「ビデオゲームの異常な乱数、または私は如何にして心配するのを止めて歪んだダイスを愛するようになったか」という記事を書きました。
『実験する小説たち』のゲーム版をというかもリバーさんの企画に乗らせてもろて、そのプロトタイプとしてのWeb公開版、第1弾という位置づけです。
テーマとしてはビデオゲームにおける乱数、ひいては偶然について。ビデオゲームの乱数っぽいものがなんらか調整されてるってのは、まあ、よくあることじゃないですか。そういった乱数にまつわる話題を包括的にまとめつつ、おもしろいものを見せられないか/おもしろいゲームを知ってもらえないかということで、いろいろ調べたり考えたりしたのが今回の記事です。具体的には、ゲームスタディーズっぽい論文をひっぱってビデオゲームの「偶然」を位置づけ、ビデオゲームならではの乱数の特徴、それから人間のバイアスや「欺瞞的ゲームデザイン」に触れたうえで、バルダーズゲート3の「歪んだダイス」を紹介する……という流れになっています。
以下、ボーナストラック的な言い訳。
まずなにより、最後の節(カルマダイスから「対話」につなげるあたり)についてはアジテーションを優先したところがあり、ロジックが甘いのは自覚しています! 「対話」のアナロジーに頼ったまま戻ってこないし……。透明性や戦略性、ある種の公平性を求めるプレイヤーには当然異論があるところと思いますし、あるいはTRPGをやっている人などであればファンブルなどももっと「活用」していることと思われますが、そのあたりのフォローが(していないことはないとはいえ)あまりできていません。このへんは実際にダイスと向き合うことの多いボードゲーマーやTRPGプレイヤーの人たちの話をもっと聞いてみたい。とはいえそれでも(少なくともシングルプレイヤーのビデオゲームでは)「こういう偶然との付き合い方もありかもね」くらいには思ってもらえるようにしたつもりですし、そこに至るまでの疑似乱数一般の話とかバイアスの話などは(もし知らなかったなら/意識したことがなかったなら)ふつうにおもしろく読んでもらえる、はず。
また、(トップバッターにもかかわらず企画趣旨から多少ズレるのですが)デザインとか技術論というより、われわれプレイヤーがどのようにプレイできるのかに焦点をあわせることを心がけました。おおざっぱには以前「自然としてのゲーム」について - 青色3号で書いたような内容の延長にありますが、若干考えが変わっているところもあるかも(これ自体がBG3の感想記事の続きなのでうまく円環が閉じたわね)。「おもしろく読んでもらえる、はず」といった部分にしたって、(記事中にもあるとおり)特に制作者であればある程度常識といってよい話ではありますし1、作る側としての話を自分がしても仕方ないよなという気持ちも、ないではないかしら。
あとは……これも文中で少し触れてますが、こういう仕様については単にゲームを触っていてもなかなかわからないし、(難易度設定の説明とかでもない限り)公式に述べられることもあまりないことに注意してください。今回の記事だと自分自身で記録して裏取りするより、コミュニティでの解析や検証に頼るところが大きくなっています。カルマダイスはその点、少なくともその存在と大雑把な仕様について開示してくれている点でやや珍しいかもですね。もしかしたらそのぶんフォーマルな形では論じづらいトピックといえるのかもしれず、今回みたいな位置づけの記事にはちょうどよかったのかもしれないのですが。
ひとまずそんなところかな。今後も下記で引き続き記事を出していく予定で、直近で公開されるはずのほかのみなさんの記事もおもしろいので、ぜひチェックしてくれよな!
また、寄稿していただける方も募集中です。murashitのほうからつなぐことも可能ですので、「ゲームのシステム、インターフェース、物語の分岐構造、乱数性、報酬と損失の設計など、プレイの手触り=メカニクスに焦点を合わせ、そこから立ち上がる意味や感情、物語の可能性を探ってみましょう」という趣旨のもとでなにか書いてみたいという方がいらっしゃれば、ぜひ何らかの手段でお声かけください! いやもう、別に寄稿とかしなくてもいいから、みんなもそういう記事をブログかなんかで書いてくれ!! 頼む!!!
- 記事の中では言及しなかったのですが、たとえばGDC2010でのシド・マイヤーの講演などは有名でしょうか。↩