2023-05-18

独学やっていて、やっぱりしんどいなと思うときはある。まあまあある。このブログを継続的に読んでくれているような奇特なひとならわかるとおり、最近はフィクションがどうのとかこうのとかいうものを読んだりしているわけだけど、自分はこのへんのどの分野についてもプロパーな形で学んだことがないものだから、どれがうまい方法なのかとか、なにが基礎にあたるものなのかとか、手探りで進まなければならない。ちょっとした疑問に答えてくれる先生や先輩もいなければ、議論につきあってくれる同輩がいるわけでもない(そこのあなた!なってくれてもいいんですよ!)。明後日の方向に行っちゃってんじゃないかという心配はいつもある。実際すでにそうなのかもしれない。ちょっと深掘りしようと思ったら誰もとくに教えてくれないような英語の文献しか見つからなくて、ひいひい言いながら読んでみるけれど、わからない。その分野自体のわからなさなのか英語のわからなさなのかもわからなくなってくる1。なにもわからないが適当につなげているだけなんじゃないかという気になってくる。いや、実際そうなんだろう。なるべくなら、独学しなくてすむほうが、なんだかんだいいんだよ。少しのことにも先達はあらまほしき事なり。

そりゃまあ、手探りには手探りのおもしろさがあるし、気楽さだってある。やる気がなくなれば、おもしろくなくなればいつやめたっていいし(逆にいえばなんだかんだでおもしろいと思うからやってるわけだ)、またやりたかったらやればいい。到達点だって好きに設定できるし、なにか「正しく」学ぼうとする必要もとくにない。いつまでかかったっていい、どんなペースでやったっていい。それに、仕事として研究しているような人のやってることを本買うくらいのコストで読めるのっていいよね。俺のためにもどんどんみなさんがんばってくれたまえよ。けれど、それでもなあ。ある程度強制力がないと必要な基礎が基礎として成り立たない、根気が必要なものだってやはりある。そういうものをどうしたって避けがちになってしまう。それで構わないのだけど、それで構わない範囲にしか手が届かない歯痒さだっていつもある。

このへんをちょっとでも解消しようとするなら……いろいろあるんだろうけど、たとえばコミュニティだったりするもんなのかな。上にも書いたように、ちょっとした意見交換ができるだけでもきっとだいぶちがうんだろうとは思う。もちろんなんだかんだいって、専門としてやるわけでもない程度のもので同じくらいに興味が合って、かつふつうに話せるっていう場をつくるのはどう考えたってそんな簡単なことではない。インターネットのこの時代にあってもそうなのだよな。書いてるひとはいる(というか自分も、まあ、だから、内容が怪しかろうが書いてはいる2)。読むだけならすごくハードルが低くなった。そういう人がいるんだよということを知れたのはインターネットのおかげだし、いまでもやっぱりインターネットの好きなところではある。けれども、やりとりするハードルはそこまでは下がってないんだろうなと思う。いやそのわりには不義理が多くないか? そうですね……すんません……。ちょっとまた最近ドタバタしておりまして……。勉強ならできるとういうのは変なんだけど、一人での活動はやっぱやりやすいんだよなあ〜。

次回は眼高手低について書きます。


  1. たとえば、哲学の分野だとSEPくらいのものでもふつうにきつい(最近だと https://plato.stanford.edu/entries/impossible-worlds/ を読んでた)。いやそりゃきついもんだろというのはあるんだけど、それにしたってさあ。
  2. ついでにいえば、こういうことを考えるからこそ、明示的に言及することを気軽にやろうと、最近改めて考えてはいる。もはやトラックバックの時代じゃねえんだけど、それでもね。