「日記」に過剰に意味づけする雰囲気がちょっと苦手1。具体的になにを見てそう思うとかじゃないしあっても言わないけど、ちらほら見かけはするじゃないですかそういうの。あれが苦手。「書き残そう、あなたの人生の物語」じゃあないんだよ。言ってしまったが。
いや、うん、ほんというと、いいものだと思うんですよ、日記。めっちゃいい。書きながら思考をまとめるだとか、ほんとにどうでもいいことを残してみるとか、みょうにカッコつけてみるとか、毎日書くとかまれに書くとか、長いとか短いとか、そのひとそのひとのスタイルがあって(あるいはまったくなくそのときごとに違っていて)、どれもいいもんなんだよ。だからみんな日記書けばいいのに、そして公開してくれればもっといいのにってのは、それはうそいつわりのない気持ちではある。ただ、そう認めたからといって、まさにそのようなことが書いてある日記や日記外の記述、言い換えれば日記的意識が過剰な日記(本記事もそれ)や日記外の記述を読んだときに、できればそれやめてくれねえかなって気持ちになることもまた否定できないんだよな。日記のすばらしさを語るのはやめていただけないでしょうか。お願いですから静かにしてくださいませんか?
インターネットをはじめたてくらいのころからずっと肝に銘じていることが2つある。オフレポはたいていつまんないということ、テキストサイト語りをするテキストサイトは終わりが近いこと。一般化する。内輪の話をおもしろくするのはすげえむずいってこと、自己言及的なことをやりだすとすぐにどん詰まるってこと2。前者を日記にあてはめるのはむずかしい(いちおう、あなたの話が主体になっているならよくても、場の話が主体になってくるとちょっと違うみたいに言えはするかもしれない)。けれど、後者については簡単だ。それこそ今日のテーマなわけだ。日記には気軽で好き勝手なものであってほしいのに、勝手にハードル上げられると、あるいは型にはめようとすると、書こうと思ってる人が萎縮しちゃうし、その意識自体が「日記的」じゃないし、なによりあなた自身の日記が早晩読めなくなっちゃわないか心配になるし。だからやめていただけないでしょうか。
そんなことを実際こうやって書いしまうくらい自分もそのケがある(おれはブログを書けおじさんなのだ)わけで、つまり同族嫌悪なんですよね。日記に透明さを求めること自体そういった枷のひとつなわけじゃん。だから好きに書いたり書かなかったりしてくれ。インターネットをやめたりはじめたりしてくれ。頼むから静かにしないでくれ。