はてなブログに移った

ボタンを三つ押すだけで簡単そうだったので三回押してみたらスターやブクマまで移行しリダイレクトまでしてくれるようになった。

そうして、今後ははてなブログで書くようになる(というか、取り消さないかぎりこちらでしか書けないってことになる)のだけど、じゃあ「実際今後はもりもり更新していきますよ!」なんてことを言えるわけでもない。

日記の更新ひとつひとつに対する気負いなんてそれほどないと思っていたのだけれど、やっぱ結局あったよね、ってことではあるようだ。

 

まあ、ちょうどいい機会だから気楽にやれるようになるといいなとは思っている。……思ってはいます。

成程 - 平方イコルスン

そもそも著者(のブログ)*1のことをどこで知ったのだかあまり覚えていない*2のだけど、ともあれなんだかよいのうと思ってブログを読んでいたら、正直読みやすいとは申し上げにくい白泉社楽園増刊*3でまんがを描いていますとのことでこっちもどうにか踏ん張りつつ読んでいた。それが今、ナウシカサイズのまんが本になっていました。買いました。

成程

なんと言っていいのか、というかおそらくpixivのほう*4見ていただければ分かるだろうから、ここからはまったく伝わることを意図しない感じで感じを述べると、ウルトラマンなどのナレーションに近い趣き、あるいは、非常に偏見の強そうな言い方になってしまうのですが、岡山を郷とする自分にとっては広島のかっこよさのイメージがこれに近い。著者が広島県とどのように繋りがあるのか、あるいはないのか、まったく知らないのですが。力強さはボサッとした髪でほどよく肉付いたふてぶてしくもかわいい女の子に宿る。

すなわち、まんがにせよ文章にせよ、ゴツゴツしたわりに手ざわりなめらか、みたいなものを描く/書く人だなと思っており、つまりふつうに並べただけだとなんだか目立って収まり悪く尊大な感じがしたりわざとらしい感じのしてしまう言葉やキャラクターの姿勢を、ずんずんと出しつつもその場その場でいなして、成程と得心いかせる術にたけている漫画(でありブログ)ですので、私はおすすめです。

*1: http://blog.livedoor.jp/love_cry/

*2:おそらくはてブ巡回してるうちに知ったのであろう。そういうきっかけでブログを知って知ったまんがを描く人といえば彼岸泥棒の見富さんもそうだ

*3:個人の感想です

*4: http://www.pixiv.net/member.php?id=70277

あまりに退屈な

季節が季節をこえてゆくとは、いったいぜんたい、どういうことだね。
僕は季節に即したものしか想像することができませんから、想像の範疇をこえてゆくには、季節そのものが季節をこえてゆくさまを、想像なんていう不確かなものなしに、むりやりに言葉で遊んで、現れ出でるのを待つしかないということなのです。そこからようやく現実の皮を一枚いちまい剥いでゆくんですよ。とっかかりには爪を立てるしかない、それはあまりスマートとはいえないやり方だけれど、ともあれ最初の手がかりは必要なんです。
するといま、ここはどんな季節なのかね。
そうですね、いま僕たちがいるこの場所は、未だ季節がありこの場所が彼のそれと似たような構造を持つ空間のなかに確固たる位置を占めているという、後に崩される前提のもとで言うのならば、まずはそれを、からりとした、日射しの強い夏の昼下がりということにしておきましょう。
わかった、そう言われるとなんだかそんな気がしてきた。暑いね。
そうでしょう。
助かったよ、私は蒸し暑いのは苦手でね。先日ある東南アジアの国へ旅行に行って、私はその国をたいそう気に入りはしたのだけれど、たったひとつ文句をつけるところがあるとすれば、その蒸し暑さだったものでね。私たちがいま座って話をしているこの国だって似たようなものなのだけれど。
あっ、そこまで規定してしまうんですね。正直なことを言えば、僕に主導権を握らせてくれるのかと思っていたのですが。これでずいぶんと制約を受けることになってしまったじゃありませんか。
そうかい?しかし、あとでいくらでもひっくり返せると言ったのは君じゃないか。
まあ、できなくはない、という程度のものですから。とはいえいちど規定してしまったものは仕方ありません。それにいまは立ち上げの段階ですから、彼としても文句を言う筋合いはないでしょう。
それなら良いのだけれど。私としても彼からひどい扱いを受けたいと思っているわけじゃないしね。
そのあたりは分かってくれているとは思うのですけどね。いかな僕たちが分身に過ぎず、そこに他者が現れていない、これから先も現れるかどうかは怪しいとはいえ、彼の未熟さは、冒頭からのネタばらしだけで十分というものです。

都市

三次元的に入り組んだ石造りの城塞都市がある。どの通りもせいぜい人がすれ違えるほどの幅しかなく、道なりに進んでいるといつの間にか先刻は見上げていたはずの渡り廊下を歩いていたりする。今日あった道は明日にはない。街で最も頻繁に出会う職業は大工と左官で、しかしみな死んだ魚の目をしている。私はこの街の郵便配達員で、今日も抽象究まる住所の記された手紙を左手に困惑している。そもそも番地などというものを置くことのできない都市であるのだから、そんな状況は毎度のことで、それでもどうにかやってきた私は、いまもこの都市で暮らしている。どこから給与が出ているのかは知らない。具体的な順路、つまり相対的な位置が書いてある場合はまだよいのだけれど、差出人が独自に絶対的な座標を書こうものなら私はそれを一日がかりで解読しなければならない。解読できたと自信を持てたことなど一度もない。差出人も受取人も、そんなことはどうでもいいらしい。それでも給与だけは毎月出ている。繰り返そう、どこから出ているのかは知らないのだ。

そして今日も駆けずり回った末、きっとここだと見当をつけた、石壁に空いた尖頭アーチの向こう。くすんだ色に染められた絹で木目細かに織られ、複雑な模様をした、薄く大きな布の向こう。扉などない、たった一枚の布に隔てられたその先で、千夜一夜物語に出てきそうな(私はその本をどこで読んだのかは知らない。住所として知ったのかもしれなかった)半裸の女性がベッドに腰掛け、蝋燭の光に照らされながらこちらを見透かしている、そんな予感がする。

夷狄を待ちながら

先日から気になって仕方がないのだけれど、いつも彼はどうしてあんなに平然としていられるのだろう。冷徹である、と言ったほうがより正確かもしれないが、それは私の感情に寄り添い過ぎた感想で、せめてもう少し客観的な言葉を、と考えれば「平然」ということになるのだろう。
はじめて彼と出会ったのが一週間前、その冷徹さ(結局こちらを使ってしまわなければ記述が進まない)に触れたのが三日前。ここでその詳細に立ち入るのはよそう。理路が想像できない者に相対すると人は畏怖を感じるものなのだと私は信じているから、まさにその実例に出会ったということかもしれない。相手が狂人でなければ、私にとってそれが初めての対象であった。
私にとっての数学者とはたしかにそういうものに近かったとはいえ、それでも私はその適用範囲をひどく狭いものとして考えてしまっていたのかもしれない。理性しかない人間だからといって畏れる・恐れるべきものではないはずなのだけれど、それは私がしんからそのようである人間を知らなかったからだ。人間とは混乱していてしかるべきで、つまり感情とはそういうものだと言ってよく、それを「混乱」と称するのは一種の自虐であろうと思っていた。混乱というものがすくなくとも私に感じ取れる範囲で存在する人にしか触れたことがなかったのは誠に私の不徳の致すところ。
ともかく、私はその演繹の根さえも関知することのできない理性があり、私には論証の朧気な全体像さえ掴めないとなれば、私にとることのできる状況はあまり多くはない。そして私はその中でも最悪の方法をとろうと決めた。まさに今決めた。身体をい訴えかけるのである。それは広義の拷問だ。

あれからさらに一週間が経った。つまり彼と出会ってから二週間ということになる。人間理性とはたやすく敗北するものではない。少なくとも私にはそれが分かる。彼が口先だけで私を納得させ、結局のところ彼の論理に服従させようとしているのだと、私は知っている。だから私は彼に責め苦を負わせる。しかして冷徹に見えるのはむしろ私のほうなのかもしれない。表層の権力関係を崩すことは私の目的ではない。容易いことだと言うつもりはない。ただ感情だけでそれを遂行してしまっては精神的には彼の下僕となってしまう。古来から権力関係たるものはすべて理性から生まれてきた。これは理性と理性とのたたかいで、演繹の根を感情に求めることだけで私の目的が達成されるわけではない。彼のいちばんの弱点とはなんだろう。彼に肉体があることだろうか、おそらくそうではない。それはこの拷問の初日に知ったことだ。私としたことがあまりに思慮の足りない人間であったと認めざるをえない。彼はそれくらいのことはしっかり超越しているのである。べつにたいしたことではなくて、自殺者が年に何万といるこの国でそんなことは珍しくもなんともない。

祖父について

実家に帰りそのまましばらく滞在しているため、ここ2ヶ月ほど祖父母とともに居る時間がとてもとても長うございます。今日はそのこと、というか、なかでも祖父のことについていくらか喋ろうと思っております。


前提は以下の三つ。

  • 私の家では父母が共働きでしたから、学校から帰ってきたときに家にいるのはいつも祖父母でした。僕が物心ついたころには祖父はもう退職していましたから。ですから、僕は祖父と一緒にテレビを観たり、風呂を焚くのを手伝ったりしていたような、爺ちゃん子、婆ちゃん子だったのです。きっと、今でもそうです。
  • ここ数年で祖父はすっかり耳を悪くしてしまい、そのくせ補聴器をつけることを嫌がるせいもあり、あまりうまくコミュニケーションをとることができません。また、最近ではすっかり体力も落ちてしまい、トイレに行って帰るだけでゼイゼイと肩で息をしています。元気がなにより自慢であった(僕がまだ幼いころには裏山に登り杉の木の枝打ちなどしていたことが思い出されます)祖父にはきっと辛いことでしょう。
  • 祖父と父はあまり仲がよくないようです。最近まで知らなかったのですが、父(末っ子長男)はどうやら、若いころは県外で働いていたものの祖父に(どのくらいのものなのかはもちろん分からないのですが)強いられて実家に帰ってきたようで、そのことについてなにか思うところがある。端的に言えば、確執がある。そんなことを仄めかすことがあります。


そんな状況で実家に帰ってきた僕ではあるのですが、祖父母といっしょに炬燵に入っているとどうしても祖父の小言などを聞かざるを得ないわけです。もちろんそれを聞いて祖父とはどんな人なのかを知るというのを目当てのひとつに帰ってきたのですから、僕としてはそれを聞くことにやぶさかではありません。

さて、祖父の話すこと。

  • 祖父は(歳をとったら誰だってそうなんでしょう)いつも、昔の自慢話をします。いかに自分が働きお金を貯めたか。いかに自分が元気であったか。それによっていかに友人たちから賞賛されたか。たしかによく頑張っていたのだとおもいます。昼間に働いていた祖父を曾祖父はさらに朝など畑仕事に行かせたことなど、いろいろ苦労したのだと。きっとその通りなのでしょう。
  • 父を故郷に帰らせたこと、そのおかげで今の職を得て安定し嫁さんも貰えたんだと、祖父は言います。父がどう思っているのか、普段の彼の言動を聞くかぎりではその通りに感謝しているとはとても思えませんが、それは父だって、きちんとそのことで話し合ったことなどないのでしょうし、僕が想像しても詮無いことでしょう。そういうものなのでしょう。
  • ちょっとだけ悲しいのは、祖父がそうやって昔の話しかできないこと。いまはもうほとんど動けないくらいに衰えてしまい今の自分について何も語れない代償なのだろうか、と考えてしまう理路そのものが怪しくもあり、それだから下らないと言い捨てようとも思わないのですが、悲しくはあるのです。
  • 先日、僕が東京に行ってしまうことに対して「そのうち爺さんがゆうとったとおりになったのう」と後悔するときがくる、との言葉をいただきました。「わしのゆうことはひとっつも聞きゃあせんけえのお」との言葉をいただきました。故郷に住み働くべきだと小言を言われてしまいました。もちろん僕にだって言い分はあります。しかし、これだって、そういうものなのでしょう。祖父と僕が見てきた世界はおそらくおおきく違っていて、いまさらどれだけコミュニケーションがとれたことでその溝を埋めることはできないのだろうなと、手前勝手に諦め聞き流す。それは祖父をたいへん馬鹿にした態度なのでしょうね。

今回こうして事実を整理もせずに並べたててみて、いったい何が言いたかったのだろうと思ってみるに、僕にとって「老いること」は、まったく不透明で不条理に忍び寄る、とても恐しいなにものかなのだということです。祖父を貶めるようなことばかり言ってしまったかもしれませんが、それでも僕が祖父のことがやはり好きなのです。だけれども、「こんなふうになってしまうのだろうか」という恐れがある。


老いることとは、忘れ、衰え、鈍く頑なになることだけではなくて、尊敬すべき部分も増える(最低でも時間に対して線形に。それらがどんな経験でさえ。)ことでもあるはずです。僕だって成長くらい、したい。それなのに父や祖父を見て肯定的に「こんなふうになれるのだろうか」と思わない。それは、肯定的なものならば「こうなりたいからこうする」が分かってきた、選択できると考えるようになってきたからなのかもしれません。出来そうもないならそれでよいと思えるようになってきたからなのでしょう。かたや否定的な面については、これはべつに祖父や父に限らず、誰だってなりたいと思ってなるわけじゃないから、つまり、どうしてそうなってしまうのかが分からないから恐しい。

死ぬことはそれで消えてしまうことです、それ以上自分というものが変化することはありません。でも老いること、ないしは「大人になること」というのは、いつだって恐ろしいことなのです。明日にはもう、いつか感動したあのお話は遠く離れてしまっているかもしれない。僕の言うことは、僕の共感する彼に通じなくなってしまって、それを当然と思うように、彼を見下すように思って、また彼に見下されてしまうのかもしれない。それが老いることだと僕は思っています。間違っているのかもしれない。きっと間違っているのでしょう。でもすくなくとも今の僕はそう思っていますし、それは経験によってしか変化し得ない。再帰的にそれは老いることへのイメージと重なってしまう。僕はきっと父のように祖父のようになって"しまう"。愛すべき、そして軽蔑すべき父と祖父のようになってしまうのでしょう。そのときにはきっと、祝福してください。