『文体の舵をとれ』練習問題(6)「老女」

今回は全体で一ページほどの長さにすること。短めにして、やりすぎないように。というのも、同じ物語を二回書いてもらう予定だからだ。

テーマはこちら。ひとりの老女がせわしなく何かをしている──食器洗い、庭仕事・畑仕事、数学の博士論文の校正など、何でも好きなものでいい──そのさなか、若いころにあった出来事を思い出している。

ふたつの時間を越えて〈場面挿入(インターカット)〉すること。〈今〉は彼女のいるところ、彼女のやっていること。〈かつて〉は、彼女が、若かったころに起こったなにかの記憶。その語りは、〈今〉と〈かつて〉のあいだを行ったり来たりすることになる。  この移動、つまり時間跳躍を少なくとも二回行うこと。

一作品目:人称―― 一人称(わたし)か三人称(彼女)のどちらかを選ぶこと。時制――全体を過去時制か現在時制のどちらかで語りきること。彼女の心のなかで起こる〈今〉と〈かつて〉の移動は、読者にも明確にすること。時制の併用で読者を混乱させてはいけないが、可能なら工夫してもよい。

二作品目:一作品目と同じ物語を執筆すること。人称――一作品目で用いなかった動詞の人称を使うこと。時制――①〈今〉を現在時制で、〈かつて〉を過去時制、②〈今〉を過去時制で、〈かつて〉を現在時制、のどちらかを選ぶこと。

なお、この二作品の言葉遣いをまったく同じにしようとしなくてよい。人称や動詞語尾だけをコンピュータで一括変換してはいけない。最初から最後まで実際に執筆すること!  人称や時制の切り替えのせいで、きっと言葉遣いや語り方、作品の雰囲気などに変化が生まれてくる。それこそが今回の練習問題のねらいだ。

三人称、現在時制

石畳に火花が爆ぜる。刀身実に六尺の大剣が地を削り、杖突き歩く老婆を狙う。一弾指、足元も覚つかぬと見えた標的は腰を撓り、鉄塊がその鼻先を掠める。だがそれも承知の上か、刺客はすぐさま得物を翻し、今度はまるで木の枝でも振り回すかのように、左から右へ、右から左へと打ち込みに転ずる。それでも老婆には擦りもしない。か細い杖一つで大剣を往なす彼女は、既にその太刀筋を知り抜いているとしか思われぬ。

それもそのはず、瞬く形勢から過去の記憶を呼び起こし、呼び起こした記憶そのままに、敵、そして自らさえも操る能力者、かの《記憶の模倣者(メモリ・トレーサー)》とは彼女のこと。こたび呼び起こさるるは三十余年を隔てた襲撃の記憶。目前にはあれと見紛う大男、これと見紛う大男。どちらが「いま」か、どちらが「あの時」か、つまらぬ区別など最早彼女には意味をなさない。寸分違わぬ呼吸、寸分違わぬ軌道の一太刀一太刀に、通暁を尽くした型をなぞるが如く、彼女は泰然と応じてゆく。

これ以上は切りがないと悟ったか、襲撃者も立て直すべしと決めたらしい。締めの一振りを大きく外した勢いがそのまま、身体ごと右回りに後方へ飛び退く。しかし、《メモリ・トレーサー》がその隙を見逃すはずがあろうか。老婆の手元に何やらぎらりと見えたその刹那、既に彼女は五十六年前の記憶の裡に立っている。見れば、ざんばら髪に隻眼の、ひょろりと伸びた美青年。巨躯に大剣の醜男とまるで形は違えども、肩口そして太股の肉に固さが見える。然らば彼女が追うべき動きもまた、毫と違わぬはずだ。仕込み刀に虚を突かれ、二間の縮地に怯え切り、三度の刺突に体幹を崩した男には、敵が左の手に取った一丁の手筒にさえ気付けまい。

銃声が響き、巨漢と鉄塊はともに地に伏す。止めの瞬間に何を思い出したのだろうか、対する老婆は慄然と立ち尽くし、目を潤ませている。

一人称、今=現在時制/かつて=過去時制

顔を上げれば、ほうら、馬鹿みたいにおおきな剣が地面を引っ掻いて、ものすごい勢いで——いや、ひどくゆっくりと、こちらに迫ってくるのが見える。またお客さんかい。やれやれとわたしは腰を反り、それから空を仰げば、馬鹿でかい剣の切っ先が前髪をかすめる。あの年はひどかった、厄年だったからだろうか。あのときもやっぱり、馬鹿がひょっこり来たのを避けながら、透いた空を見上げたんだった。大柄ななりに似合わぬ童顔で、その釣り合わなさのせいか、そりゃもう不細工な男だった。ぞんざいに得物をすくい上げ、それから力任せにぶんぶんと振り回していた。そうそう、ちょうどこんな男に、こんな得物だった。だからわたしは五寸ほど身を引き、右手首をひねりつつ、腰から杖を振り上げて、受け流し——いやはや、これじゃあまるで、わたしが稽古の相手をしてやってるみたいじゃないか。まるであのときのまんまじゃないか。知ってるよ、次が最後の一振りだろう。だから膝からひと屈み、お次はわたしの番。仕込み杖の掛け金を弾いたとたん、またべつの記憶がまとわりつく。あのときは、そうさね、なかなかの男前だった。それに比べてこんどのはひどい醜男だ。だけども、肉の動きに見える妙な癖はあの若い衆といっさい同じ。まずは左膝から外三寸にひと突き。それから上がって左脇。肩を大きく引いたなら、最後に右の脇腹にもうひと突き。身体が崩れ、男前が引きつったあの瞬間、こんな出会いをしたのでなけりゃ、なんて思ったっけ。私もまだまだ若かったってことだろうね。それに引き換え、目の前の馬鹿には、むしろこの引きつり顔のほうが似合って見える。これはこれで男前かもしれないよ。そうしてわたしは腰の手筒に手をかけて、腰だめに——ほうら、出た。やっぱり師匠の顔だ。止めを刺すとき、わたしはいつも思い出す。齢八つのおかっぱ娘がはじめてひとを殺し、ひとりだちした日のことを。