2023-06-28

最近見たもの読んだものからいくつか。


なんの前フリもなく「鏖戦」の話をはじめてしまった のは、はたしてむかしより多少は「読める」ようになったんだろうか、なんてことをどこかのタイミングでためしてみたかったからなのだけど、とはいえこういうのが続いたためしもやはりない。まあ、それはそういうもんだしいいんですけど。


そんなところで The Poetics of Science Fiction はどうなったよという話もあり、こちらはたしかに最近放置してしまってました……。いやでも、やる気がなくなったわけじゃあないんです。ただなんだろうな、山梨『小説の描写と技巧』が正直ちょっと……ちょっとな……と感じてしまって、その流れでややモチベーションが下がったってのはあったかもしれない。第2章は『修辞的表現論』にあった話そのままなんでそちらを読めばいいとはいえ、まとめとしてはよさそう。第3章はその延長でこれはこれでおもしろい。……といった程度の素直な気持ちで読んでたんだけど、さて第4章がいただけなかったんですよね。その第4章だって、はじめのほうはそこまでに出てきた論点と被りはあるもののまあ概括としてよかった。続いて新感覚派とくに川端の文章の遠近法についてみていくあたりも(新しい!というものではないにせよ)認知云々による整理がそれなりに効いてた1。んだけど、そのあとのハードボイルドの話は、なんというか、急にしまりがない感じで……。いやあんま偉そうなこと言うもんじゃないですかね。それでもちょっと違うなみたいな気持ちが、こう。


江戸猫先生の新刊を読んだ。もうこれ「素」やんけ! ってなったから「江戸猫先生」って呼んじゃう。だって、そりゃそう見せるための演出もあろうけれど、それでもやっぱ、ちょけてる箇所なんてどうしたって顔と声が浮かんでしまうんだもの。そしてだからこそ、江戸猫先生は常識人であるっていう自分の認識って、先生じしんの自己認識ともそれなりに整合していたんだな……みたいに、本筋でないところをおもしろがるのが第一になってしまったのが正直なところでもあった。たとえば、江戸猫先生は礼儀に厳しい。いや、もうすこし視野を広げるとこれくらいの感覚がふつう(というか、むしろ「まっとう」といってもいい)だろとも思うんだけど、そのへんゆるゆるな界隈のなかではなんだかすごくちゃんとしているように見えてたんだよな。だからなんというか、そういうところの答え(答えなんてものはないが)合わせに目がいっちゃったみたいな、そういう2


スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』見た。戦闘シーンの多幸感が前作にも増してすごかった3。どこまでいくんだろうな……。

ただ、マルチバースものをやるにあたり、それらをひっくるめた運命論やるのってなんだか転倒してないだろうかってのが気になってしまった。個別世界の運命を全世界の運命につなげちゃう手つきが、なんというか、軽率じゃなかったろうか。でもまあ、最終的にはそんな「全世界の運命」なんてのはけっきょく嘘というか、嘘っていうとあれか、そんなことないですよスパイダーマンにはそんな運命や義務や資格なんてないんですよって話に、つまりひいては、マルチバースの多様性が確保される話にはなるんだろうとは思うんだけど。


しかしこういうのあれだな、もうちょっとこう、身の回りのできごとについても書きたいっすよね。します? まるごと冷凍弁当の話でもします?


  1. いまどきそういう主観性とか認識の反映に気を払わんで書いてる人がいるともあんま思えんしなというのはあるけど、それを認知という文脈に落として整理してくれたのはやっぱりありがたいな……みたいな。このへんの機微はThe Poetics of Science Fictionを読んでるときにもある。
  2. とはいえ、こういうときだけ友人ヅラされるのもあれだろうし、そもそも人物評というものの下品さもあるし、中身について話さないのはふつうに失礼で、だからこのへん、自分は常識がないのかもしれない。なによりこの、常識がないのかもしれないと言いつつこういうこと言う身振りがな。
  3. 細かいことをいえばヌエバヨークでの戦闘シーンはさすがにトーンが混ざりすぎてるせいかガチャつきのほうが気になったんだけど、それも意図的なものだったんだろうか。