自転車で帰省した話(6日目)

※今回もほとんど自転車に乗りません。


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10月21日夜。

伊勢市駅でずぶ濡れになりなにもかもが萎えてしまい、もうなんでもいいからちゃんとしたところに泊まってすっかり休もうと考えた。しかし当然のことながら宿泊の手配などしているわけもなく、とりあえず適当にインターネットで検索し適当に電話をかけることにする。どうやら23日いっぱい雨が降りそうだという予報だったのもあり、まあいいや、明日明後日は伊勢にいようと決める。金がかかるけどもう知らん……もうなんでもええ……疲れた……一番安そうなところ……一番安そうなところでしかも駅から近いところ……どっかあんだろ……。……とかなんとか言いつつも、特に苦もなく見つかった。一件目に電話したところがいきなり大丈夫そうだったのでそこに決めた。正直もうなんでもええねん。さっさと行こうってんで着いてフロントへ。フロントっていうかこれなんだろ、病院の窓口みたいやね。

「あ、どうも、さっき電話した者です」「ああどうもどうも」って出てきたのがそこらへんの駄菓子屋に居そうなオバちゃんで微妙に驚いたがそれはいいとして、そこからいきなりオバちゃん怒涛の展開がはじまる。「伊勢ははじめてですか」「あー、そうなんですよ」「じゃあお参りの仕方とかがあってですね……」外宮→内宮の順番で参らなきゃいけないこととか、恥ずかしながら知りませんでしたし、別宮や摂者末社まで含めて縁起やら祭られてる神様がどんな人(人じゃねえな)なのかってことやらを懇切丁寧に教えてくれた。正直濡れてて寒いからはやく部屋に行って風呂に入りたいなという気持ちがあったことは否定しない、否定しないが!否定しませんがそれはそれ、実際知らないことばかりですしなるほどなるほどとありがたくお話を聞いていたのです。そこでいきなり「半分の月がのぼる空って知ってます?それでこられる人ようけおるんですよ」とか言いだすオバさん。……えっ!ってなったわ。なった。びっくりした。前回言い忘れたんですけれども、正直言ってそのつもりでも来てたんですよ。知らない方のために説明すると、そういう伊勢を主な舞台としたラノベがあるのですよ。アニメはもちろん、なんか実写ドラマや映画にもなったらしい。つまり僕は「聖地巡礼」するつもりでも来ていたのですが、まさかホテルのオバさんからそんな話を聞くとは思わなかった。「ああ、はい、それもあって……」と正直に答えると、これまたイキイキとしだして「橋本先生(※作者の方)もここ(そのときオバさんと僕のいた、フロント横の喫茶店みたいなとこ)何度か来たことあって、あ、あそこに写真も」「うわっ、ホンマですね……」「それで来られたんなら資料とかたくさんありますよ」とか言いながら文庫本を一通り持って来たりアニメの原画のコピーが入ったよなファイル持ってきたりしてくれた。そして聖地巡礼に来た人との交流について語ってくれるオバちゃん。砲台山(第一巻の大事なシーンで出てくる)の塔みたいなんの下に寝泊まりして周りの草を刈った人の話とか、埼玉からママチャリでやってきた高校生が置いてってくれた自転車の話とか、聖地巡礼のために調べ上げた資料をそのまま忘れてった人のそのファイルとか盛り沢山であった。「ファンの人ようけ来られるんですけどみんな若い男の人でね。女の人は二人だけしか見たことないです、九州のほうからアニメ勉強するんやってお母さんと二人で来た子と、男の人と一緒に来た彼女さんと。橋本先生は若い男の人に訴えかけるのすごく上手なんでしょうね」等々仰ってらした。ここだけなのかそれとも伊勢ぜんたいでそうなのかは分からんかったけれども、たいそう愛されているようでした。伊勢神宮の話よりたくさん話してくれたような気がする。

そんなこんなでとてもありがたい気分に浸りつつ部屋へ行き風呂に入り寝る。


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10月22日。

10時くらいに起床。とりあえず3日目以来洗濯していなかった服を洗わなければならない。前の日に濡れたまんまだった靴のまま行くわけにもいかんしなと思っていたところ、スリッパを貸してもらえた上になんか靴乾燥機みたいなのまで出していただいた。ありがたいことです。靴を乾かしつつ近所のコインラーンドリーへ。……いつも思うんですけどコインランドリーの乾燥機ってどれくらい時間かけたらいいのか分からんから困りませんか。そうでもないですか。ずっと本など読みながら時間を潰して、帰ってくるが、まだ靴が乾いていないようだったのでしばらく部屋でぼーっとしたりしてた。

昼も過ぎたのでそろそろ、と出かけてみることに。雨と聞いていたが実際は曇りで、拍子抜けながらもありがたい限りであった。この日は二見浦方面へ行くことにする。自転車に乗るのはもうずっと前から飽きていたので電車で向かうことにする。というか、昨日来た道を戻る形になるのがなんとなく嫌だったっていう、そういうのもあったのかもしれない。JR参宮線に乗り二駅。二見浦に着く。

二見浦になにがあるかといえば夫婦岩である。駅から夫婦岩までの道の途中に赤福があったので、おおさすが伊勢!こんなところにも赤福が!とテンションが上がりつつも赤福ではなくぜんざいを食った。赤福は明日にとっておくんだ、というより、自分……ぜんざいが好きだから……。でもって、しばらく歩くと海岸に出て、おお海だ!とテンションが上がる。赤福のときもそうだったけれど小学生みたいなテンションの上がりかただと思う。まあいいや。そうやって夫婦岩に参る。そしてすぐそばの売店でサザエの壺焼きを食う。さて、食ったはいいけれど、それだけで帰るのもなんであるから、二見シーパラダイスに入ってみることにした。イルカとキャッチボールをする子供たりやセイウチのお散歩ショーを眺めたりした。一人でも若干楽しいのが逆に癪に触りつつ1時間くらいはいたと思う。まだまだこれで帰るのもなんだな、としつこく食い下がる。とりあえず二見浦駅のほうへ歩いていくと、貝を焼いて食える店があったので貝を焼いて食った。ビールを飲んだ。満足した。

やっぱり食であるな、食は大事でありますな、と考えながら電車で伊勢市駅に戻る。まだ日も暮れていないのでどうしよっかなーってんで、ホテルへ自転車を取りに帰り、外宮は明日にとっておくとして、とりあえず月夜見宮に参り、商店街をボケーッと見てまわる。そうしてすっかり夜になったので、ホテルの近くのバーみたいなところでさらにビールを3杯くらい飲んでその日は終了いたしました。バーのマスターおよびお客さんが自転車に詳しかったりして自転車の話やらなんやらができたのが楽しかった。そんな感じの一日でした。


長くなってきたので今日はこのへんで。次回は伊勢神宮参拝。

自転車で帰省した話(5日目)

10月21日。

名古屋駅ちかくの素泊り2500円(トイレ・浴室共同)を出てマクドかなにかで飯を食う。出発時刻を記録していないので分からないのだけどたしか朝飯食って9時半くらいだったはず。まずは知多半島の先っちょまで行く、そしてフェリーを乗り継ぎ鳥羽へという計画。膝の痛みは大丈夫そう?しかし名古屋駅からまっすぐ南下しようととったルートがいきなりマズかった。素直に19号を下ればもうすこしマシだったんだろうけれど、その一本西の通り(名前が分からん)、高速高架の下の道を走った。ずっと左車線が工事中であった。そして港が近く工業地帯が近くなってくると(築地口駅あたりの交差点で左折したその先あたり)先ほどまでの信号機地獄から一転、大型のトラックが俄かに増え、また交差点には横断歩道がないため直進するにも苦労する*1、橋を渡るにも路肩が狭くて苦労する。

さらに悪いことに知多半島の根本あたりでそのまま産業道路に入ってしまい、しばらく走るもいいかげん恐しくなってきたので247号のほうへ退避。……と書いてみればたいへん単純ではあるけれど、ルートを変えようとしてもいつの間にやらそもそも交差点というものがほとんどなくなっていて、あってもたいへんに立体交差した歩道橋を担いで上って下りたりしなければならんという状況、交通量の多いバイパスを通ることは迷うことへの不安とある程度トレードオフであるということもあったのだろう、持ち前の優柔不断も手伝って判断が遅れ、そのぶん無駄に疲れてしまったのだった。距離にすれば20kmほどだったのだが、けっきょくここに2時間くらいかかっていた。ここまでのルートとその時に考えていた自分への言い訳を思い出しながらGoogleMapsの地図と照らし合わせてみると、なぜこんな面倒そうな道を選んだのか疑問に思う。判断力が低下していたようだ。


でもって247号線に入ってからはわりかし長閑な道であった。交通量は少なく、アップダウンもほとんどない。であれば何も問題なかったと言いたいところなのだけど、ここで次なる問題というか昨日から引き続きの問題であるところの右膝の痛みがいっきに顕在化する。平地を走るだけで痛む。尾張横須賀のあたりで、「へー、こんなところにも『横須賀』っていう地名があるのかー」などと(まだなんとかなるレベルの膝の痛みに耐えながら)呑気に思っていたところで、いきなり膝関節にゴリッというかピキッというかそんな不吉な感触が走り、最寄りのコンビニでしばらく休憩しなければならなくなったときのあの絶望感。結局サポーターの上を手拭いで縛りつけどうにか漕げるところまで痛みを和らげることに成功したのだけど、それでも痛いことは痛い。スピードがぜんぜん上がらない。師崎(知多半島の先っちょ)発のフェリー最終便が16時20分ということで当初は楽観視していたのだけど、今や「このままで本当に間に合うのか」と残り距離と現在の速度を照らし合わせることを繰り返すばかり。右手遠くに見える工場の煙突にさえ理不尽にイラつく始末。

そうやってなんとかかんとか常滑を過ぎたあたりで昼食を兼ねてファミレスで休憩。この先取り得るルートは二つ。おそらくアップダウンがほとんどないであろう海沿いの道をぐるっと回るか、知多半島の真ん中を越えて東側の海岸から師崎に向かうか。真ん中を越えたほうが15km以上(あんまり覚えていない)短縮できるのだが、膝の状態が状態でほんの少しの上りにも弱気になっていたため迷いに迷った。っていうか悠長に飯食ってる暇あるんかという気もしはじめて、結局ままよと東川の海岸まで上り突っ切る道を拙速に選ぶ。

もう片方の道がどんなだったのか分からないためこれが正解だったのかそうでなかったのかは結局分からずじまいだったのだけど、結論から言えば、思ったほど厳しい上りでもなかった。集落の合間を縫う生活道路を抜け南知多道路んを横切る陸橋を越えしばらくアップダウンはあったものの厳しい上りは無理せず押しつつ進んでいたらいつの間にか平坦な道に出ることができた。この時点で2時前くらいだったと思う。師崎まで15kmほど。最終のフェリーに遅れるなんてとんでもない。なんだけっこう余裕があるじゃねえかと気持ちが楽になったせいなのかそうでないのかよく分からないけれど膝の痛みもだいぶマシになってきて、西側の海岸からぐるりと延びてきた247号をさっきとは逆向きに進んでいることになるのだな、とか思いながら、コメリに寄って休憩する余裕まで生じる。現金なものである。


そんなふうに余裕ぶっこいていたせいで16時20分の一つ前、14時50分の便を15分差くらいで逃しつつ師崎着。この1時間半の差がこのあと響いてくるのだけれど、その時は知るよしもないというか、生まれてはじめてフェリーに乗る*2んだぜ、やっと膝の痛みから解放されたぜ、鳥羽から伊勢までは20kmほどだしこりゃなんとかなりそうだぜ、といった安堵が大きかった。師崎→伊良湖→鳥羽という乗り継ぎ割引きが適用されるのかと思いきや自転車にはその割引は適用されませんよ、輪行袋に入れればふつうに旅客運賃で乗れるんだけど輪行袋なんて持ってませんよ*3という事実にも鷹揚に構えるほどの楽観。しらす丼とか食いやがって。馬鹿なんだろうか。

そんなこんなで1時間ほど待ってフェリーに乗り込むわけだが、その時になってようやく、これはもしかしてまずいのではと感付きはじめる。暗くなってきた上に、小雨がパラついてきたのだ。そりゃそうだよな、17時くらいにはもうずいぶん暗くなる時期だし、天気予報は午後から雨ってことで伊勢に寄ろうと決めたわけだし、どちらも事前に知ってたことだよな。馬鹿なんだろうか。馬鹿だったんだと思う。15時くらいの時点ではまだ雨が降っていなかったのでこのままなんとか持ち堪えるんじゃねえかとか構えていた俺は、馬鹿だったんだと思う。そんな不安を抱きつつもまずは師崎→伊良湖のフェリーに乗る。30分ほど、自分以外に2組くらいしか乗客のいない船内、たいへん手持ち無沙汰であった。いやね、こんな短距離のフェリーに乗るんだから「おもいでエマノン」みたいなこと期待しても仕方がないことくらい分かっていたのだよ……いやでもね……うん……ごめんなさい……。三河湾の島々を眺めることができたのはせめてもの幸いであった。

とかなんとかで伊良湖に到着。雨。暗い。ここから鳥羽へ行く便はさらに1時間ほど後の17時40分発なので、乗り場の横にある道の駅に入り、マッサージチェアでボケーッとしたり自転車を点検してみたりしてさらに暇を潰す。雨。暗い。そしてフェリーに乗り込む。こちらのフェリーは1時間弱ほど。テレビに映るニュースが紀伊半島はかなりの大雨とかそんなことを言ってるけれど、そんなものは見なかったことにして、ガラガラの客席で横になって寝る。おれはもうフェリーには何も期待していない。だって日が暮れちゃって外見ても何も見えないんだもん!!!自分のやっていることがいかに無意味なことであるかっちゅう意識に支配されたりしつつ鳥羽に到着する。18時半。


……雨。……暗い。つうか雨強すぎるんじゃないのこれ。ものすごい不安に駆られながらウィンドブレーカーのジッパーを上げて真っ暗な道を走りはじめる。目的地の伊勢は20km先。これが30kmならさっさと諦めていたんだけど20kmなら気合いでなんとかなるだろうと出発する。……が……駄目だ……これ……ウィンドブレーカーだけじゃ駄目だ。というわけで幸運にも近くに見つけたコンビニで雨合羽上下一式を買うことに。

そうなんですよ。雨具さえ持ってきていなかったんですよ。ここまで一度も説明していなかったけれど、持ってきたものはといえばリュックひとつ。あんま入んないし、雨具はまあいいやと。小雨ならウィンドブレーカーで十分だろと思っていたし、強い雨が降りそうならさっさと中断して降りはじめないうちに宿見つけようと思っていた。どうしても走らなきゃいけないようならコンビニ見つけて雨合羽買えばいいやと思っていたのです。

そんなわけで、予定通りといえば予定通り、雨合羽とズボンを着こむと、自分がなんだかものすごい不審者になったんじゃないか、というか俺は何やってるんだろう感。暗くて路肩もロクにない道を走る。恐い。惨め。眼鏡が濡れてまともに前を見ることさえままならない。恐い。惨め。霧とか出てきてるしいきなり一車線になるし。こちらのライトの点滅、見えてんのかな。大丈夫かな。惨めだ。そんなこんなで夫婦岩のあるあたりをそれと知らず通り過ぎ、二見浦の駅あたりに着くまでの10kmに1時間以上かかって、泣きそうだった。ああでも合羽買ってよかった。とかなんとか。

二見浦から伊勢市駅までは、街灯がある程度あったおかげなのか、もう半分を越したという自信からなのか、それなりに気持ちを強く持つことができた……ような気がする。ような気がする。そして伊勢市駅に着いたときの卑屈な卑屈な達成感といったら!濡れ鼠の惨めったらしさとはもうおさらばや!ハッハー!!やったったで!!!

(結局この区間がこの帰省を通していちばん辛かった)

……というわけで伊勢市駅着は20時半。フェリーをまたいで、走行距離は85kmでした。次回は伊勢観光編です。

*1:こちらを参照のこと http://tanigu.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-02c0.html

*2:たぶん。記憶のある範囲では、高速艇みたいなのには乗ったことあってもフェリーははじめてだと認識している

*3:輪行袋なんて持ってったらぜったい途中で使ってしまうからと持って来なかったんだよ!!!!!

自転車で帰省した話(4日目)

10月19日夜。

例の会合に行くということでまずは無免許さんとこの事務所(カフェができそうなくらい綺麗だったというかここでカフェみたいなことするらしいという話を前日聞いていたがほんとにその通り快適だった)に集合し、すこしだけ紹介などされ、飲み会のお店に参ります。最近開店したらしい飲み屋さん、もちろん小さな街(失礼かしら)ですから参加者皆さんと知り合いどうしというか、そういうお店でした。「こうこうこういうことがあって飯田にやってきたんですよ」という説明をするわけですが、こと「インターネットで知り合った」という事実は若輩者の僕にはどうにも恥ずかしいことのように思えてしまうわけです。しかし無免許さんはまったく頓着なさらぬ(かっこいい)。そんなこんなで参加者のおじさまがた(僕を除いた平均年齢はたぶん僕の年齢よりも10以上上なんじゃないかっちゅう)も続々いらっしゃいまして、じゃあはじめましょうってな具合、アイツ誰だって思われてんじゃねえか俺という自意識過剰もそこそこに、じっさい飲んでみると案外ふつうに喋れるもので、というか蕎麦の使い方についての会合って聞いたけど話ほとんどしてなかったぞ!下ネタばかりだったからだ!だから馴染めたんだ!!(いや、嘘です、してました。蕎麦の話ももちろんしてました。僕が考えつくようなことはどうもまだまだ甘っちょろいなあと感じられた、つまり、実際にやってる人の話が聞けることはなんだかとても嬉しく面白かった)そんなこんなで一次会が終わり、二次会行くべえってことで二次会どこ行くのでしょう。「ムラシット君ももちろん行くよね」「は!はい!行かせてもらいます!!」→馴染みのスナックへ。

スナックでお姉さん(たいして年齢変わんないのになんでお姉さんて呼んじゃうんだ!俺様カマトトぶって、秋)たちに話すこともそんな変わんねえというか、「どこから来たんか聞いてみ?」「えー、どこから来たんですかー」「いや、それがね……」つまり自転車で東京から里帰りしようと思い立ちましてねそこでなんかついでに飯田来ねえって言われたからハイ行きます行きたいですつったら車出してもらって昨日来てそんでもって今日なんかこの飲み会に呼ばれちゃってタハハ飯田いいとこですねえ!「えー、ちょっと意味分かんない」「意味分かんないっすよね!俺も分かんないですし!たぶん誰も分かんない」とかなんとか。その他の話題:(1)飯田いいところですね第二の故郷です東京で挫折したらこっち来て住みます。(2)自転車しんどいっすよ正直もうかなり義務感っていうかアレですよしんどいだけですよ帰りたい、ああでもどちらに帰ればいいんだろう。(3)あー、同世代なんですね、同世代なんだ(敬語を使うべきかどうか迷う)、あーお笑い好きなんですか、そういえば僕も中学生のころ芸人になりたいと思ってましてね、思っててね。等々。そのうち店閉まるってんで近くにあるタイ料理屋さんに舞台を移し辛くて美味いが腹いっぱいで食えなかったトムヤムクンをそれでも食い、帰ったのは深夜1時過ぎ。


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10月20日。

さて、この日は名古屋まで行かねばならならず、前日にいろいろ調べた結果19号はクソ恐しいトラックがクソ恐しい普通車でさえ恐いのにあれを自転車で行くなぞ死にに行くようなものという話も聞きながら153号を進むのがいちばんマシということには(無免許さんや会合に来ていたおじさまがたとの話し合いの結果)決まっていたのだけれど、問題は飯田市市街を出ておおよそ30km地点にある治部坂峠。この帰省期間中たいへんお世話になった国道標高図のサイト*1で153号を見ればお分かりいただけます通り箱根峠と変わらない、いやむしろこちらのほうが厳しんでねえのってくらいの標高差。前日、無免許さんに峠のてっぺんまでは送ってくださいとこの期に及んであつかまし過ぎるお願いをして、さて当日の朝10時。駅前で待ち合わせ、大阪からやってきた姉ちゃんのやってる五平餅屋さんで五平餅を買っていただくなどしつつ一昨日の晩にお世話になったのと同じバンで峠を上る。「なんか牧場やってる人に知り合いがいてさ、結婚式でね、そこで馬を借りて乗ったんだよ」「マジすか」「テンガロンハットかぶってさ」「かっこよすぎる」とか「ここ(治部坂峠スキー場)の食堂のラーメンが飯田市でいちばん美味いラーメンで」「遠い!」とかそういう話をしながら峠の向こうまで送っていただく。ここでお別れ。無免許さんほんとうにいろいろお世話になりました。飯田たいへん楽しゅうございました。「いやー楽しかったぜったいまた飯田来ますよ」「蕎麦の種蒔きのときには来なよ、人数に入れとくから」「えっ」。ともかく、ほんとうにありがとうございました。労働力を提供しますから19日の晩にどんな話をしていたかについては黙っていてください!!


というわけで11時半くらいだったか治部坂峠(道中の最高地点)を越えちゃったんならもうずっと下りだから楽勝だぜ今日は名古屋までとかチョロいもんだぜと思っていたのだけれど、いや、いやいや、そうそううまい話はないもので。すぐ先にある赤坂峠をスタートダッシュで越えてからしばらく、急峻な坂道を下っているあいだは良かったのだけど、そこから下りも落ち着いてもういくつか小さな峠がある、そこが鬼門だった。峠じたいはそこまでひどいってものでもない、200m強を上るだけのもののはずなのになにが厳しかったかといえば、愛知県に入ったくらいから右膝の関節が痛みはじめたこと。実は前日から違和感があったのだけどたいしたことないだろうと放っていた右膝の痛みがこの有様。けっきょくこの右膝の痛みには最後まで悩まされることになるのだけれど、ともかく、山道、側道もなんもない、草が横から伸びほうだいの道を「膝痛い」「なにこれ、膝痛いんだけどこれなんなの、俺なにか悪いことした?」「膝が完璧ならこんな峠……」などとぼやきながらけっきょく最後の峠を越したのは14時もとうに過ぎたころだったはず。


そこからはわりかし快調、香嵐渓を過ぎたあたりの下りも楽しめるくらいに快調。で、その先どう進むかってえと、猿投グリーンロードという自動車専用道路の脇に歩行者/自転車道が整備されているという話を聞いたのでそれまでずっと通っていた153号を離れてそちらを通ってみることに。この時点でもはや名古屋まで40kmを切っており、膝は痛かったけれどどうにかなりそうだ自転車道とかありがたいなあと楽観していた。そしてこういう楽観はたやすくブチ壊される。実質3日目で既に何度もそういう落胆に襲われてるのにいい加減反省しろよという話はごもっともですが、それでも楽観しないとやってられないんだよ!!

で、今回の落胆は何かって猿投グリーンロード。12kmほどあるけど、自転車道だし快調に行っちゃってもしかして30分くらいで行けちゃうんじゃねえのという楽観が落胆に。なんでってな、ごっつい上るねんこれ。12kmのうち10kmくらいは上りだった。聞いてないよ……サイクリングロードってさ……ポケモンでさ……軽快な音楽がかかってさ……セキチクシティまで一直線のあれだよね……。実際にはその逆、タマムシシティへ向かう、あの自転車でも歩くスピードしか出ないアレであって、従って膝の痛みが再びダイレクトに響く。期待が大きかっただけに呪いの言葉が口をついて出る。

そうやってどうにかこうにかグリーンロードから出るとそこは万博記念公園。日本初のリニアモーターカーの実用路線だけどいまいち経営がうまくいってないことで有名なリニモを横目にしながら走る。すでに17時前。すこしずつ、すこしずつ暗くなってきた。コメダ珈琲があった。入る。これからしばらくは何度も目にするコメダ珈琲だがこのときはなんだか珍しくてつい休憩にと入ってしまった。シロノワールは頼まなかった。携帯でtwitterを見ているとハックルさんの話題がちらほら見られたのでどうしたんだろうと思って見てみると大変なことになってると興奮しながらも、外が本格的に暗くなってきたのに気づいて焦って店を出る。17時半。

このあたりからは夜道ではあったけれど、さすがに名古屋も近づいてきたとみえて街灯が明るい、調子づいてきたのか膝の痛みもずいぶんマシになってきたように感じられて、ちゃきちゃき進むことができたと思う。名古屋駅のあたりに着いたのは19時くらい。膝の痛みにほとほと懲りたがこれはおそらく次の日からも付き合っていかねばならないのだろうなと近くにあったドラッグストアでサポーターを購入したり、定食屋でビールを飲んだり、名古屋在住の方と茶をしばいたりして(お忙しいところありがとうございました!)その日はおしまい。94km。


さて次の日はどうしようかと思っているとどうやら午後から雨との予報。当初の予定通り京都に向かうとすればちょうど鈴鹿峠越えの頃に雨に遭ってしまう、これは困った、どうしたものかと考えた末に辿りついた結論が「伊勢に寄ろう!!!」。よく考えてみれば伊勢に寄るからって雨を避けられるわけでもないんだけれども、それほど遠くないし雨のなか峠を越えるよりはマシだろう、明後日も明々後日も降るとかいうんだったらどうせ進めないわけだし*2、そういや一生に一度の伊勢参りも果たしたことがないし、ついでだし、ということで「伊勢に寄ろう!!!」。

次回、知多半島を下りフェリーに乗り雨に降られて伊勢へ参る。

*1:http://www.hyokozu.jp/

*2:どうせ暇なんだしもしどこかで雨が降るようなら無理せず休もうという計画はあった

自転車で帰省した話(3日目)

※今回は自転車にほぼ乗りません。


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前回の終わりに「諸事情によりこの後車で長野県へ行くことになる」と書きました。いったいどういうことか。説明するためには時間をすこしだけ遡らなければなりません。帰省するちょっと前のこと。

ある日、無免許さん(id:llena)からtwitterのダイレクトメッセージが届きました。「おいちょっと仲良くしようぜ」とかだいたいそんな旨。仲良くしたい僕は「仲良くしたいのですがこんど実家帰る予定なのです、どうしましょう」という旨返事をすると、「じゃあその途中でうち寄りなよ」いやしかし「寄りたいのですが自転車なんですよ……電車賃もあんまりなくて……」「じゃあ車で自転車ごと迎えに行くよ」……なんだと……「では浜松までお願いいたします」。大まかに言ってこんなやりとりがありまして、僕はこの日長野県に向かうことになりました。回想おしまい。ええと、意味がよく分からないと思いますが、そういうものです。とにかく僕は長野へ行くことになったのです。

そんなこんなで20時くらいだったか、浜松駅で落ち合う。無免許タクシーとの邂逅。飯を食う。車に自転車を載せ出発。さて、浜松から飯田まで、自動車でいったいどのくらいかかるかご存じですか。3時間です。3時間て!遠いわ!!なんで迎えに来るなんて無茶なことを言ったんですか!!!真っ暗な道をバンに乗って走る。「青崩峠ってところのほう通ればもうちょっと早いんだけど文字通り崩れちゃってて通れないらしいんだよね」「マジすか」「この橋かっこいいでしょ」「ほんとですね、ああでも、こんな構造してる必要あんのかな」とかなんとか話しながらひたっすら山を上る。地方の山道ってのはどこもそうだけど、一車線しかなくて九十九折りになってる、夜になれば霧も出る。「来るときに立ちションしようと思って車停めたら、ちょっと向こうのほうに誰かおるんよ。あれ、おっさんが両手挙げてんのか、恐っ、とか思ったら、それが鹿でさ」「マジすか」「鹿いないかなー」。鹿もいた。「こんどリニアが通るからさ、そしたら品川から一時間かからないわけ。人が吸いとられるに決まってるでしょ。だからなんかウリを作っとかなきゃとかいう話で、蕎麦をね」「蕎麦ですか」「蕎麦でなんかやろうって」「ほほう」「で、その会合が明日あるから、ムラシット君もちょっと来なよ」「えっ!」知らないおじさまがたのひしめく会合に呼ばれることになりつつ、日付も変わり、どうにかこうにか飯田に到着、深夜だからと安く泊めてもらえるホテルを探しチェックイン。寝る。


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10月19日。

朝起きてみたらえらく具合が悪い。チェックアウトしてまた深夜に行って安く泊まろう……などというケチ臭く不埒な計画だったのだけど、そうも言ってられず延泊ってことでとフロントに連絡し、二度寝。拍子抜けするくらい普通に治ってしまって、だいたい11時くらい。……さて、今日の夜は例の会合というか飲み会に出席せねばならんのだな……と不安になりながらも、とりあえずそれまでの時間は自由だってことで、飯田市を観光してみることに。前日の夜にいろいろ情報は聞いていたものの自転車ではそんなにたくさんまわることもできんだろうと思い、市街地を適当に走っていたら「大勝軒」の看板が。東京に住んでる方はよくご存じの、あの元祖つけ麺、大勝軒の暖簾分けの店らしい。じつは僕はあんまり好きでもないのだけれど、それはそれ、面白そうだとここで昼飯を食うことにする。美味かったかどうかは……まあ、みなさん飯田に行って直接お確かめください。腹も膨れたことだしとふたたび飯田市街を当て所なく走る。いかにも城下町らしい町割で綺麗だなーと思っていると今度は自転車屋さんを見つけ、昨日コケたときに一度壊れてしまったブレーキを診てもらったりもした。それでもまだ13時前くらいだったか。まだまだ暇だなーと、昨晩「原広司設計だよ」とだけ聞いていた飯田市美術博物館がいちばん近そうだと見当をつけ、行ってみることに。

何があるかようわからんねと思いながらとりあえず入ってみると、まずプラネタリウムがあるということを発見。そのときの自分のテンションがよく思い出せないのだけど、なぜか「これだ!!!!!」と思い、ちょうど14時半から放映だとのことだったのも手伝ってさっそく申し込む。それまでしばらく時間があるということで、「美術博物館」の博物館的側面であるところの飯田市の歴史などについての展示を眺めることに。フォッサマグナ!とか考えながら地質について知ったり、中生代の動物のかっこいい模型を見て興奮したり、飯田周辺の街道を「あー、明日どこ通って名古屋に下りよう……」とか考えながらぴかぴかさせてみたり*1すっかり楽しんでしまったところで、ちょうどプラネタリウムの時間ですよとの館内放送が流れる。

さすがに平日の昼間、自分も含め3人しか観客がいなかったけれど、プラネタリウムのおじさんはしっかり今日の夜空の説明をしてくれた。次いで放映されるのは飯田周辺の集落のお祭りについての番組。冬至を迎えるにあたってこういう祭りを一昼夜行うんだよというドキュメンタリーで、プラネタリウム用に作られたものであるから、祭の様子が魚眼レンズで撮影されていたりもする。NHKで深夜にやっていそうな地元色の濃い簡素なドキュメンタリーで、僕はわりとこういうの好きなんですよ。最後のプログラムは、チリのチャナントール山頂に赤外線望遠鏡を設置することについての……ドキュメンタリーとかじゃねえのか、ドラマかよ、ほほー。坂口憲二みたいな感じの俳優さんが出てきて、地元の少年と心を通わせるという筋立て。わりとどうでもいい感じだったけれど、最近はこういう番組もやってるのだなあオリンパスが配給してるんだなるほどなるほどと、プラネタリウムを観るのは15年ぶりくらいだったので、これはこれでえらく感心してしまった。なんだかんだ言ってすっかりプラネタリウムを堪能し、そういえば原広司設計だったんだこの建物と思い見て回ったり屋上に上ってみたりしつつ「ほほう……原広司……っぽい……かもしれんなあ……」と建築学科卒とは思えない感想を漏らしつつ、屋上から見た天竜川方面の景色(飯田の城下町あたりはちょっと小高くなっており、鼎のあたりがよく見渡せる)がいい感じだった。遠くにイオンが見えて、農道を軽トラが走り、鳶が空を飛んでたりするだけっちゃだけなんだけど。

えらく長々書いてきたけれど、まだ見どころあるよ飯田市美術博物館。柳田邦男館および日夏耿之介記念館だ。日夏耿之介飯田市出身だとは知らなかった。柳田邦男がどう飯田に関係あるんだ、たしかあの人兵庫出身だよなと思ったら、婿養子になった先が旧飯田藩士の柳田家だったというゆかりがあるんだそうで。知らなかった。各々の住んでいた家を移築し人となりを伝える感じのなんてことはない施設だったけれども、柳田邦男館には彼の蔵書の一部が寄贈されていたり、民俗学についての書籍が集められている図書室みたいなところがあって、いろんな地方の「○○町史」や「××民俗会報」みたいなのが置いてあったりしたのは面白かった。好きなんですよ、地方の図書館とかでそういうの読むのが。地元のおっさんの趣味が嵩じてそういうのに寄稿してたりもするけれど、こういうのってどういうコミュニティがあってどういう気持ちでやってるんだろうなといつも気になる。インターネットが好きなのと同じような心理なのかもしれないと思う。


そんなこんなですっかり満喫していたらもう夕方、そろそろ例の会合の時間。……なんだけど、ちょっと長くなってきたので今日はここまで。次回、知らないおじさんに囲まれた飲み会、ムラシットはいったいどうなってしまうのか!!!

*1:よくあるじゃないですか、でっかい地図板があって、手元のボタンを押すと街灯箇所のランプが点滅するやつ、あれです

自転車で帰省した話(2日目)

10月18日。

8時半に起床。沼津駅前で朝飯を適当に食って9時過ぎくらいに出発。静岡県内の国道1号はほとんど自動車専用のバイパスらしく、どういうルートをとったらいいのか悩んだけれど、とりあえず380号線沿いを進むことにする。信号も少なく交通量もそれほど多くないのでしばらくは快調に進めたのだけど……富士市に入ってからはそうでもない、というか、どうやって富士川を越えたらいいのかしばしGoogleMapsを見ながら悩んだ。今回の帰省のために(貧弱すぎてまともにGoogleMapsも使えない)iPhone3Gを4Sに新調したのだった。それがここでようやく功を奏した。ありがとう。

でもって、富士山がすぐ近くに見えるということに気がついたのは富士川を渡る直前。そういえば昨日だって見えていたはずなのにぜんぜん気がつかなかった。けっきょくこの日通して、富士山をじっと見つめたのはそのときだけ、富士川を渡る橋の手前、水神社のところで一休みしていたときだけだった。進行方向にあるもの以外を見る余裕なんて、あるわけがない。ここらで10時半過ぎ、再び富士川沿いに太平洋の近くまで下り、国道1号はやっぱりバイパスなのでその横、線路を挟んだ県道396号(だったはず)をずっと進む。あまり覚えていないけれど、由比のあたりはいかにも街道沿いといった風情で、しかも舗装が綺麗でわりあい走りやすかったような気がする。しかしその先を地図で見てみると、あれ……バイパスに合流しちゃう……もう脇に道とかないし……どうしよう……昨日の藤沢バイパスみたいになりたくない……トラウマ再燃……

そんなふうに思ってみたものの、実際に合流地点に来てみると、なんてことはない、バイパス沿いに自転車道が。道、というよりは護岸と道路の隙間をそのまま舗装して放っている感じではあったがぜんぜん問題ないじゃないか!!そんなこんなで12時過ぎには清水駅に着いた。前日は1号線迂回どうしようどうしようと悩んだ区間だったはずなのに、富士川の手前あたり以外は思ったほどルートに不安を感じることもなく、ここまでだいたい40km。清水駅あたりでちょっと休憩。でもって、ここからこの日の目的地である浜松まで、御前崎方面を経由するか国道1号をまっすぐ行くか、つまり、平坦だが遠まわりな海沿いの道を選ぶか、東海道では箱根・鈴鹿に次ぐ難所と言われる小夜の中山を越えるかのどちらかを選ぶことになる。パンを食いながらいろいろ調べてみた結果、バイパスしかなさげな宇津ノ谷峠あたりにも自転車の通れる側道があるらしい上に小夜の中山峠はそんなたいしたもんじゃねえよという話がちらほらしていたので、国道1号そのまま行こうという結論に。さっきからバイパスバイパスと連呼しているけれど、ほんとにこの日はバイパスのことばかり考えていた。そんなこんなでとにかく清水駅を出発する。


で、ここからはしばらく国道1号。とくに何ということもなく静岡を過ぎ、静清バイパス(これも国道1号!)との合流手前、事前にここが美味いと聞いていた麦とろ屋*1で昼飯。たしかに美味いし白飯おかわりもできるしでありがたかった。これが14時くらい、だいたい60km。調べていたとおりバイパスの側道を進む。微妙な上り勾配が嫌らしいなあとか思いながら宇津ノ谷を過ぎ、国道1号から一瞬離れて岡部を過ぎ、また国道1号に復帰。国道1号が現れては消えてよく分からない。大井川を越えるといよいよ峠だ。

……結果から言うと、小夜の中山、たいしたことなかった。いやすいません、半分くらいは押して登りましたけど!それでも30分かそこらでてっぺんまで行くことができた。箱根を越えたことによる精神力の向上!ここらへんで16時過ぎ。ガガガーッと下ってその先、掛川、袋井と寂しい道をダラダラ進む。夕日が赤くてとても大きかった。西に進んでいるものだからずっと目に焼きついていた。走行距離も100kmを超え、磐田市に入ったころにはもう暗い。でも浜松までもう20km、もうなんてこたあねえなと思っていたのだけど……夜の道を甘く見ていた。車道を走るのがやけに恐い。皆さん帰宅していらっしゃるのでしょうか、交通量も多くて、路肩もほとんどなくて……すみません、歩道を走ることにしました。ごめんなさい。ごめんなさい。そいでもって……

コケた。夜の歩道の何が恐いっていくらライトを照らしていても路面の状況が急に変わるのにはなかなか気づけないことで、おかげで完全にタイヤをとられて投げ出されてしまったのだ。ブレーキが壊れた……のは、すぐに直せたからいいんだけど、やっぱり歩道はいけませんねと身に沁みた。いやほんと、よくない。

そんなこんなの這う這うの体でどうにか天竜川を越え、もうやる気もなにも残っておらず、やさぐれながらどうにか浜松に着いたのが19時半。駅前が(駅前だけ)すごく都会だった。10時間で137kmでありました。


でもって、諸事情によりこの後車で長野県へ行くことになるのですが……それはまた次回にしましょうか。とりあえず、今日のところはここまで。

*1:ここです http://r.tabelog.com/shizuoka/A2201/A220101/22000068/

自転車で帰省した話(1日目)

写真もなにも撮っていないのでブログのエントリとしては何も面白くないのですがとりあえず日記だけ。東京から岡山までのうち、とりあえず1日目。東京から沼津まで。


***


10月17日。

下宿を出たのは深夜3時半。本当は5時くらいに起きて準備してから出ようと計画していたはずなのに。前日は早く眠らなければ早く眠らなければとそればかり考えていたけれど、けっきょく一睡もできなかった。元気な17日のうちに箱根を越えようという予定だった。はじめてのことだからどのくらい時間がかかるか分からない。分からないから不安になる。不安になって眠れなくて、それじゃあ「元気な一日目のうちに」なんてできるのかとさらに不安になる。くよくよするのはやめよう、とりあえず早く出れば早くには着くのだろうということでとりあえずもとりあえず、家を出たのが3時半。

東海道を行くならとりあえず日本橋から出ねばなるまいと日本橋。深夜というか早朝もいいとこだったから自動車もほとんど通らず、また都内だから街灯も多い。これは快適で、けっきょくこれより快適な道は最後までなかった。この調子で行けば意外と楽勝じゃねえかと一瞬考えたけれども、いや、実際そんなことないぞ、サイクルコンピュータの距離がいっこうに稼げない。下宿から小田原まで100km行かなきゃなんないのに、10kmほど走るのだって長く感じる。目的地が遠いからまったく進んだ気がしない。東京を出るのにも一苦労だ。川崎を過ぎたあたりで夜が明けてきて、横浜まで行ってようやく40kmほどだったか。

6時半に保土ヶ谷あたりで最初の休憩。朝こんなに早い時間だというのに、早くもこれ、やめておけばよかったんじゃないかと思いはじめるがもうどうしようもない。コンビニでおにぎりを買って店の前で食い、さっさと道路に戻る。そこから一号線をそのまま、戸塚を過ぎ……れない、すっかり忘れていた、有名な戸塚の開かずの踏切、ここって一号線(の旧いほう)と東海道本線が交わるところだったのか、と、カンカン鳴る踏切を前にイライラを募らせる。はじめはどこか迂回するよりは待ったほうがいいだろうと思っていたのだけれど、ぜんぜん開かない、仕方ねえクソどっか迂回しようと思ってくるりと逆を向いたちょうどそのとき一瞬だけ遮断機が上がる。向こうからおっさんが走ってくる。音は止まないけれどもうここで突破するしかないというわけで、なんとか渡って、通勤で軽く渋滞する一号線をゆっくり走る。上りが既にキツい。そしてどこでどう間違えたか藤沢バイパスに入りかけてしまい(自転車侵入禁止の標識がなかったというか、いつの間に入ったのか記憶がない)横を高速で通りすぎる自動車に肝が冷える思い。トラウマになった。「死ぬ!死ぬ!」と言いながらなんとか出る道を見つけ迂回。もう二度とこんな道通りたくないというのが以降の指針となる。登校する小学生を横目に「もういやだ……もうあんな道いやだ……」と呟きながらどうにか進む道を見つけつつ一号線へ復帰し、茅ヶ崎あたりのマクドナルドで本日二度目の休憩。これが8時くらい。小田原まであと30kmほど。

茅ヶ崎 - 小田原間はたいして面白いこともなく、まだ着かんのか、もう着くだろ、まだなのか、と思いながらひたすら進む。なんだか自転車乗ってるおじさんがたいへん多い地域だったような覚えがあるが、それ以外に覚えてることがアップダウンが多かった(と感じた)ことくらい。既に疲れていたんだと思う。箱根に向けた昼飯のために小田原駅に着いたのが10時半。さすがに4時前に出ただけあって予定よりもずっと早い到着であった。うどんを食べて眠くなりつつも、まだ午前中(100km走ってきてまだ午前中なのが不思議な気がした)だということから箱根越えに楽観的な空気が広がる(自分のなかで)。

11時半くらいに出発。今日の、そしてこの帰省でいちばんの難所であろう箱根越えをはじめる。登山鉄道では湯本あたりまでしか行ったことがなく、湯本がこんなに近くにあると知らなかった。箱根駅伝だって、正月になんとなくテレビに映っているだけ、ときどき目にするけれども、最初から最後までちゃんと見たことがあるわけでもなかった。湯本がこんなに近いのなら案外たいしたことがないんじゃないかと思ったけれど……当然甘い。甘すぎるわ!!!!

実際ここから宮ノ下までが精神的にはいちばん辛かった気がする。山のなかの九十九折りを、もう乗ってなんていられないと、8割がた押して歩いた。バスが横を通る。立ち止まってニヤけた視線を送ってみたりしたけれど何にもならない。しんどい。死にたい。死ぬ。と思いながら宮ノ下に着いたのが13時半。正直どこに最高地点があるのかよく知らなくて、もうこのへんだろう、いやあ、よくがんばった、これはキツかったなあと思ったのだけれど……当然甘い。甘すぎるわ!!!小涌谷を越えて(宮ノ下から小涌谷あたりまでは人の気配が濃くていささか楽だった)ふたたび何にもない道を上っていく。もちろん押して。たまに乗ってもすぐヘタれる。あのカーブをこえたら最高地点(看板があるらしいというのは知っていた)だろう……ない……あのカーブをこえたら……ない……というのを繰り返し、けっきょく最高地点に着いのは15時過ぎ。よくわからん笑いが漏れる。「874mて!アホか!アホやな!アホだ!!ゲラゲラゲラ!!!」気違いみたいだった。一人でよかった。

そこからいっきに下り。あれだけしんどい思いをした後だから爽快感が半端ではない……が、それもあまり長くは続かず芦ノ湖畔に到着。ここでちょっと団子でも食おうと休憩をとる。標高のせいもあるし、漕がずに風を切って進んできただけっつうのもあるし、時期が時期だからやや日も傾むいてきつつこともあって、やや寒い。30分ほど休憩するも、おい、ここからまた上るなんて聞いてねえぞ。結果的にたいした上りではなかったのだけど(と言いつつしっかり押して上ったんだけど!!!!!!)、もう下りしかないんだろうと思い込んでいただけに精神的ダメージはなかなかのものだった。そして「箱根峠」の交差点。いつの間にか16時もずいぶん過ぎてた。

ここからの下りがやばい。10kmか、もっとあったかもしれないけれど、ずっと急峻な下り、ゆるいカーブ、広い道、自転車で50km/hを超えたのはさすがにはじめてだった。風が強いこともあって緊張感を強いられもしたが、それでも、このためだけにもういちど箱根を登るのはアリなんじゃないかと思ってしまった。それくらい苦労が報われた気がした。すごかった。

下りでなんだか元気が出つつ、三島過ぎたあたりで、日が暮れてきたなあ、みたいな気分、そんななかをゆるゆる進んで17時半に沼津駅着。飯食って(魚が美味いらしいというので奮発した)、ネカフェ泊。前日眠っていなかったのもあり一瞬で眠れてしまった。


3時半発18時着の、休憩含めて14時間半。146kmでした。