Re: ゲームの「不便さが楽しい」を考える

以下の記事がおもしろかったので、乗っかって考えようとおもいました。「便利状態」との比較で「不便」が出てくるってアイデアはたしかにすぎるんだよな。 ゲームの「不便さが楽しい」を考える - ビデオゲームとイリンクスのほとり

読みましたか? 読んだね? というわけで、「インベントリの重量制限」「ファストトラベルポイントやセーブポイントの制限」「武器や防具に耐久値があること」といった、同記事で想定されているような「不便さ」とその肯定/否定について次のように考えられるのではないか。

  • ここに「A: 対象となるゲーム」があるとする。そして、「B: Aの個別のゲームメカニクス1をなんらかの形で変更したゲーム」を想定する。このとき、AとBを比較してゲーム内の目標に対する手段の非効率性が生じたなら、その非効率性(ないし、それを生じさせている当の個別のメカニクス)を〈不便さ〉と呼ぼう2/3
    • このいみでの〈不便さ〉は現実のゲームメカニクスの問題に尽きる。あくまで本物の「不便」であるため、悲劇のパラドクスなどで問題になる不快(のようなもの)とは異なる4
    • このいみでの〈不便さ〉はゲームメカニクス(のようなもの)をもつ媒体、つまりゲームやスポーツでのみ生じる5/6
    • このいみでの〈不便さ〉は後述するとおりゲームというものの特性上ほとんど常に発生し(ひねり出せて)価値中立なものだが、同記事にもあるとおり、それが具体的なイメージ(「便利状態」)をともなって想像しやすいときに「〈不便さ〉という状態にもとづく不快な感情」として意識される可能性が高まる
  • ゲームの話で「非効率性」といえば、スーツ『キリギリスの哲学』における「ゲームをプレイすることは、ルールが認める手段(ゲーム内部的手段)だけを使って、ある特定の事態(前提的目標)をもたらすことを達成する試みであり、そのルールはより効率的な手段を禁じ、非効率的な手段を推す(構成的ルール)。そして、そうしたルールが受け入れられるのは、そのルールによってそうした活動が可能になるという、それだけの理由による(ゲーム内部的態度)」というゲーム(ゲームプレイ)の定義だろう
    • ユールが『ハーフリアル』の第3章あたりで述べているとおり、ルールをたんなる制限ととらえて「手段の非効率性」に注目しすぎるのは(とくにビデオゲームにおいて)うまくいかない考え方だと自分もおもう
    • 目下の話題でいえば、比較対象が前提的目標に対する制約のない状態ではなく「一部分を変更しただけの別のゲームメカニクス」であるため、そもそもの建て付けも違っている
    • ただそれでも、「なにができるか、できないか」というのはほとんど常にゲームというものにつきまとうとはいえるし7、ゲームをおもしろくしている要素のなかにそうした〈不便さ〉があることは明らかなようにおもわれる
    • もとの記事における「極端な肯定言説」にあるような「押したら全クリになるゲーム」は、〈不便さ〉をひねり出し取り除く操作(「便利化」とでも呼ぼうか)を繰り返していった先の極限として考えられることからして、極端とはいえ地続きであるとはいえる
  • では、(それ自体が負の価値をもつものではないから「擁護」もなにもないとはいえ)この立場から〈不便さ〉を肯定/否定するとすればどうなるか
    • まず、もとの記事における「転倒説」のようなものをゲームメカニクスのおもしろさの枠内に閉じた形で適用するのはとくに問題ない……というか「転倒」でさえなく、別のゲームメカニクスと比べておもしろい/おもしろくないという話でしかない。手段が制約されるなどしたところで、ゲームというのはそもそもそういうものだ
      • 「インベントリの重量制限」だってそれ自体でリソース配分を考えるミニマムな「ゲーム」として考えられる。問題はそれがおもしろくない(かもしれない)ことに尽きる。逆におもしろくした例(?)として『Backpack Hero』のような作品さえある
      • ある程度具体的な「便利状態」を想定したときにはじめて〈不便さ〉にもとづく不快感が意識されるのは、比較対象があってはじめて「この〈不便さ〉のせいで相対的におもしろくない」と感じられるからだろう。〈不便さ〉はあまりにありふれており、直接的に不快さにつながるわけではない。相対的におもしろくないゲームメカニクスのそのおもしろくなさの原因として〈不便さ〉が名指されるという機序になっている
      • とはいえ、この範疇のみに適用できるケースで侃々諤々することはあまりない印象もある。上述のとおり「ゲームとしておもしろいかどうか」の話でしかないため盛り上がらない!
      • あとまあ、ゲームメカニクスのよさにもいろいろあるので、あんまりひとまとめにしてもつまらないというのもある。もとの記事でも言われてるとおり、要はバランスとだけ言っても仕方がない。芸術というものがおおむねそうであるとおり、要素の総和だけではなかなか語れないものではある。ともあれ、ゲームメカニクスとしてひっくるめて見たときには「転倒」だったものが「補償」として捉えられる、みたいなこともありうる
    • 一方で、もとの記事で「転倒説」の一例として挙げられている「あつ森は便利すぎてスローライフって感じがしない」はどうかといえば、これはゲームメカニクスの範疇のみに限られてはおらず、フィクションとしての価値についての主張になっている8。すると、今回の立場からいえば「転倒」にはならず、「補償」に近いものとして捉えたほうが適切ということになりそう(あるいはこちらもやはり、そもそも〈不便さ〉そのものに負の価値を置いていないのだから「補償」ですらないといえるのかもしれない)
      • 不便であることそのものに価値があるという主張にみえるが、その成否にコミットする必要はないし、上述したいみでの〈不便さ〉がないわけでもない。〈不便さ〉は現実にそれとしてあり、それがフィクションとしての価値に資している……という建て付けといえる
      • そのあとに挙げられているGoWの例も同様で、(実現したい必須のコンセプトたる)フィクションとしてのよさのためにあえて〈不便さ〉を付け加えているといえる。作品のアイデンティティにはもちろん必要なのだけれど、かといって〈不便さ〉がないわけではない。〈不便さ〉がそのまま「よくない」ということにならないだけ
      • フィクションとの絡みで〈不便さ〉を付け外しするのは、虚構世界をシミュレートするにあたって「ここに制限を設けても写実性が高まらないから省こう」と考えたせいかもしれないし、そのほうが作品内世界の描写として「自然」だったからかもしれない。認知・操作資源をどう集中さたいかの問題かもしれない9
  • とはいえ、〈不便さ〉を価値中立な語として使うのはあんまり直観的じゃないし、「不便だ」と文句を言いたいときの気持ちや「転倒」を考えることのおもしろさを捉えきれていないような気がする

以上です。


  1. 松永『ビデオゲームの美学』における「ゲームメカニクス」を念頭に置いている。ただし、「個別のゲームメカニクス」といった場合には単数形のゲームメカニクスをいみするものとする。このときの個別化のしかたはケースバイケースだろう。また、非効率性に着目する都合上、ここで変更を想定される当の個別のゲームメカニクスは、対象となるゲーム内の「目標」に付随する「手段の制約」の範疇に属するものに限られる。
  2. 元記事でも触れられているとおり、「面倒」と呼びたいなにかと「不便」と呼びたいなにかはたしかに違う気がする……ということで、ある程度狭くとった形になっている。もうすこし広いいみでの「不親切さ」については、たとえばホデント『はじめて学ぶビデオゲームの心理学』にあるようなユーザビリティの観点などが参考になるかもしれない。同書ではユーザビリティについて「サインとフィードバック」「明確さ」「機能がわかる形態」「一貫性」「負荷の最小化」「エラーの防止と復旧」「柔軟性とアクセシビリティ」をチェックポイントとして挙げているが、目下の〈不便さ〉はこれらとは質の異なる観点からのものだとおもう。
  3. 同記事の「うまく考えられていない点」①『「不便」という言葉が何を表しているか曖昧である』関連。
  4. 同記事の「うまく考えられていない点」②『アートに見られる悲しさや苦痛や恐怖と、本稿での不便という概念とは、「不快なもの」という点で似ているが、少し違うと考えている。しかしその点があまり考えられなかった』関連。
  5. たとえば、小説において「リーダビリティが低い」ようなケースはそもそもここに含まれない。これは先の脚注のユーザビリティの観点に近いとおもわれる。一方、(それを「ゲームメカニクス」と呼べるかどうかは別として)インスタレーションアートなどで似たような話はいえるかもしれない。
  6. 同記事の「うまく考えられていない点」③『他のメディア(アート形式)で、「不便」をどのように考えるか、という点についてもあまり考えられていない』関連。
  7. 先日まとめた右記に関連する:ゲームと「できること」の芸術 - C. Thi Nguyen - 青色3号。というかこれに関連するなと思ったからこうやって書いてるところはある。
  8. このあつ森の例でいえば、「ちまちました操作をすること」のような経験のよさも含意されているようにみえるため、純粋にフィクションの範疇で議論が済んでいるわけでもないことに注意。そもそも、意味作用の話だけをしているわけでもないのだから、前述のとおりあえてフィクションのみを特別扱いする必要はないのかもしれない(とはいえ、現実の不便さかどうかというのはやっぱり区別したいのだが)。
  9. こっちは右記のような話を想定している:お前らの言うImmersionのニュアンスがわからない - 青色3号。もちろんここはメカニクスの範疇のみで完結する(実際に「転倒」である)場合もあるが。