、まだこの時点になってさえ、飽くなき追求の手を僕は緩めない。
だって、疼くんですよ、僕のなかの暗黒の血統が疼くんです、彼女が涙を見せるのは、最終的に信じたからじゃない。でも最終的に信じられたからでもないと俺のゴーストが囁くんです。 ……ほんとうでしょうか?「私にはこういう形でしか決着をつけられなかったんだよ」という醜さが「気高さ」なんでしょうか?。「あこがれ」る原因なのでしょうか?さっきと同じこと言ってる気がするな……?
……これはべつに矢澤にこさんだけを心の裡に想定しているわけではありません。最近のアニメーションから例を挙げるならば、櫛枝実乃梨さん(図4)であったり、
佐天涙子さん(図5)であったり、
谷川柑菜さん(図6)であったりに対しても似たような感情を抱くのです。
One-to-manyのマッピングです。とくに谷川柑菜さんに関しては、本編のアニメーションの内容を正直あまり覚えていないというか、「(これは)柑菜さんだ」と気がついてからは、本編を見るのさえやめてしまいました。もともとのお話がどうなっていようと、いちどラベリングされてしまえば恐しいことに、彼女は、彼女たちは私のなかでの評価を覆すことができなくなってしまう。残酷な話だと思いますか?そうではありませんね、態度のなっていないお前の敵が私、こいつはまた!ゴミクズみたいな人間だという!それだけの話ですね!!
Q - YOU CAN (NOT) REDO
「当て馬ばかりが好きなんですね、趣味が悪いなあ。ヒロインに寄りつけないことの代償行為なんですよね。気持ち悪いですよ?」
「……今の君みたいにネチネチと嫌味を言いつつも見捨てはしないでいてくれる人を想像しているんだから、そんなの仕方ないだろ」
「そんな彼女を救えるのは自分だけだと陶酔するんですか?そんな彼女が大学を卒業して社会に出た金曜日の夜に大衆居酒屋で煮込みを頼みつつビールを傾けるそばで愚痴を聞いていたいと思うんですか?……最低……ですよね?」
うん、最低なんだ、すまない。これは両輪のうちの片方に過ぎないんだけど……と言い訳してみても仕方がないね、事実としてそこにあるんだから。そこだけ都合良くOne-to-oneなんだ。いきなり女性キャラクターを登場させてツッコませるスタイルをとることで幼稚な客観性を担保しようとする姿を何度となく見てきたというのに、「それでも君はそれを続けようとするの?」
当て馬あるいは噛ませ犬は当該物語内において大団円に関わってこない。というか、それこそが彼女の定義で存在意義でもあるがゆえに好き(好き?)になってしまうのだからどちらが先か分かったものじゃない。いや、わかってるんだよ、わかってるんだってば、これが一種の蔑視であり安全圏から二次元の少女に対して余裕綽々の視線を送っているだけだろう巫山戯るなというあなたの言い草はまったく正しいのでそこはすみません、ブックマークコメント、Twitterのリプライ等でいただけましたらと思います。思うのです。
かつて感じた、もうやり直せない烙印がこの頭皮にあります。
次回 シン・不憫少女劇場版:||
そして、話を気高さに戻さねばなりません。いったいそれは、ほんとに気高さだっていうんでしょうか。なにかちがいませんか?たとえばラブライブ!ならば、ほんとうの(一般的な?)気高さというのは高坂穂乃果さんを指すべきじゃないかという話はある。しかし彼女が一人独立しているでしょうか。僕にはそう思えなかった。そして見方によっては矢澤にこさんだって一人で独立していないと主張したい方だっておられましょうて。しかしだな、そうじゃないんだ、そうじゃないだろう。すくなくとも彼女はそれを認めないぞ。人前では認めないだろう。そして自分でもそれを信じていないだろう。最後には、信じていなかったことに気がついてすべてを失ってしまってから気がつくんだろう。
にこにー妄想を書き連ねてみる、でもって、否定してみる。ローカルファイルにそんなものが積み重なってゆく。誰もがいちばんのにこにー好きになりたいのかもしれない、それがサブキャラの運命なのだろうか、そして、僕はその列車から降りることができるのだろうか。
一度知れば、あとは彼女が仮面を被っている姿だけを見ていたい、それは一種の独占欲?なのかにゃー??
※以下参考資料です
http://sakasakaykhm.hatenablog.com/entry/20110528
サカウヱさんによる「不憫かわいい」という概念の誕生について
http://d.hatena.ne.jp/sfll/20081107/p1
死体性病氏によるみのりん
佐天涙子さんのSS(大丈夫!2ちゃんまとめだよ!)
https://www.google.co.jp/search?q=%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E6%9F%91%E8%8F%9C&tbm=isch
はい、谷川柑菜さんの画像です。
……あっ、以上です。
*1:もともとがアニメというわけではないのですが、ひとまずそういうことにしてください