デジタルゲーム研究 - 吉田寛

本書の構成は下記のとおり。あとがきでも触れられているとおり、カテゴリに分けられつつ、それを超えて全体におおむねクロノロジカルに並べられた論文集。なお、第1章の初出は2008年である。

  • 序——ゲーム研究とはどういうものか
  • I:知覚と認知——プレイヤーはゲームをどう感じるのか
    • 第1章:スクロール
    • 第2章:視点と空間
    • 第3章:ゲーム空間の記号学——二重化する知覚
  • II:ゲームプレイ——プレイヤーはゲームをどう遊ぶのか
    • 第4章:ゲームプレイと他者への信頼
    • 第5章:カウンタープレイ——ゲームに抗うプレイヤー?
    • 第6章:ゲームと公平性——社会革新としてのプレイ
  • III:メディア——コンピュータで遊ぶ/コンピュータを遊ぶ
    • 第7章:プレイヤーとキャラクター——ゲームにおける死の問題
    • 第8章:メタゲーム——自己批評するゲーム
    • 第9章:メディアとしてのゲーム
  • IV:文化のなかのゲーム——多面化するゲーム研究
    • 第10章:ゲームと音・音楽
    • 第11章:eスポーツはスポーツなのか
    • 第12章:ゲームの文化資源学

以下雑感。

まずそもそも、書き下ろしである「序——ゲーム研究とはどういうものか」がありがたい。ゲーム研究の前史から、ユール『ハーフリアル』までの(主に人文系の)ゲーム研究がひととおり紹介されるほか、「デジタルゲーム」や「ビデオゲーム」「コンピューターゲーム」といった名称についても(本書で「デジタルゲーム」を採用した理由も含め)まとめられている。デジタルゲーム、ひいては「遊び」についてのアカデミックな研究というものがあるらしいけれど、それってどんな営みなんだろう……みたいな疑問を持ったなら、ひとまずこれを読めばよいのではないか。もちろん「あ、こういうのなら興味ないよ」という場合もあるだろうし、ここにあるものだけがそういう研究だというわけでもないのだけれど、自分はこういうのっておもしろいと思ってるんだよな。なお、本書の刊行にあわせてブックリストが公開されているのでこちらもどうぞ。

第I部のうち、第1章と第2章はそれぞれスクロールおよび視点/空間の分類学といった内容。読んでおもしろいとかいう感じではないけれど、もちろんこうやって整理してくれるのはありがたいし、古典的なゲームがたくさん事例として挙げられているのもためになる。『ザクソン』がおもしろそう。

第3章は、ゲームのスクリーンにあらわれる図像は「アイコン」と「オブジェクト」という二重の機能をもってるよ、みたいな話。もととなった論文への松永のコメントとあわせて読むと理解が深まるのではなかろうか(注釈としてこのコメントへの応答も盛り込まれている)。

なお、本章に限らないが、こういうデジタルゲームの研究を読んでいるとなにかしらの二重性(ないし多重性)みたいなのがよく出てくる。本書のほかの部分でいえば第10章でまた別の多重性が扱われているといってよさそうだし、ユールのフィクション/ルールの話は有名で、それをある程度引き継いだ松永『ビデオゲームの美学』だって「二種類の意味論」という構えになっている、などなど。複合的なメディアであるからこそってことなんだろうか。

続く第II部はどれもおもしろかった。

第4章では、losory attitudeの概念などを引きながら「ゲームには他者への信頼がはじめから組み込まれてるんだよ」みたいな話がされている。これ自体はそのとおりだと思うのだけど、たとえばゲーム以外のメディアを通じて「フィクションを鑑賞する」という状況にだってある種の信頼が必要なんじゃないかって気もする。態度になんらかの特有さはあれど、「信頼」くらいざっくりさせるとゲームに特有の話ではないのではなかろうか。どうなんだろうな。

第5章では、ギャロウェイのいう「カウンターゲーミング」の概念を下敷きに、プレイヤーがゲームにたいして「抗う」ような状況が検討されている。自分が最近最近考えていた規範とか「自由度」とかと関係のあるところなので興味深く読んだ。

第6章は「ゲームと公平性」。ギャンブルからはじまって、「運」と「技術」そして「労力」の観点から(ここも多重性だな)「ゲームにおける公平とはどういう意味での公平なのか」みたいな話になっていってる……と思う。それはそれとして、1976年のニューヨークにおいて、ピンボールがギャンブルでないことを示すために議員の前でデモプレイが行われたことがあって……みたいなエピソードが冒頭で紹介されており、それがめちゃくちゃおもしろかった。なんかViceの動画を見つけたので置いときます。

第III部は……このへんのゲーム的リアリズムの話(第9章はマクルーハンどうこうなのでちょっと違うが)について、自分は今も昔もあんまりピンとこなかったり興味のピントが違ってて歯がゆいところがあるため、置いておきます。好きな人は好きなんじゃないでしょうか。

とはいえ、ゲームにおけるメタレプシスの3タイプみたいな話はもうちょっと掘り下げて考えてみたくはある。『プレイヤーはどこへ行くのか――デジタルゲームへの批評的接近』所収の藤田「「カウンターゲーミング」と「メタフィクション」——批判的ゲームの可能性」が第5章のもとになった論文をかなり参照しつつメタフィクションを話題にしているので、あわせてそちらもチェックするとよいのではなかろうか。

第IV部はちょっと雑多。

第10章の「ゲームと音・音楽」については既存の研究をひととおり紹介してくれるといった内容なんだけど、そもそも映画研究でのダイエジーシス(物語世界内的)の概念を知らなかったのでめちゃくちゃ勉強になった。とりあえず「その音が世界内で鳴ってるかどうかみたいな観点からだけだとうまく整理できない」みたいな感じではある。個人的な一推しはこの章。(これも松永だが)以下も参考のこと。

第11章もまあ、いまどきだと素朴に「スポーツでええやろ」と考えられてると思うんだけど1、理論的にどこらへんに違いがあるといえそうなのか(たとえば、規則をオーソライズするしくみはぜんぜん違ったりする)ってところを整理しておけるといろいろ話がしやすくなるよな〜という感じである。

また、第12章のアーカイビングの話は持続的に興味のあるところなので、実際に手掛けたことのある著者自身が概観してくれるのはありがたい。現物保存、エミュレータ保存に加えて「プレイ映像保存」があるのがデジタルゲームならでは感。

以上、基本的には人文的なゲーム研究の話(第4部など産業史や技術史的な視点もないではないが)で、しかし一冊で体系立った理論書というわけでもないということで「どうなんだろうな〜」と思っていたところがあったのだけど、広範囲な文献が参照されていること、古典的なデジタルゲームがひろく紹介されていることのおかげでかなり勉強になる一冊だった。


  1. 「ゲームだって芸術だろ」と同じような話で、そりゃそうだしいまさら正当化するモチベーションはそこまでないわ、みたいな。