メタフィクション表現の四分類についてのメモ

ネマノさんの Steamで遊べるメタフィクションなインディーゲーム入門 - 名馬であれば馬のうち を読んで……といってメイン部分はストフィクですでに読んでたのですが、読んで、おもしれーな! で、ストフィクのときにはなかった「おまけの追記:メタフィクションとはなにか。」部分にほほーんってなっていたんですね。さっきまで。この部分はGame Developer(公開当時はまだGamasutraか)の以下記事を要約して訳したものです。

The Four Types of Metafiction in Videogames

で、ほほーんなるほどなと思っていたのですが、いやよく考えてみたらこれはちょっと「広すぎる」のではと思ったので、いったんメモ程度に書いておきます(このブログにおいて「メモ程度」でなかったことはないのだが……)。それこそこないだの「自由度」の話もそうだけども、「メタフィクション」を誰がどう使おうとも構わないといえばかまわないのですが、たぶんこれをすべて「メタフィクション」と称してしまうと、非常に使いづらい語になっちゃうんじゃないかなと思ったって話になります。

まず、ここで提案されている4分類は下記のとおりです。

  1. Emergent Metafiction(創発的なメタフィクション1
  2. Immersive metafiction(没入的なメタフィクション
  3. Internal metafiction(内的なメタフィクション
  4. External Metafiction(外的なメタフィクション

それぞれがどういうものかについては上述のネマノさんのエントリまたは原文をあたってもらえればよいのですが、ここで特に問題にしたいのは3と4です。

まずわかりやすいのは3で、1が「フィクション内部→外部」、2が「フィクション外部→内部」という矢印であるのに対し、3は「フィクション内部→内部」の話なんですよね。Cox氏自身指摘しているとおり "While it does address the fictionality of the game world, it is different from the other three, as it never fully breaches the fourth wall, but more simply eludes to it." なわけで、「第4の壁」を壊すようなものではない。「eludes(回避する)」というのがどういうニュアンスなのか正直つかみかねているのですが、そうはいっても(ゲームの外でいえば)たとえば漫画のなかで「こんなことが起こるなんて、まるで漫画の世界じゃん!」って台詞が出てきたときに、それを「メタフィクション」として認識するかどうかといえば、しないでしょう。それがゲームになったからといってやはり同じはず。たしかに演出としてはある種のメタっぽいネタというか、そこを意識させるギャグではあるものの、物語世界を拡張しなければ意味を把握できないような表現(これについては後述)(後述できなかった)ではない。

4はどうか。代表的な例としてゲーム中のイースターエッグが挙げられており、先ほどの図式でいえば「フィクション外部→外部」という矢印のものなのですが、(エンドクレジットなどをパラテクストとして除外すべきなのはもちろんその通りだとして)これもやっぱりあやしい。具体例に添ったほうが説明しやすいので、そのまま(ネマノさんが訳してくれてたものを)持ってきます。「たとえばある部屋に入ったときに壁に『このゲームをプレイしてくれてありがとう! 開発者より』などと書かれている」ような状況だと。なるほど。

つまり、ゲーム環境2において「ある部屋に入ったときに壁に『このゲームをプレイしてくれてありがとう! 開発者より』などと書かれている」わけです。で、このときたしかにわれわれは、そのまま物語世界においても「ある部屋に入ったときに壁に『このゲームをプレイしてくれてありがとう! 開発者より』などと書かれている」とは解釈するでしょう。しますわね。します。するのですが、しかしその先、この「開発者」が「目の前でプレイしているこのゲームの(つまりフィクション外の)開発者」を指すのだろうと推論するのはあくまでフィクション外の文脈においてであって(externalというのは結局そういうことのはず)、フィクション内部においては必ずしもそうはならない。たとえばそれをわきで見ていたキャラクターが「これ意味わかんないね……」と言うのであれば、それはフィクションの内部の理解としてはあくまで「意味わかんないもの」なんですよね。物語世界が拡張されていない。逆にそのキャラクターが(それなりのシリアスさをもって)「ここは開発者によって作られたゲームのなかなのか!」と言ったとき、そのときにようやくメタフィクションになるのではないでしょうか。ただそうなると、これは4に分類されるべきものではすでになくなっており、1に分類されるべきものになっているはずです。

これ、「これ意味わかんないよね……」と言ってるような状況まで「メタフィクション」にしちゃおうとするとまずいと思うのは、たとえば「過去改変SFにおいて現代のインターネットミームがネタとして出された」ようなケースを考えたとき、それを「メタフィクション」として見るのか? みたいな話になってきてしまわないかと考えるからです。あきらかにフィクション外を参照しているのだとオーディエンスにとってはわかる、けれども物語世界の意味理解としては関係ない状況……というのはありふれていて、そこまでメタフィクションにはしたくないんじゃない?と。

このあと「物語世界の拡張」云々で言いたかったこととか、単なる入れ子構造や自己言及をメタフィクションって言ってんじゃねえぞ(念のため言っとくとネマノさんはそんなこと言ってなくて、一般的な話やで)って話とか、ウォルトンの参加なき鑑賞の話とか、あとゲーム内で「Aボタンでジャンプするんじゃ」というのを物語世界内でどう解釈してるかっつうとおそらく「解釈を止めている」なんじゃないかな(ここはゲーム環境と物語世界との間の話で、物語世界内の発話として見るというのは不自然すぎるが、言い換えて読むのもそれはそれで無理がある、それでも完全に除外はできない)みたいな話もしたいんだけど、すみません、寝ている子供が泣き出したので、いったんここまでで……。


  1. 日本語の「創発」っぽいニュアンスがあるようにはあんまり見えないので、「発現的な」とかのほうがまだいい気がする……けどどっちにしろしっくりこないか。
  2. 倉根「ゲームプレイはいかにして物語になるのか」を参照。