続・メタフィクション表現の四分類についてのメモ(その1)

こないだの記事に応答をいただきました。

proxia.hateblo.jp

最終的にはとくに大きな意見の相違などは出てきそうになく、しかもかなり投げっぱなしだったところを補っていただいておりめちゃくちゃありがたい(ふつうに申し訳ない)んですが、いずれにせよ自分の言葉でも説明しようとすべきだろということでがんばって書いてみます。書いてたらなんか長くなりそうだったので、「続」かつ「その1」になりました。

「物語世界の拡張」について

まずはここをきちんと説明しなければはじまりません。ネマノさんにはかなり汲み取っていただいておりおそらく誤解はないところなのですが、上述のとおりがんばります。

フィクションの受容におけるデフォルトの態度

まず前提として、われわれのフィクション受容に際するデフォルトの態度というのは下記のようなものだと考えています。

  • 虚構世界は現実世界から切り離されており、虚構世界における「文の意味」はその内部に閉じて理解できるものとしてとらえる
    • たとえば、作中に「馬」という語が出てきたなら、その虚構世界には「馬」という語によって指示できるなんらかの対象が(「存在する」かどうかは置いといて) ある と考える
  • それと相補的に、虚構世界は「ある程度整合的である」ととらえる
    • たとえば、描かれているとしても「少女漫画でキャラクターの後ろに花が散ってる」みたいなのは虚構的に成り立っていないと考える。逆に、直接的に書かれていないことであっても、「そうしないと辻褄が合わない」として虚構的に成り立っていると考えたりもする

もちろんこうした態度を(デフォルトとして)とらないフィクション受容をしているひともいるかもしれませんが、おそらく一般的ではないといっていいはずです。

そして、これらはあくまで「なにが虚構的に成り立っているか」を考える際のデフォルトの態度(戦略といってもいいかもしれない)であって、鑑賞者がそのフィクションに接するときなにを考えるのか/感じるのかといったことのうちの(ときに重要ではあっても)あくまで一部分でしかないことにもいちおう注意してください。

言い訳と補足

本筋から逸れるのですが、言い訳と補足がいくつかあります。

  • 「文」「語」「書かれていること」「文字通り」といった文章表現に限られそうな語彙ばかり使っていますが、あくまで便宜であって、画面にあわられている絵づらとかそういうところまで想定した話として考えてください。だいたい無理なく敷衍できる範囲の話しかしていないはず
  • 「虚構世界」と「物語世界」はさしあたって同義と考えていいです。そもそも「虚構世界」とか「現実世界」とか、素朴に使ってしまうにはかなり問題のある表現だとは思うんですが、説明の便宜のために許してください。「デフォルトの態度」というある種素朴な理解であるからという理由で正当化できなくはないはず……
  • 「切り離され」ていることと「現実の事物と符合しているかどうか」とが別の問題であることにはいちおう注意
  • 「対象が ある」という表現もかなり微妙なんだけど、意味論に深入りしたくないせいでこんな言い方になってしまった。とりあえず、たとえば「虚構世界内の虚構世界内にいる空想上の動物」とかも含めて、以下のような特殊なことを考えなくとも意味を理解できる……みたいな話だと考えてもらえば大丈夫なはず。「特殊なこと」として論点先取してしまっているきらいはあるんですが、これもデフォルトの態度の話なのでまあ……
  • 「ある程度整合的」に理解するというのは、たとえば現実性原理とかの話です。このへんもうすこし掘り下げられるところではあって、シノハラ『物語の外の虚構へ』とか倉根「ゲームプレイはいかにして物語になるのか」とかで議論されているのはそれのはずなんだけど、今回の話においてはざっくり済ませて問題ないところのはず

「物語世界を拡張しなければ意味を把握できない表現」について

ストレートな例として、先の4分類のうちEmergentなメタフィクションとして挙げられていた例をお借りします。以下のとおりです(以降の説明のために若干改変しています)。

  • NPCであるAがプレイヤーキャラクターBに対して「私たちのゲームへようこそ、プレイヤーさん! 楽しんでいってください!」というメッセージを発している。これはメニュー画面やチュートリアル画面ではない

さらにもういっちょ、これも説明のために状況をいくつか追加します。

  • あなたは、いまこのゲームをソファに座ってプレイしている
  • 本作はBを「操作する」スタイルのRPGである(このとき、プレイヤーはBとすなおに同一化しているわけではない……というあたりを細かく説明するのは自分の手に余るのでとりあえずこれだけで)
  • Aはこの虚構世界のなかで「正気である」ように見える(言い方がよくないな。フィクションのなかで、Aの言動は「シリアスに受け取るべき」と理解できる状況である……みたいなことが言いたい)
  • この場面以前にはこのような「メタフィクショナルな表現」は出てきていない(とくに、「プレイヤー」に類する語は出てきていない)

以上のような状況のもと、「プレイヤー」という語で参照されているのはだれなのかについて、ソファに座っているあなたは、おそらく以下のように考えるはずです。

  1. Bのことではなさそうだ(これまでゲーム中にそのような語は出てきていないし、Bが「プレイヤーさん」などと呼ばれるシーンも見たことがない)
  2. かといって、Aが想像している(当の虚構世界とは)別の任意の世界のうちのだれかではなさそうだ(Aは正気であり、Bに直接呼び掛けているように見える)
  3. どうやら、(Bを「通して」)ほかでもないこの現実世界においてソファに座っている、わたし自身に呼び掛けているようだ

デフォルトの態度を崩し、「意味を理解するにあたって、虚構世界と現実世界とを『いっしょくた』にする必要がありそうだ」と考えざるをえないわけです。たんにその虚構世界から任意に参照できる別の虚構世界に言及しているだけであればこの態度を崩す必要がない(2で打ち止めにできる)んだけど、ほかでもない「この」現実世界となんらかの意味でセットになっているのであればそうはいかない。鑑賞者として「ある程度整合的」に理解するために現実を援用するかどうかという話ではなく、虚構的に成り立つ命題をなす文のうちに「この現実世界」への直接的な参照があるとき、意味の理解を閉じさせるためには、「切り離された」という前提を後退させなくてはならなくない。こうした状況をおおざっぱに「物語世界を(現実世界へのこうした参照が可能なように)拡張」しているっぽいね、といってみた……という感じでしょうか。

うーむ……ぐちゃぐちゃになってしまった……。これたぶん、「別の任意の虚構世界」と「現実の世界」とでなんでこんなに対応が変わってきてしまうのかというのをもうちょっと説明せんといかん気がしてきた(そりゃプレイヤー自身が現実を「特別に感じる」のは当然としてもだ)。とはいえとりあえず今日はここまで。