ゲームをプレイする正しいやりかた - C. Thi Nguyen

どんなときに「自由度」といいたくなるのかのときに気になっていたグエンの“The right way to play a game”1を読んだ。個別の記事を立てるほどでもないのだけれど、それでもメモを残して公開しておきたい(詳しい人がどう読むのか知りたい)。表題のとおり「ゲーム2で遊ぶ正しいやりかたなんてものがあるのか?」という話で、つまりゲームを遊ぶそのやりかたにかんする規範3について。いつもどおり、内容の正しさは保証しません。

  • Introduction
    • 省略。「正しいやりかたなんてないよ」派としてLeino4とシカール5が挙げられてる
  • Works and Norms
    • まずはLeinoがいう「どう遊ぶべきかの指図にしたがうのって、『意図の誤謬』6なんじゃないの?」みたいな主張について
    • これにたいし、「それがどのように経験されるべきか」といった規範も「作品」を構成する部分である……みたいなprescriptive ontology(規範的存在論?)の話が出てくる7
    • で、意図の誤謬として批判されうるのは「それがなにを意味するのか」についてであり、したがってかりに意図の誤謬を「誤謬」として認める立場に立ったとしても、「それがなにか=それをどう遊ぶべきか」という意図や規範を無視すべきとはならないよ、と
    • もちろん「それがなにか」とされている規範を無視するような取り扱いをしてもかまわん(ある種のスピードランとか)し、ときには有益である。ただ、そのときそれは(同じ物理的対象を使った)また別の「作品」となるというだけ
    • (意図主義云々で意味論的意図と範疇的意図を区別する議論8と相似してるよなと思ったんだけど、そちらにはとくに言及がなかった)
  • Play and Aesthetic Communication
    • 続いてシカールの「自由な遊びこそ大事」みたいな主張について
    • これにたいしては、(そういう遊びが大事なこともわかるけど)ゲームの目的はそれだけじゃなく、aethetic communication(美的コミュニケーション)をおこなうことでもあるよ、とする
    • 美的コミュニケーションというのはある種の体験をさせるようなタイプのコミュニケーションで、表象的だったり概念的だったりする内容を伝えることは必須ではない(プレイヤー間ではなく作者-プレイヤーの間のコミュニケーションなことに注意)
    • 美的コミュニケーションにおいては、通常の言語的コミュニケーションなどと同じように、ある一定の規範が必要にはなってくる。規範を共有して基本的な構造を安定させなきゃコミュニケーションが成り立たないってわけ
  • Aesthetic Prescriptions and Adequate Encounters with Games
    • ここまでの話はほかの芸術と変わらない。ここからゲームに特殊な規範はなにかみたいなことを考えていく
    • ざっくりいえば、「最低限どうやったら体験したことになるのか」みたいなのがけっこういろいろでむずかしいよねっていう
    • (死に舞さんの右記のツイートをどうしても思い出してしまうところだった: https://twitter.com/shinimai/status/1313127876032487424
  • Party Games, Strategy Games, and the Number of Playings
    • じゃあそういう規範についていくつかの例をあげて詳細に見ていきましょうねという節。省略(読んでない)
  • Negotiating Social Practices
    • まとめ。Sharpがgameとartgame、game artを区別したことを引き合いに出しつつ9、分類ってのはそのものだけを見てできるものではなく、社会的実践のなかにおかないとだめだよね(そうならないと規範が付随しないから)、みたいな
    • で、結局表題の問いに対しては、狭い意味ではたしかにそのとおり、「ある」。本を後ろから読むのが「正しくない」という程度にはある
    • ただ、必ずしもそれに縛られるというものでもない。その作品を体験したことにはならなくとも、ときにべつの遊びかたをすることは可能であって、それがまた新しい形の美的コミュニケーションの可能性を生み、新たな「正しい遊びかた」として提示されうる……みたいな感じでおわり

「自由度」云々で考えてた話と多少関連するかもなというのはもちろんなんだけど、わりと「常識的」な立場でありふつうに勉強になった感のほうがでかいかもしれない。Games: Agency as Artも気になるのでフィルムアート社さんよろしくお願いします……。


  1. Nguyen, C. Thi. 2019. “The Right Way to Play a Game.” Game Studies 19 (1).
  2. ビデオゲームだけでなくアナログゲームもひっくるめて扱われている。
  3. ここではprescriptionsをとりあえず「規範」と訳すことにする。normとかとどう区別して用いられているのかよくわかんなかったし、だったらそちらを連想しそうな語を使うべきじゃないのかもしれないんだけど……「規定」とか「命令」とかのほうがいいのだろうか。
  4. Game Studies - Death Loop as a Feature /読んでないんだけど、Fallout: New Vegasについての「エッセイ」でかつこのタイトルなの、ちょっと気になるな……。
  5. こっちはおなじみの『プレイ・マターズ』
  6. ウィムザット&ビアズリーのあれ。
  7. あんまり要約に自信がない。Daviesの Art As Performance という本が引かれているけど、そちらで直接的にそのへんの話がされているのかも知らない。
  8. 西村編『分析美学基本論文集』に河合訳のあるレヴィンソン「文学における意図と解釈」とか。この論文けっこうおもしろくて好きなんだよな。てっとりばやくは河合「現実意図主義の暇疵」か。
  9. なぜかBibliographyでシャープの文献が挙げられていないんだけど、ゲーム・ミーツ・アート:ビデオゲーム・アヴァンギャルドの可能性 - メディア芸術カレントコンテンツをみるかぎりでは Works of Game っていう本みたいだ。