2023-01-10

先日の日記を書いてからこのかた、自由な時間はおおむね、年末年始にRSSリーダーにたまっていたフィードの消化に充てていた。数百とあった記事を、いくらかはざっと眺めて終えたり(せっかく書いてくれたのにごめんね)、あるいは「あとで読む」的なリストに入れて熟読したり。まだすべてを閲し終えるには至っていないのだけれど、だんだんと終わりが見えてきた段階にある。

つまり相変わらず読書には向かっていないのだが、それでもビデオゲームへの耽溺のときのような自罰的な気持ちにならないのは、おれはやっぱりひとさまの日記を読むのが好きなんだよなという感慨のおかげかもしれない。いやその、ビデオゲームも好きだし、プレイしている時間についてはそんなふうに思わないんだけど、不健康に溺れているときというのは、プレイしていないときのあーでもないこーでもないへの空費がひどくてね。

もちろんみなさんご存じのとおり、年末年始のブログというのは、今年のベストバイであるとか、みなさんの人生の進捗(だったり進捗のなさだったり)であるとか、コンテンツのふりかえりであるとかそういったものが多く、ふだん日記を読む気分とは良くも悪くも違ってしまいはする。けれど、ふだんブログを書かない人の記事が読めたり、あるいは普段の日記からだけでは推し量れないその人の側面が垣間見えたりもするもので、総じていえばなかなか充実した時間を過ごしているものだと、素直に思うわけだ。

それに、今年に限っていえば、祖母の影響も大きいのだろう。いつのことだったろうか、インターネットというものを知った祖母は、ぬか床を混ぜる手つきをそのままスマートフォンのスワイプに応用し、ものっすごいスピードでフィードを消化していくようになった。もちろん素早さだけではない。繊細な感受性で画面に浮かぶ文字たちを愛でてもいた。ずっとむかしの記事といまの様子を比較してそのひとの変化に一喜一憂する様子は、傍目にはかわいらしいものと映ったらしく、父母からの電話で話題になることもしばしばだった。

ただ、その祖母も一昨年の末に亡くなった。しばらく——それこそ昨年のほとんど終わりまで——は、その祖母の様子を頭のなかに思い返すことしかできていなかったのだけれど、昨年から今年にかけて久々に帰省し、祖母のいない実家の空気を吸うに至って、そこに至ってようやく、あのものっすごいスピードでのフィード消化を受け継ぐのは自分しかいないのだということに気がついた。いや、気がつかなったのではない。向き合うのを避けていただけのことなんだろう。つまり、ようやく決心がついたのだった。

そんなわけで、今日もものっすごいスピードでフィードを消化しています。