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みんな〜、文学フリマの告知だよ〜☆

今日は宣伝です。手短かに宣伝をしておこうと、そう僕は思っているんです。つまり、文化の日、そして我が両親の結婚記念日にもあたる11月3日、平和島に御座す東京流通センターにおいて催される代十三回文学フリマにおいて出展される同人誌に僕も小説を寄稿させていただいている、と、ですからぜひ読んでくださいね、と、そういう話をしようと思っているんです。

どこで何を買ったらいいのでしょうか

B-10: 暁Working*1
新刊、「littera3」です。
murashitさんの小説のタイトルは「これは自伝です」という身も蓋もないものです。よろしくお願いします。

ちなみに僕は当日行けません。悔しい。

どんな本ですか

っていうか、そうですよね、どんな本か分からなきゃなかなか買う気にゃなれませんよね、漫画のようにある程度さらりと判断ができるわけでもなく、批評誌のようにテーマで興味を持てるでもないのですから(この本はそのどちらでもありません)難しいものです。

そんなわけですから、内容に興味を持っていただけるよう、すこしだけ各稿についての僕の感想を書きつけておきたいと思います*2。もしこれで興味を持たれましたらぜひ当日ブースまでお越しください。

ちなみに僕は当日行けません。悔しい。


というわけで、以下感想。

埋もれる檻 - @yuurika

主人公の少年が家族と廃墟にゆっくりと蝕まれていく様が、するどくつめたい、抑制の効いた文体で描かれる、やむことなく膨らんでゆく不安に、読んでいる自分まで徐々にとり込まれていく、そんなお話でした。
少年期に、家族のことをなにか呪縛のようなものとして考えたことのある人がどれだけいるのかは分かりませんが、もしもあなたが、ちょっとでもそういうことを考えたことがあるならば、思い出してみてください。家庭という空間そのものからどう足掻いても逃れることはできないのだと絶望したことがあるかもしれません、あるいは、たとえ直接的なそれから逃れられたとしても、なにか呪いのようなものは残るのだと、それは無駄な足掻きなのだと、諦めのような気持ちを持ったことがあるかもしれません。
もちろん結局のところ、そんなものからはすこしでも、あるいは完璧に自由になれるであろうと希望を持ちつづけ、実際その通りになったり、それは「呪縛」などと呼ぶような暗くてどろどろとしたものなんかじゃないと考え直すに至ったりすることが大半でありましょう。
けれどここでは……

カレイドブルー転生 - @tsuitakotonasi

「ミイラ化した人魚の手」みたいな妙なモノっての、テレビとかでたまに出てくるじゃないですか(じゃないですか話法)。まさに、それにまつわる因縁のお話。
まず前半、戦後すぐくらいまではまだ残っていたんじゃないかっていう、まったく閉鎖的な田舎における奇譚として、人魚伝説として、たいへん面白く読みました。異形と徐々に心を通わせる少女、そして予想どおり血腥い結末を迎えたように思えた……のだけれど……それだけでは終わらないんですよ。
というか、もしかするとこの前半部分は、これを活かすための前置きだったんじゃないだろうかと思うくらい(というかそうに違いない)。とりあえず多くは語りません、美しい百合をほんとうにありがとうございました。

誰彼ラジオ彼誰ノイズ - @noir_k

全体的に重苦しい雰囲気を漂わせる今回のこの一冊においては抜群に爽やかでありました。自分を、相手を、そしてあるいは、unidentified であることこそが identity である unidentified flying object を identify すること、そういった、自分と外界との、他でもないあなたと赤の他人との境界について考え、区別しようとしたりしなかったりってのは、言ってみれば古典的なテーマではあるのかもしれません。
ただ、そうはいっても、そんなに拘ったりはしない、ちょっとした思考の寄り道の小気味よさも伴いつつ、心地良い風に吹かれてる楽しみみたいなものを感じるよな、そんなお話。

ながい ながい ながい ねこ - @sunface

どうたいを ずっと ずっと ながく のばすことの できる ねこの おはなし。しあわせを さがしに とおくの ほしへと どうたいを のばすのですが ……

もしもいつか僕に子供ができたなら、読み聞かせてあげたい。もしも僕に絵心があったなら絵本にだってするのに!

生活愛してる - @hetaremozu

そしてこちらは短歌。
「星野しずる」ってご存じでしょうか。端的に言うと、短歌生成スクリプト。とりあえず下のリンクをクリックして見ていただければ、すぐにどんなものか分かっていただけることと思います。
http://www17.atpages.jp/sasakiarara/sizzle/
でもって、この「生活愛してる」という小歌集もまさにそれ。短歌生成スクリプトを自分で作り、かつ(ここが大事なのですが、というか、このためにスクリプトを自作したとのことなのですが)そのスクリプトの結果に人間の手を加えて手直ししてやるぜ……!という企画です。そうだ、共作だ。
僕自身こういった機械がなにかを自動的に創りだすっていうことにたいへん興味があって、自分でもいろいろ試行錯誤していたりもするため、最初にスクリプトが吐き出した短歌からどんなふうに手を加えたかについて、いくつか例を挙げて説明しているくだりも興味深く読むことができました。
せっかくなので、僕が気に入った歌のうちのひとつだけ、ここに引かせていただきます。

あのひとの肋骨に還れ。ベランダで煙草を吸っていた女だろ

paranoid - @uinyun

とある保存則についての、みじかいみじかいお話。
そんなみじかいお話だからというのもあり、詳しくは語りませんが、ふと気がついた違和感が、ついには心地良く肯定される瞬間がたまりませんでした。

冷血 - @fuminashi

女子高生が修学旅行へ行く。そんななかで女の子どうしの甘酸っぱい感じがあればだいたいもう僕としてはごちそうさまですといった感じなのですが、いきなりそんなこと言うのも失礼というものでしょうか。
なんだろう、等身大の(古くさい言い回しになってしまった)女子高生という感じがすごくするんですよ。変な話なんですが、たとえば僕や、他のどっかのおっさんでもおばさんでもいいんですが、そういう人が頑張って「女子高生はこう考えてるに違いない!」って女子高生を描いてみようとしたところで、こんなふうに自然な女子高生って想像できないと思うんですよ、想像できないにも関らず、「あっこれ女子高生!」って思う。思った。思いました。ごちそうさまでした。

And Now The Day Is Done - @Anklang

親族の不幸による里帰りと、それにともなう友人の墓参り、そこでいろんな人と喋る、おおまかに言えばそんなお話。
他人というものが「理解」できるかできないか、完全に白黒つけろって言われたならばそりゃ「できない」と答えるのが正しいでしょう。そのときの「理解」の定義はむずかしいのですが、例えばイーガンの「ふたりの距離」を知っている方はそれを思い浮かべていただければなんとなく分かっていただけると思うんですが、完全にその他人になりきって、かつ自分の記憶や意識を排除しなければ、完全に同じことを腹から考えることなんてできない。部分的な理解だってそうだ。その人の思考なりなんなりってのはどうあっても絡み合っているものだから、やはりそれを一つ個別に取り出すことが理解であると言ってしまっていいのか、それはちょっと傲慢にすぎる話なんじゃないかと、僕は思うわけです。それは、近しい親族であっても、いつもいっしょにつるんでいた少年時代の友人であっても。
もちろん、だからといってそれを諦め開き直ろうぜなんて言うつもりはありません。実務的にはどうしても、できるだけ擦り合わせるなり、それができないとしてもとりあえず場所だけは認め合ってやろうとか、まあその、いろいろやりようがあるし、その必要があるわけです。「理解」ってのが究極的には不可能であることを分かった上で。
で、あるからこそ、その運動、理解してみよう、理解したいという動き(と、時にはその挫折や諦め)ってのは、自分がやっていてもそうですし、他の人がやっているのを見ていてもそうですし、とても面白いものだと僕は考えます。そうですよ、好きなんです。
その理解への運動をはじめるきっかけはなんだろう(ジェネレーションギャップを感じたとき?もうその人と会えなくなったとき?同じものを見たいと願ったとき?)、どのように自分の気持ちと折り合いをつけるのだろう(葬式や墓参りというのは、そういえば、そういうものでもあるはずです)、ある程度でも理解を達成できたと思うのはどんなときだろう、それが実はまったく外れていたのだと知ったときの居心地の悪さとはどんなものだろう、まったう理解し合えないと感じるのはどんなときで、それでいいのだと思えるのはどんなときなのだろう。
……このお話は、だいたいそんなふうなことを書いてるんじゃないかな。

これは自伝です - @murashit

いちおう自分のもってことで、主宰の暁さん(@aquirax_k)の感想を引いておきます。

人が望むような文章は書かず、あえて心ない文章をあえて馬鹿馬鹿しく書く、というのは本当に徒労でしかないひどい言い方をすると誰も喜ばないしろものだと思うのですが、僕が注文したのは村下氏の自伝なので、今回の小説は自伝であると認識して読むと、最後のセンチメンタル過剰の部分で多分彼の人柄を知ってる人は感動するかもしれません。なんか含みのある言い方になってるなぁ(笑)馬鹿馬鹿しい文章の中に時に本音を入れるというやりかたは中原昌也氏の専売特許といえるやり方だと思うのですが、それは今回かなりうまく出来てると思います。

とのことです。



なんやかんやで長くなってしまいました。とりあえず以上です。

ちなみに僕は当日行けません。悔しい。

*1:どうでもいいですけどこのサークル名大丈夫なんですか

*2:寄稿者のみなさま、勝手なことばっかり言っててごめんなさいね……