『文体の舵をとれ』練習問題(4)「重ねて重ねて重ねまくる」

問一:語句の反復使用

一段落(三〇〇文字)の語りを執筆し、そのうちで名詞や動詞または形容詞を、少なくとも三回繰り返すこと(ただし目立つ語に限定し、助詞などの目立たない語は不可)。(これは講座中の執筆に適した練習問題だ。声に出して読む前に、繰り返しの言葉を口にしないように。耳で聞いて、みんなにわかるかな?)

 ババア、花の供えられた墓石、墓石と萎びた菊、黄色と白の花と同じ色の砂糖菓子と墓石(ババアの来し方)、蝉の止まっているらしい桜(声の主は見えず)、持ち慣れない水桶が揺れて水滴が跳ね、幹から密度の薄い葉々の向こうに寺の漆喰壁、屋根、鱗雲と傾いた日に通路を挟んで墓石(蚯蚓の死骸と乾いた苔)、花の供えられた墓石、それから墓石(蝉の抜け殻と川村家之墓)、水桶を置き(日の光と水滴が跳ね)、裕樹の名前はあの石版にあるか、柄杓で水を掬い(跳ね)、花立に注ぎ(跳ね)、あとで見てやろう、仏花を挿し(最安値の菊束を、慎重に)、面倒でも線香くらい持ってくるべきだったか、手を合わせる(戒名、なに童子だろうか)。

問二:構成上の反復

語りを短く(七〇〇~二〇〇〇文字)執筆するが、そこではまず何か発言や行為があってから、そのあとそのエコーや繰り返しとして何らかの発言や行為を(おおむね別の文脈なり別の人なり別の規模で)出すこと。

やりたいのなら物語として完結させてもいいし、語りの断片でもいい。

 いわゆる「名送り禁止法」の法案可決が濃厚となり、この夏で最後となるであろう名送りの様子を、兵十は橋の上からぼんやりと眺めていた。ここ十年ほどのひどい赤潮は川に流された名前が原因であるとの報道、それからはじめは漁師たちのあいだで、次いで環境活動家、それから全国へ廃止運動が広まり、このような顛末に至るまで三年とかからなかった。名送りの様子は昔もいまも変わらない。それなのにこんなことになったのは、なにより海のむこうからやってきた最新鋭の刳り機のせいだろう。名を刳り付け替えるのに熱心な人間がずいぶん増えた。似た風習のある別の国では、刳った名を土に埋めると聞く。それを不浄として流すのは、山と川ばかりで平地の少ないこの国ならではか。それでも国は各地での名埋め地の造成を急ピッチで進めている。こちらはこちらで反対運動も厳しいと聞くが、赤潮被害の深刻さを考えればやむなしというのがもっぱらだ。自分の家の近くにできるわけではないのなら、と。

 それにしても、これで見納めとは。兵十にはどうにも実感が湧かなかった。河原では男女数人のグループが、次に付ける名のことで盛り上がっているらしく、その声がこちらまで聞こえてくる。互いに名を贈り合うつもりらしい。そういうことはやめておけ、自分で付けるものなのだと、大人たちから口すっぱく言われてはいるはずだが、年頃ではある。そういう子供は少なくない。すぐに後悔し、こっそり親につれられてやってきた子供たちの新しい名をまた刳るのも——例の刳り機のおかげでずいぶん減ったとはいえ——やはり兵十の仕事であった。十五になって親につけられた名を送るこの風習は、それでも自立への第一歩なのだ。それがなくなるとしたら、どうやって大人としての自覚を持てるというのか。

 先ほどの若者たちのぶんも含め、たくさんの名前たちがほの灯りとともに下流に進んでいく。会社員生活で身体をこわし、入院中に読んだ雑誌の隅に見つけた刳り師の話を読んで、合わない仕事に見切りをつけこの世界へ入ろうと決めたのが四十過ぎ、それから歳下の師匠に弟子入りしてから二十年。なんとか我が子を大学までやれたのは、兵十のぶんも妻が稼いでくれたおかげだ。いまでも妻には頭が上がらない。それでも我が子の名を自分で刳ってやれたのは、兵十の密かな誇りであった。

 職人というのはなんでもそうだが、刳り師にも繊細さと大胆さの両方が求められる。怖気付いて小さく刳ればもとの名前が悪さをするし、かといってエイヤと大きく刳ると新しい名前のひっつきが悪い。ちょうどいい塩梅を見極められるようになるまで、師匠には何度も叱られた。はじめはそこいらの花や虫の名を刳って練習するのだが、やつらは自分で名前をつけることもできないから、二、三日のうちに死んでしまう。名もなき花や虫たちが、だんだん覇気がなくなっていき、内側から腐るように死んでいくのだ。はじめのうちはそれが嫌で、刳るたびに新しい名前を付けてやろうとしたこともあった。ただ、毎日練習のために新しい名前を考えるのは刳る作業よりずっと骨が折れることだった。だからそのうちやめてしまった。そうやって何年も修行して、ようやく人間を相手にする。刳り師にとっての卒業試験というやつで、自分の名前を刳って、それから別の名前を付ける。一度で済むことはまずない。刳り師の界隈では、はじめて刳ったあとの名は決まって「一」とするという。元来おおざっぱな正確であった一は、どうやらひどく大きく刳りすぎたようで、その前の名前といっしょに刳ってしまったなにかは、兵十となったいまでも戻ってこない。刳り師ってのはみんなそういうものだと師匠は笑っていた。それに続けて、九度繰り返しても認められなかったのは、あんたが初めてだ、とも。そんな回数繰り返すような奴のために決まった名なんてない。だから兵十というのは、十度めの試みの際に自分で考えた名だった。結局師匠はしかたないとでもいうように認めてくれたし、実際そのあとすぐ独り立ちしてから今まで、ひどい失敗をすることもなかった。ひどく運が良かっただけなのかもしれない。

 修行していたころのことを思い出すなんて、ずいぶん久しぶりだ。そのせいだろうか、兵十のなかにある抑えがたい気持ちがふと湧いてくる。そうだ、おれというのはこの名前こそがほんもので、それを入れる身体なんてものは、いつ捨てたってかまわなかったんだ。だったらどうだろう、今ここで、それを試したっていいじゃないか。そう思うや、兵十は肌身離さず持ち歩く鞄から仕事道具を取り出す。名を刳るのではない、この身体をきれいに脱ぎすてるのだ。それから――

 誰かが落ちたぞ、という声が耳に届く。もう「誰か」でもなんでもないだろうと、男は笑いながら、暗い流れに身を任せる。