自転車で帰省した話(8日目)

10月24日。

八時半にホテルを出発。今日は京都まで一気に行く。相変わらず膝が痛く、前日にいろいろルートを考えてみたものの、正攻法である国道1号での鈴鹿峠越えの他だと、163号で伊賀を経由するか大回りに回って関ヶ原経由で行くかくらいしか選択肢はない。前者は鈴鹿峠を行くよりもよっぽど厳しい上りがありそうだし、後者はさすがに距離がありすぎるということで結局国道1号で京都へ向かうということに決めた。まずはここ伊勢から国道1号へ復帰しなければならない。

というわけで旧国道23号にあたる三重県道37号から松坂を経由し国道23号で津まで走る。つまりこれ、おおまかに言って東海道から分岐し伊勢へ参る道を逆に進む形になる*1。とりあえずのところ膝の痛みはまだ大丈夫、それなりに快調に進む。ちなみに、快調に進んでたら進んでたで「これ、こんな自転車走らせてて何になるんだ……家で本でも読んでたほうがよっぽど実になったんじゃないか……」という邪念が渦巻くくらいの余裕が生まれてしまいもするので善し悪しだったりする。

というわけで津。そのまま進んで四日市に行きそこから1号に乗るのは距離の無駄なので、23号を離れ直接関へ向かう。三重県道42号。今落ち着いて確認してみると素直に県道10号のほう行っておいたほうが迷ったりせず行けたんじゃないかという気がするんだけど、まあそのときには何か思うところがあったのだろう。じっさい、数度迷った以外はそれほど悪い道でもなく、途中で並行する車のほとんど走っていない田んぼの間の道に入ってボケーとしてみたり、安濃川沿いをゆるゆる上ったりと呑気なものであった。そんなこんなで12時前には関に到着。何日ぶりの国道1号復帰だっけと思ったら浜松以来、5日ぶりだったりして驚いた*2。シャープ液晶の聖地亀山工場(生産縮小うんたら)を横目に見つつ昼飯。カレーライスである。

そして懸案である鈴鹿峠、国道1号では箱根に次ぐと言われる難所、鈴鹿峠へ。箱根に次ぐと脅されものすごく悲観的になっており暗くならないうちに上れるのかしらとさえ心配していたのだけど、結果的にはそこまでひどいものでもなかった。踏掛のあたりに「→旧東海道」みたいな標識があって、ほほう、自動車があまり通らない道があるのかな、とそちらへ行ってみるとなるほど生活道路、峠のてっぺんまで1-2kmというところまではそれを通ってわりかし気楽に上ることができたのもよかった。とは言っても最後の最後、鈴鹿トンネルの手前はやっぱり、押して登らなければどうにもならない感じだったけれども。そんなわけで、13時半くらいには早くも峠を越す。膝は……うむ……ちょっと痛くなってきた……


しかし、箱根とのちがいはそれだけに留まらない。鈴鹿峠の京都側には、ほとんど下りらしい下りがないのである。箱根のときにはあんなに爽快な坂があったというのに、こちらは普通に漕がなきゃ進めない上に、路肩も狭い、つまりご褒美がないもんだからモチベーションが上がらない。そんな感じでしばらく進んだあと、だんだんバイパスめいてくる国道1号に見切りをつけて、水口のあたりで地道に切り替えダラダラと走る。いかにも宿場街といったいい感じの街並みだったおかげだかなんだか分からんけれど、すこしだけ気力が回復した。で、国道1号に戻り湖南市も通り過ぎ草津に着いたのは16時ごろ。いつの間にか走行距離が100kmを超えていた。

草津駅前のロッテリア(だったと思う)でしばらく休憩したあと、近江大橋を渡る。琵琶湖広い、っていうか、わりと普通に自転車のオバさんが通ってたりしてなんとなく意外だった。もっと大袈裟な感じの橋だと思っていた。そんなこんなで大津を過ぎて、これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関ってんでちょっとだけ上り坂に耐え、ついに京都府に入る。そのまま国道1号を進むと五条通りに繋がるのだけれど、三条のほうへ出たいと思った。思ったんだけど、広い道だから東海道(国道1号)と三条通(京都府道143号)との分岐点で三条通りのほうへ行けなかった。行けなかったもんだから、どうにかしようと妙なところで路地に入ってしまった。妙なところで入ったもんだから、道に迷ってしばらく時間を無駄にしてしまった。

そんな感じだったけれどもどうにか三条通を発見し、そこから御陵のあたりをしばらく上って蹴上。見覚えのある場所までやって来た、ついに京都にやってきたんだ!という喜びにうち震えながら三条京阪土下座像まで一気呵成。「グフフ!ついに京都まで自転車で来ちゃったよ!」ともはや帰省をほとんど終えたかのような気分に浸りつつの18時半着。136kmでした。


次回は京都での思い出探し(センチメンタル)そして大阪へ向かいます。

*1:実際には、いわゆる「伊勢街道」の松坂-伊勢間は三重県道428号にあたるのだけども

*2:この他、次回書くことになる京都-大阪間(50km)でも国道1号を通らなかったため、浜松-関間の170km弱等々合わせ、国道1号の総距離543kmの40%以上をスルーしていたことになる