2023-01-19、あるいは「弱者のインターネット」について

「ムラシットくん、インターネットの話しか書いてなくない?」

「しゃあないやないですか。仕事の話をするのも家庭の話をするのもはばかられるし。いつもどおりコンテンツの感想か勉強の記録もありなんだろうけど、それらも最近の自分が低調ぎみだし。でもなんか書きたいってのはあるんすよね」

Twitterから離れてみて、現状ではそれほど困ったこともないのだけれど、これは離れてからたいして時間が経っていないからにすぎないんだろうなとも思う。きっとそのうち困るであろうことが、現時点でもいくらか浮かぶのだ。

なかでも、インターネットのおもしろい人を新しく見つけることが難しくなりそうなことはけっこう気になっている。以前はね、Twitterで新しくフォローしてくれた人とか、なんか知らんがRTで回ってきたツイートの人のbioを見て、そこからブログやnoteを読みはじめるみたいなことをよくやってたんだよね。

そりゃ、代替手段がまったくないわけでもない。たとえば、今も昔もはてなブログで読んでるブログのスター欄あたりを見て新しいブログを見つけるみたいなことだってしてはいる(はてなスターはいいサービスだと思う)。とはいえこの手の方法については、noteとかだとあまりよくわからないし(いちおうお気に入りみたいな仕組みはあるっぽいが)、それ以外のプラットフォームや個人サイトみたいなところまでいくとぜんぜんだ。

さらに言えば、そもそもインターネットでそれなりの分量のテキストを書けるのはそれはそれで情報発信強者というか、いや、強いかどうかはよくわからんのだけど、ある程度それに適正のある人なんだよってバイアスも気になってくる1

そう、長い文章を書ける人の長い文章ばかり読んでいてもしょうがないというか、いやもちろんそれはそれでおもしろいし昔はそれで十分な気がしてたんだけど、もうそれだけでは足りなくなっちゃったんだよな。しょうもないことや長く書くまでもないようなことが表現された短文を読むことが、なにかのきっかけになったり、その人の人となりを知れたりとか、そういううれしさはやっぱりある。あった。それってやっぱおもろいやんか。だのに、いまだと長文を書ける人のことしか知れないわけだ。

そんなこと言うなら、そもそも短文だろうがなんだろうが、インターネットでなにか言う人というの自体限られてるだろって? そうね。それはそう。だからインターネットを見るときには、いつだってインターネットに書かない人のことを考えてきたし、いまでもちょくちょく考えてはいる。だけどさ、いまさら短文のひとたちまでその箱に戻す気にはなれないじゃん。

(どうかと思う言い方になってしまうんだけど)「弱者のインターネット」が、やっぱりどこかにほしいってことなのかなあ。


  1. 自分は文章がぜんぜんうまくないのだが(これ読んでたらわかるやろ)、それでもいちおう長いことこうやってブログを置いとく程度の適正はあるんだろうとも思う。