アカデミックな資源を活かしつつものを考えることについて

以下を読みつつ改めて感じた、「趣味として、アカデミックな資源、とくに論文としてものされたそれらをある程度活かしつつ(すくなくとも活かそうとしつつ)ものを考える」ことに際するさいきんの悩みについて書きます。

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アカデミックな資源(とくに論文)を活かしつつものを考えるって、なに?

待って待って、「趣味として、アカデミックな資源、とくに論文としてものされたそれらをある程度活かしつつ(すくなくとも活かそうとしつつ)ものを考える」ってどんな営みなの? ってのは当然の疑問です。ここでもうすこし明確化しておくべきでしょう。

「考える」対象について

前からこのブログでもわめいているとおり、「フィクションってなんやろね、どうはたらいとるんやろね」だとか「言語による表現ってなんやろね、なにができるんやろね」だとか、興味の対象なんていくらでもあるわけだけど、なかでもここ数年来重きを置いているトピックとして、ビデオゲームにまつわるあれこれが挙げられるんじゃないだろうか。

ゲームをするのはそこそこ好きで、そのうえでいわば「表現の総合格闘技」としてのビデオゲームというのは考えがいがあっておもしろいなとずっとおもってはいるのです。だから以下ではいったんこの分野に絞ることにしておく。フィクション論についても言語表現についてもビデオゲームについても、それぞれに悩んでいる内容はちょっとずつ違うのだけれど、前掲記事にもっとも関連しそうなのはゲームまわりだってのもある。

「アカデミックな資源を活かす」について

ビデオゲームについて考えていくうちに、いつからだったか、ゲームスタディーズ(のうち、美学にちかいもの)を扱ったアカデミックな道具立てが使いやすいなと思うようになりました。まあ、そういう概念的な道具立てを考えるプロの仕事だからそれはそうである。そういういみで、そういった概念を足場に(資源として活かして)いろいろ考えるのだというのが「資源を活かす」ということになる。

もちろんべつだんゲームスタディーズ(のうち、美学にちかいもの)でなくたって、アカデミックな読み物でなくたって、いいっちゃいい。ただけっきょく(フィクション論だろうと言語表現だろうとゲームだろうと)じぶんの体験を言語化してみたいというのが根底にあるもののひとつではあり、そうなると社会学寄りだったり心理学寄りだったり情報科学寄りだっりよりも、美学に近いものを掘るのがしぜんではなかろうか(心理学〜認知科学も近いはずだが、道具としては使いづらい気持ちがまだあるとか、そのへんは長くなるのでまた)。ちなみに「批評」みたいなのは昔からよくわかんねえっす。

ついでの便だから、自分はべつに「研究」みたいなことをしたいわけではないこともここで断わっておきたい。そのような型を使って会話する(したがってこちらからもそのような型を使って発話する)ことのよさが当然にあることは認めつつ、やりたいことやっていることはうねうね「考える」ことであるという、いったんはそこにとどまっておきたい。というか、なによりきっととどまらざるをえない。そういうのが「アカデミックな資源を活かして考える」という言い回しによって意味したかったことです。

「とくに論文」について

あとは、なぜ論文なのか。先に限定したとおりゲームスタディーズ(のうち、美学にちかいもの)っぽい分野についていえば、なにより日本語の本が少ないことがまずもってある。似たものとしてゲームデザインの本とかならそれなりにあるわね。でも、それは作るための話であって、(重なりはあるとはいえ)ここで求めているものとちょっとズレている。小説という媒体においていっぱんにどういうことがなされているのか/なされうるのかについて考えたいとき、創作指南本だけを読んでもな、みたいなのと似たようなものだ。

そして、日本語の論文もあんまりない。すくなくとも専門のジャーナルみたいなものとなると『デジタルゲーム学研究』と『REPLAYING JAPAN』くらいだろうか。前者は扱う分野が広くて自分にとっての打率が低いし、後者はもうちょっと狭いが歴史が浅め/半分英語だ。もちろんいずれにだっておもしろいものはあるけれど、十分にあるとは言いがたい。

そうなると外国語でなにか……。自分が多少なりとも読める(つもりな)のは英語であって、幸いというべきかそうでないのか、ゲームスタディーズも英語のヘゲモニーのもとにあります。

でも、英語の本読むのって大変じゃないですか。べつに全部読まなくていいだろうって? そりゃあ、それこそ研究してるとか仕事にしてるならそうなんだろうけどさ、おれはそうじゃねえんだ。部分だけ読めるなんてのは、それなりに訓練を積むか、そうでなくとも慣れてる言語・領域でないとなかなかできひんつうね。あと単純に値段が高いし気が重い。

だってんで、英語の論文を探して読むかということになってくる。コンパクトで気が重くならないのはいい。そりゃ多少はまとまった本で問題意識や土地勘をインストールしておく必要はあるけど、読んで考えるだけならめちゃくちゃ慣れておく必要はたぶんなさそう。そしてなにより(ここでやっと前掲記事の話とつながるのだが)ありがたいことにある程度オープンアクセスにしてくれており、お金がかからない。ありがたいね。オープンであればDRMなしのデータがあり、しかもコンテキストウィンドウに収まりやすいという点で最近流行りのエーアイも使いやすいぜ。ビデオゲームなんて変化が激しいジャンルだから、古くて権威があることより新しさをある程度優先したいなんて事情もあるだろう。ありがたいね。

ペイウォールの壁の加わった迷路にまどう

というわけで、趣味として美学寄りのゲームスタディーズの論文を読んで考えるか〜となったわけですが、いや、これ、そんな、でもやっぱまあまあつらいなというのも感じるわけです。

結論からいえば、「オープンアクセスかどうか(そうでなければ著者がドラフトを公開してくれているかどうか)」に依存しすぎるのがまずしんどい。そして(なんとかなるとは言ったけれど、それでも)体系が雲を掴むようであって、もうすこし自信を持てるような先達がほしくなってくる。以下、これらについて1

そもそも、ゲームスタディーズをメインで扱うようなジャーナルはオープンアクセスにしてくれているものがけっこうある。現在それなりコンスタントに刊行されているっぽいものとしてはたとえば以下あたりがありそうだ2

これだけあって足りないのかっていうと……足りないのかもしれない、というか、なんか、これでいいのかよくわかんないんですよね。「ゲームスタディーズ」というといちおう「学際的でござい」ということになっているわけで、先にも言ったとおり社会学寄りだったり心理学寄りだったり情報科学寄りだったりなどなど、するものも多い。日本語でなら多少興味なくても読んでみるかでおもしろがれたりしてそれはよいことなんだけど、英語だとそこまでやるのはちょっとしんどい。だからアブスト舐めてくどころかタイトルだけで選別していくことになるし、それで残るものはそんなに多くない。そんななかからとりあえず読みはじめてみても、「これなんか違う気がするな……」となったりすることもあって、実際に興味とズレてるのかそもそも英語が読めてないのかとかも自信なくなってきたりもする。なにか見落してないか? おれは……。

じゃあ、だったらさ、ほかのジャーナルとかを見ようとするという手もあるだろうか。でもそんなん、ともっと大変よ。どれが名のあるジャーナルなのか知らんあやふやさのなかでゲームについての論文を抽出するなんてできると思う? しかもそのうえでオープンなものしか読めない。そりゃ苦しいでしょう。

参考文献を順次当たってくという、いまひとつのまっとうな方法にしても事情は似たようなもので、けっきょくオープンでない論文とか高っかい高っかい書籍を参照されてるとそこで止まっちゃう。

もちろんここで「すべからくオープンアクセスにすべし」だなんて言いたいわけじゃないんです。(大手の学術系出版社に対してであれば「ガメすぎだろ」みたいな批判があるとかそういうのは置いといて)そりゃ無料にできる事情できない事情があってすべきとかそんなことは言えないのはわかってるつもりではある。それでもしんどいというか、どこかでぴったり止まってしまうおかげで、なんか「これでいいのか?」がとくに解消されないままやってる感触がある。

いちおうほかの方法も試してみようとPhilpapersでドラフトが公開されてるのから見ていくのはどうか? というのもやりはじめたのですが、まだはじめたばかりでよくわからんです。以下のフィードを購読しつつ、遡ってみるかという気持ちはある。でも、先に言ったとおり鮮度が落ちてくるのが致命的なんじゃないかみたいな気もするし、(いくら名があるふたりとはいえ)キュレーターと趣味が合わないとつらいみたいなのもあるかもれない。

……というところで、なんかうまい方法ないんでしょうかね、やっぱ根性なんすかね。実際「おもしれ〜!」ってなったときのおもしろさはすごくあるから(だからなんか、このようにいかにも迷走してることを自覚しつつも続けてしまうのだから)、あとはやっぱ根性なんすかね。


  1. つまり「探し方」の話であって「読み方」の話ではない、というのは、いちおう読み方みたいなのはなんとなく把握しているつもりではあるからなんですが、突き詰められるとよくわからん、けどここでは無視します。
  2. 『メディア芸術・研究マッピング ゲーム研究の手引きⅡ』が参考になる。というかJPG以外はここから引っ張ってきた。