留年百合小説アンソロジー:ダブリナーズ - ストレンジ・フィクションズ

告知だ!

ストフィク増刊留年百合アンソロジーにお話を載せてもらいました。今週末(5月19日)に迫った文学フリマ東京38【き-55】またはBoothでの通販にて(といっても通販のほうは第一次予約分が完売しているのですが)。幌田先生による装画もいいし以下で試し読みもできる。

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以下、収録作についてネタバレしない(と思われる)範囲で書きますが、自分がへたくそでちょっと抽象的になりすぎてる気がするな。どれもおもろいで!

全然そうは見えません

すぐにピンとくるかもしれないし、そうでなくとも立ち止まって考えてみればわかるとおり、不穏なタイトルではある。けれど、そういったネガティブさをかならずしも転倒させるのではない形で取り扱い、未来につなげていこうとするお話だったんじゃないでしょうか。よくこれを最初に持ってきたなという気もするけれど、「留年」という語とその状況にだって(同じではないにせよ)通じるものがあるのかもしれない。

海へ棄てに

どうしたって退廃へのあこがれというものがつきまとうし、それはそれとしてライフゴーズオンするし、もちろん固有名詞だって頻出する、かなり直球の文化系サークルもの。そういうそれぞれにたいして、突き放しすぎずくっつきすぎず、距離感をどうつくっていくかというお話……といってもよいのでしょうか。そんなとき、どうしたって出たとこ勝負がつきまとうよねと思うし、だからこそ長期戦の構えは強いよなとも思う。自分はどうだったっけかな。

still

書くこと描くことにかぎらず、なんだって重ねてゆけるものではある。留年も同じである! ……とか言ってみられるか。いやこれは真面目に言っている。そしてそれだけじゃなく、線と線のあいだの、かたまりとかたまりのあいだの、あるいは周囲の余白にも、ときどき目を向けてみるのもありなのかもしれない(というか、それらは不可分なものなのですし)。

切断された言葉

ほとんど過不足なく怖いんよ。怖さに遊びがないんよ。遊びというか、p.85のあたりでちょっと遠ざかるあたりとかは遊びといえば遊びなんだけどそれが嫌な感じを増幅させてるんよ。p.85とか言われてもあれだと思うので、そのあたりは各自確かめてみてください。あるいは別の印象もあるかもしれないので聞かせてください。

ウニは育つのに五年かかる

ある種のエキセントリックさでしかお話のなかにつなぎとめられないことがらというのはやっぱりあるものだし、そこに(隠すように?)添えてはじめて収まることがらだってあるものだと思う。そういうことがらがあったのではないでしょうか。アクセル踏みしめハンドル回しっぱの遠心力がずっとかかっているようで、けれど単調ではない。おかげで読後感がいっとう切ない。

不可侵条約

おれのや。モーダスポネンスの成り立たなさを陽に扱って展開させられないかが去年のざっくりしたテーマで、けれど自分にはうまく書けないということがわかったので、ちょっと違う感じで今年になってようやく書けました。ありがとうございます。

パンケーキの重ね方。

恋愛のどうしようもねえところを、美化するわけでもなく露悪するわけでもないかたちであらわすにはどうすればよいのか。いろいろあるのでしょうが、ここでは、合理的に考えればそうはせんやろというおこないを、しかしその実現のためにロジックを練ってまで周到におこなってしまう、というかたちであらわされているのではないでしょうか。結果として、そうはなってしまう。

春にはぐれる

あるポイント以降、あらゆるシーンの台詞と行動がすべて妥当で、そのうえにエモいのだが、はじめから掛け違えすぎているような気がする。そういういびつさに駆動された圧迫がある。そのいみで「パンケーキの重ね方。」とは対照的かもしれず、つまり、世界のなかのわれわれという状況のうちのどこに信をおくかという話なのかもしれない。


以上です。

ジョイス『ダブリナーズ』(柳瀬訳)で好きなのは「土くれ」です。みなさんもこっちのダブリナーズとあっちのダブリナーズでそれぞれなにが好きか教えてください。よろしくお願いいたします。