『セザンヌの犬』についてなにか書いておきたいと思っていて、とはいえ(いつもどおり)どうもまとまらないので、とりとめなく置いておく。
(そのほかの認めかたもあろうが、すくなくとも自分にとっては)偽日記の古谷さんの連作が収められた小説集。書名としては収録作の一編を引いた『セザンヌの犬』なのだが、その連作じたいは「トポロジーと具体物」と題されているらしい。実際に読んでみるとわかるはずだけど、「トポロジーと具体物」というのがあまりにぴったりはまりすぎる1一冊だった。
ここで「トポロジー」として自分が(おそらく筆者も)イメージしているのは、いわゆる位相幾何学っぽい、たとえばもののつながりかたに注目してさまざまなものを同一視したり分類したり性質を理解しようとするようなアレのことだ。どっちかというとネットワークのトポロジーみたいな用例のほうが近いだろうか……まあ、どっちにしろ類比でしかないんだけど。ともあれだから、ここでは、へんなつながりかたをしたものたちが、いろいろ読める。いや、「つながり」といったって、象徴としての対応のあることではない。文字どおり、なにか(たち)となにか(たち)が、どこか(たち)とどこか(たち)が、いつか(たち)といつか(たち)が、つながったり、表裏が逆さになったりするようなさまが叙述されているということ。そのうえで「なぜつながっているか」「どのようにしてつながっているか」といったことに意味を見出す必要はひとまずなくて、なにはなくともつながっているものとする。もちろん注目したからといってへんなつながりかたをしなければならないわけでもないのだけれど、ありふれたつながりかただけ見ていてもいろんなつながりかたがありうることはなかなか見えてこないわけだし。
「具体物」のほうはどうか。こちらのほうが説明がややむつかしいため自分語りからはじめさせてください。大学生のときに設計実習(学部初年度の設計実習なんてカスみたいなもんや)をしていたときのこと。あなたはいま、これから作ろうという建物の柱や壁をどのように配置すべきか考えています。機能や構造の面ももちろん重要だけど、アプローチに際する美的な受けとられ方も考慮してね、なんて言われてもいます(われらウィトルウィウスの子なのでな)。このとき、両極端なプロセスがありうるとあなたは気づきました。A)なにか統制的な原理からずばっと配置を決めてしまう方法。B)ひとまず模型(コンピュータ上のシミュレーションでもよいのですが)として配置し、近くで眺めてみたりぐっと手で押してみたりして、それから位置を微調整したりしなかったりして……というのを繰り返して決める方法。実際にはこの両極端の間をとったり、行きつ戻りつしたりしながら決めていくことになるのでしょう。というかあれだな、だいたいの制作行為ってのはそういうものかもしれん。……と、なんのためにこの話をしたのかといえば、本書のつくりはかなりB寄りであるように感じたからだ。先述したつながりを、構造を先立たせずに、実地で確かめていくようなスタイルになっている(そして結果として「おおなんか構造っぽいものができたぞ」とはなるが、俯瞰で振り返ったりはしない)。へんなつながりを現実に作ることはできずイメージもしづらいけれど、局所的に叙述することならできるってのもあるだろう。そんなふうな、模型をつくって指でなぞってみるさまが「具体物」なのではないか。
別の喩え。本書の表紙(筆者の作品である)が紙を破って重ね合わせたものであることからの連想なんだろうけど、多次元の折り紙に対して、それを完成したスタティックなものとして鑑賞するのではなく、折っている(というか、自身もそこに巻き込まれ折られている)最中のおりおりをおもしろがるような感覚があるなとおもった。こことここが重なると(それが「なにか」に見えるからというわけでもなく)気持ちがよくて、おっと、むりやりでも重ねたおかげでここにこんな曲線や折り目も現れました、つって、その次の折りに進んだときにはまたぜんぜん別の光景がみえるような。
あっこれわかった、感覚的な話しかできねえからいつまでたってもまとまらないんだな2。
- もうすこしいえば、「「ふたつの入り口」が与えられたとせよ」はかなり素に近い形でそのとおりで、そこから徐々に発散していき、「右利きと左利きの耳」でかなりわかりやすくまとまる形になっているのだけど、最後の「騙されない者は彷徨う」だけスタイルとロジックがちょっと違う気がする。それより前に収録された作品の論理は「夢」のそれとはことなっているはずだし、なんならラストだって、(一時的にであれ)「あなた」と「わたし」の間に主従のようなものができたりはせず、あくまで中空で相互に支え合うにとどまるのではないか。↩
- 恥ずかしいから脚注に書くけど、似たようなこと(ということにしておく)を自分がやろうとすると「点対」とか「不可侵条約」みたいになっちゃうんだよなっていう対比がおもしろかったところも正直ある。おこがましい。↩