「新しい世界」のまわりをぐるぐるする

なんとなく気後れしていたのですが、いやでも、ブログなんて好きに書けってことで、表題の件について思い付くことを書き散らしておきます。日記ですね。

というわけで、以前『紙魚はまだ死なない』に寄稿した「点対」を、伴名練編『新しい世界を生きるための14のSF』に収録いただきました。もちろんこのブログを読みに来るような人であればみんなすでに紙魚死なを読んでることでしょうから(そうですよね)……ほかの作品目当てで読んでみるのがおすすめです。後述しますが、たしかにこれを読んでほしくなるよな、というセレクトだと思います。

で、こういうことになったのって、自分のなかではやっぱり一大事なんですよ。そんなつもりで書いたわけでなくとも、当然ながら評価してもらえることはうれしいし、(たとえ中身が付いてきていなくとも)読んでもらえるチャンスがこんなに増えるのは、やっぱりありがたいことですから。だから、やったぜ! ……というのを、隠そうとはしていても、きっと隠しきれていないにちがいありません。

とはいえ一方で、「隠そうとしている」というとおり、べつにそのために書いたわけでもない、過去たまたまうまくいった(のかな、たぶん)ものが再録されたにすぎず、そんな、舞い上がるようなものでもないっしょとも思っています。能動的に応募して賞をとりましたとか、単著が出ました、さらに続々と……とか、そういうのでもないし……分厚いなかの一編として今回たまたま採り上げられたにすぎません。

だから、これで急にフンフン言いだすのもあれだけど、とはいえうれしいはうれしいやん、みたいなどっちつかずな気持ちがある。胸を張れることなのか、べつだんそうでもないことなのか。どちらも別にまちがってはいなくて、どちらかだけというものでもないのでしょうけれど。

むしろ大事だと思うのは、なんたって自分は文章うま太郎になりてえわけで、それはたぶん徐々に近づいていくしかないものなのだから、だから、大事だと思うのは、どういう形であれこれからも続けていくことのはずです。今回の件が一大事であろうと些事であろうと、そのできごとが良かったことなのかどうかは、この先続けていけたかどうかで判断することになるはず。とつぜん神妙になって言うなら、そういうことになります。

……そうは言っても、やっぱちょっと大袈裟にとってない? ……そんなもん、わざわざブログに記事を書くんだから、それはそうでしょ! なので、せっかくなのでもうちょっと大袈裟を続けちゃおうかな。


まず、収録された「点対」について。当時考えていたことは告知記事にだいたい書いたのですが、心残りというか、もうすこし付け加えたいことがあるので、以下。

第一には、アクセシビリティの問題。告知記事でも一般的な話としてちらっとは触れた……つもりが読み返してみたら触れてないな……ともかく問題意識としてなかったわけではないのですが、今回より広い範囲の人が読もうとする媒体に載ることになったと言えるだろうってことで、やはり改めて気になってしまいます。「2行ワンセット」という形式の都合上、(『14のSF』をKindle版でお持ちならそれを見ればわかるとおり)ここだけ固定レイアウトで、スマホだと読みづらいし、たとえば読み上げ機能が使えません。もちろん「リフロー不可」という紙魚死なのテーマからしてそうなってしまうところはある。あるんだけど、きっともっと気にしたほうがいいことなんだよなというのを、今回改めて思いました。こうやって自分で書く場合でもそうだし、あるいはなにか、見せ方に関与できるような立場に立ったときにもそう。

続いて……なんて言えばいいのかなこれ、「実装力」の問題? みたいなもの。実は自分、「点対」の前には「上下二段で別々の話が進む」だとか箇条書きだとか、そういう組版で遊ぶようなものをいくつか書いていた一方で、「点対」以降はそういったものを書いていません。どうしてかというと、自分の(少なくとも現在の)実装力はここらへんが限界で、これ以上を望むならむしろビデオゲームなどの範疇になってしまうのではと感じたからです。「実験小説」みたいなのってしょせんみんな実験するだけでやめちゃうから実験小説なわけで、たくさんの人が同じようなことを試みていけばいつか一般化するじゃろ、というのが上掲の告知記事で言いたかったことの一端ではあるのですが、それでも自分だけやり続けてもな、いったんこの方向は休止かな……ってところも正直あります。でも、諦めたわけじゃないんだぜ。

最後に、「人間、わりと互いに矛盾することを両方まじめに受け取りながら想像できるよね」みたいな話(ライザのアトリエの記事とか、それこそ『フィクションとは何か』まわりで考えたこと)。ただ、これはまだほとんど考えがまとまっていないので、ここにメモっておくに留めておきます。


次。これはべつに今回の話とはそれほど関係なく、普段から考えていることなのですが、とはいえこういう機会でもなければなかなか言わないことなので、ここで。

なんの話かというと、今回の件に関連するなら紙魚死なを企画してくれた笹帽子さんやその参加者のみなさん、それから普段書かせてもらってる、ばななさんをはじめとするねじれ双角錐群のみなさん、「斜線を引かない」を書いた雨月物語SF(これも笹さん企画だ!)の参加者のみなさんだったり、あるいは「できるかな」を書いたよふかし百合のストフィクのみなさんやその参加者のみなさん、それにそれに、それ以前に参加させてもらった同人誌の主宰や参加者のみなさんにめちゃくちゃ感謝の気持ちがあるということです(でもって、むかし声をかけてくれたのに書けなくて応えられなかった人に対しては、感謝の気持ちと申し訳なさというか悔しい気持ちの両方がずっとあります)。ありがとうございます。

そもそも、自分は小説を発表する場というのを自分で作ったことがありません。いつも声をかけてもらって、それで書かせてもらっている。これってほんとうにありがたいことで、自分だけだと締切もなければ緊張感もダルダルになるところを、ちょうどいい締切と緊張感を持っていったん完成に持っていくことができる。自分には、みずからそういう場を作ったり、維持したりしていく力がまったく備わっていないので、それができる、やっているのはほんとうにすごいと思うし、何度も言いますがほんとうにありがたいです。これはべつに自分が関わったことのある人だけじゃなくて、同じように場を作り、維持しているいろんな人にたいしてもそうです。あとで言うとおり、そういう人がいるおかげで、おもしろいものを読んだりできるのだから。

……なお、このへん、自分でもできるようにどうにかしたほうがいいなと常々考えてはいるものの、少なくとももうしばらくは待ちの姿勢のままなんだろうな……と思ってもいます。まあ、ブログがあるからな……。でもどうにかしようね。


あとなんだっけ、そう、肝心の『14のSF』の話をしていませんでした。していないのですが、伴名練さんの序文とか読んでもらったほうがいい感じだし、まあいいか。

ただ、Twitterでもちょっと書いたのだけど、ページ数がもっと欲しかったという話はすごくわかるんですよ(僭越!)。自分自身インターネットが(いまだに)好きだったり、同人誌に参加させてもらっているくらいですから、そういう場で読めるようなものを多少なりとも読んで、「これすごいな……」などとたびたび感じたりしているから。事実、今回のセレクトについて(自分が読んだことのあるもの含め)納得する一方で、まだまだあれも載せたくなるよな、これもそうだ……というのが思い浮かぶ。

だから、これをきっかけに同人誌とかWeb掲載のものをディグってみようと思う人が増えたらいいなと思っています。……そんなこと言って自分はとくに何もしていないというか、ただ載せてもらっただけだし、ふだんからそういうものを紹介しているわけでもないんだけども……。だけども、とにかく読む人が増えれば、そのぶんそういう場で書いてみようと思える人も増えて、そしたら自分もおもしろいものをいろいろ読めるようになって、きっともっと楽しくなるんだろうなと思うので、なので、みなさんぜひよろしくお願いします。

だいたいそんなもんかな。