日記をはじめる前に

久しく「日記」のようなものを書いていなかったので、ここらですこしやってみようと思った。

いや、実はもうちょっと理由があって。自分が置かれている環境の変化についてインターネットに書いていないことが、ひどく気にかかるようになってしまったのだ。そもそもの話として、自分には、プライベートのことや仕事なり学業なりのことをインターネットで進んで話したくないという想いがいまだにある。話すとしても、すでに思い出になってから。はじめてインターネットに触れたとき、そこにあったのが偶然にもそういうタイプのインターネットだったからというだけの話なのだが、それをいつの間にか内面化していたわけだ。ただ、いつまでもそれだけでインターネットをできるわけでもなかったようで。同じアイデンティティのまま長くやってりゃそうなるわという話なのか、それとも「プライベートでも仕事でもない領域」というのが狭まってしまったのか。どちらもあるのだろうけれど、ともかく、プライベートや仕事というものをあきらかにしないで話をしていると、どうもやりにくいと感じることが増えてきた。単に不自然なのではという気持ちになってしまうことが増えてきた。

まあ、それでも、騙し騙しやってりゃよかったのかもしれないけれど……そうは問屋(人生卸売市場だ)がおろさなかった。直近の「環境の変化」が大きすぎて、これまでのアイデンティティを保ち続けられる気がしなくなってしまったのだ。より正確に言うと、いまこれを書いている現在、自分ではそれほど大きな心境の変化がある気はしないのだけど、これからしばらくして振り返ってみれば「あ、ここで変わったな」と認識せざるを得ないだろうという確信めいたものがあるということ。そうなれば、自然、やりづらさは増大するにちがいない。そうです、端的に申し上げますと、つい先日、子供が生まれまして。

いや、親になれば人間変わるよねというだけの話だと早合点しないでほしい(結局それだけの話に回収できるのだろうが、それだけだったらわざわざ書かない)。たしかに子供はかわいいもので、というか小さい生き物はだいたいかわいいので、まあ一般的な意味でかわいいんだが、それで自分が変わった気はしない。たとえば、根が幼稚園児のためうんちが好きという事情もあり、おむつを変える作業が非常に好きなのだが(「よっしゃうんちやな!よっしゃよっしゃ!」)、それはあくまで日常の中の楽しみ、「うん、これは生活だね」という心持ちだ。昼間赤子につきっきりだった妻に先に寝てもらい、居間のゆりかごに寝ている赤子の横で静かにゲームしながらミルクをあげるタイミングをうかがっている時間も、「うんうん、これも生活だね」という感じで、ただ単に愛おしい生活というだけだ。ここで書く気はないが、もちろんしんどいことだってある。よくないことをしたな(あるいは、「なにもしなかったことがよくなかったな」)ということだってある。ふと、「ああ、出生させてしまったんだ」と思うこともある。ただ、しつこいようだが、それらはあくまで生活であって、それ以下ではないが、それ以上のものでもない。生活。生活はこれまでもずいぶんやってきた。真新しいもんでもない。アイカツみたいなもんだ。アイカツみたいなもんか?

人間が変われるのは環境が変わったときだけで、自分はいままさに環境が変わったばかり。そして、みずからの変化をその時その場所で自覚できることはほとんどない。あとから見つけることができるだけだ。そんなこと、誰もがわかっているのだから、いま、あえて、強いて、私は変わりそうですと宣言する必要は本来ないのだが(「私は変わります」と宣言することはまた別の話だ)、いま僕(この一人称を使うのは小狡いことだなあ)は、自分が変わることの恐怖に、これまでにないくらい怯えているらしい。環境の変化をこうやって公言し、言い訳にようとするくらいには恐れているらしい。ただの生活のなかで。

だからどうしてほしいというものでもないし、翻って、赤子は赤子で待ってくれたりももちろんしないのだけど、せめてこのブログを自分に追いつかせる必要がある気がして、ここまで書いてみたら、今日のところは、これ以上は書くことないやという気持ちになってきました。だからこれは「日記」ではないな。

ま、(走り出すかは置いといて)とりあえずここが再度のスタート地点ということで、ひとつ。


追記:公開して読み返してみると、自分に酔っているのはいいとして(いいんだよ!それくらいじゃなきゃブログなんて書かれへんやろ!)、娘(本文に書いていなかったが女の子である)や妻への思いやりのかけらもない、自分のことしか書いていない文章であるなと思った。が、まあここは僕のブログであるからして、自分語りに終始してもいいっしょ。そういう気持ちは直接伝えればいいっしょ。いいっしょ!それもまたアイカツっしょ!